2010/06/28

非日常とリアルの表裏──浮島、川崎

2010.6.12
【神奈川県】

浮島(Map)

 浮島は、羽田空港の多摩川を挟んだ対岸にある埋め立て地で、神奈川県側の多摩川河口になります。
 東京湾アクアラインはこの付近から海底トンネルに突入していきます。

 右写真の建物は、首都高速湾岸線の多摩川トンネル第一換気所で、多摩川の下を通る海底トンネルの出口付近にあります。
 大仏の目のような切れ長の窓から、空気を取り込んでいるのだろうか?

 早速脱線しますが、昔のTVアニメ「黄金バット」の敵であるナゾー(そんな名前なぞ忘れており調べました)を想起するような建物です。
 ナゾーは黒ずきんをかぶったいでたちで、四つある目が、赤、青、黄、緑(Windowsロゴと同じカラーリング)で、かぎのような手を持ちます(いま見ると、リスのように立った耳が「トトロ」のように見えたりします)。
 これは勝手な想像ですが、白ずきんをかぶったKKK団(クー・クラックス・クラン:アメリカの白人至上主義を主張する、残虐性を持った人種差別団体)の、黒ずきん版的な意味が込められていたようにも思えます。

 浮島釣り公園は現在も健在ですが、以前となりには、川崎〜木更津、川崎〜日向(宮崎)航路のフェリーさん橋がありました。
 木更津航路は、東京湾アクアライン開通により1997年廃止。日向航路も原油価格高騰などの影響から2005年に廃止されたため、浮島のフェリーさん橋は閉鎖され、跡地は物流センターとなりました。
 以前仕事で、宮崎までフェリーで行ったこともあり、前回訪問時までは懐かしんでいましたが、現在は跡形も無く、場所の特定すらできませんでした。


 建設中の羽田空港D滑走路のさん橋方式部分は、対岸からこのように見えます。
 埋め立てでは、周辺環境への影響が懸念されるので、この方式が採用されましたが、結局何年かたつと、柱付近から土砂が堆積しそうに思えます。
 それを見こして、埋め立てるよりは、干潟となる方がいい、としたのかも知れませんが、日が当たらなければ光合成もできず、微生物は繁殖できない気もします。
 でも、一日中日の当たらない干潟というのも珍しいと思うので、普段見かけない生物に出会えるようになるかも知れません。


 近ごろ、ライトに照らされたプラントの夜景撮影や見物が、ひそかな人気だとテレビで目にしました。
 確かに無機質ではあっても、パイプなどには曲線美が感じられたり、光線の具合で面白い光景と出会えるのかも知れません。
 普通に撮っても絵になる光景はありそうですから、はまる人もいるのでしょう。

 浮島は、工場誘致を目的に埋め立て造成された土地ですから、ここでの主役は工場になります。
 右写真のような工場への引き込み線って、さびれているようでも意外と現役だったりして驚くことがあります。
 上ものである高所の架線部分は、高圧の送電線として現在も利用されているように見えます。
 設備には維持費がかかるので、不要なモノは残さないと考えると、やはり、線路があるところには貨物列車が通行しているのでしょう。
 目の前にあったフェリーターミナルが廃止され、鉄道の需要が高まりそうな気もしますが、いまどきはトラック輸送がメインなのかも知れませんし、貨物列車を見かけることはありませんでした。


川崎球場(Map)

 川崎球場は現在、アメリカンフットボールのグランドとされ、この日も社会人大会が行われていていました(軟式野球でも使用可能だが、マウンドはない)。
 試合終了後でも、部外者は立ち入り禁止だったかも知れませんが、とぼけて観覧席まで潜入して撮りました。
 試合後の場外は、なごやかな舞台裏という印象で、選手、チアリーダーとサポーターが歓談しています(みんな仲間内のようです)。
 うなだれる選手もいる中、派手な衣装のチアリーダーたちは、まだテンションが高ぶってるように見えます。
 「さぁ、打ち上げで、イケメンをタッチダウンするわよ!」と、ここからが本番? のようにも感じられました……(こんな品のないセリフもスラスラ書けてしまうのは、川崎という土地柄でしょうか?)

 ここは以前プロ野球で使用され、1957年〜1977年に大洋ホエールズが、1978年〜1991年にはロッテオリオンズが、フランチャイズとしていました。
 川崎球場で印象に残るのは、近鉄バファローズがリーグ優勝マジックを2としてのぞんだ、「ロッテー近鉄」戦のダブルヘッダーの記憶です(1988年)。
 テレビ中継で目にした、満員の球場に入場できない人たちが、球場に隣接した建物の廊下や屋上で、鈴なりになって観戦している姿が、強烈に焼き付いています。
 当時パリーグの試合は、ほとんどテレビ放映されないにもかかわらず、あの関心の高さには、純粋な野球ファンの気持ちが表れていたように思います(タダ見禁止でもおとがめ無し、とされる関心の高さでした)。
 結局近鉄は、第一試合に勝つも、第二試合は時間切れの引き分けとなり、最終戦で優勝を逃しますが、アウエーの敵側チームにも、あたたかい声援が送られていたと記憶しています(当時は近鉄を応援していました)。


川崎競輪場、川崎競馬場(Map)


 上が川崎競輪場、右下が川崎競馬場になりますが、この地は、この手の施設が似合う町のイメージとしては、全国でも有数な町といえるでしょう。
 川崎駅は、工場名を行き先としたバス路線が数多く運行される、工場地帯のターミナル駅ですから、周辺には飲食店、歓楽街等、労働者の疲れを癒す施設は、オール完備(?)されています。

 また脱線しますが、川崎の歓楽街といえば堀之内と耳にしながらも場所を知らなかったのですが、競馬場の近くなんですね。
 夕時だったので、面倒を避けるため中は通りませんでしたが、出勤のお姉様方とすれ違いました。
 期待されるコメントは、ございません……

 競馬場はJRAの方針なのか、結構洗練されてキレイな印象がありますが、競輪場のセンスは昭和期のままとの印象を受けました(門前からの印象)。
 いまどきはパチンコ店でも「オシャレ」を目指していますが、どう転んでも競輪場に女性客は引き寄せられない、と腹をくくっているのかも知れません。
 オヤジギャル(古い?)も近寄らない、「男の世界」を守ろうという姿勢ならば、「それもありかな?」と、理解できる気がします。
 でもそのうち「輪女」(競輪マニア女子)なる存在が、注目を集めるようになるかも知れませんよ。
 「夢を買う」などと言いますが、結果は「リアル」ですから、女性の方が堅実に「夢」を膨らましそうな気もします。
 でも、ギャンブル好きの女性の思考回路って、男性的だったりするんですよね……

2010/06/21

バラックに人を集めるバイタリティ──羽田

2010.6.5
【東京都】

羽田(Map)


 前回紹介した、羽田空港の新管制塔を望む多摩川河川敷に、バラックとしかいえない船着き場が並んでいます。
 主に、釣り船用さん橋のようですが、国際空港脇の光景ですから、そのギャップにとても興味引かれる場所です。
 鉄パイプを組んだだけの簡易的なさん橋で、どこの入口にも、仮設さん橋の設置許可証が掲示されているので、チェックが頻繁なのかも知れません。
 堤防を挟んだ陸側に、船宿(宿泊、飲食、入浴ができそうな施設)があるので、昔からその場所に船を着けていたようです。
 恒常的に利用できるさん橋を作れないのは、堤防等の護岸整備に関する法律があるのでしょう。
 護岸の外側に構造物の設置を認めない役所から、商売への支障を盾に住民が勝ち取った状況のようで、そこには生活者のバイタリティが感じられる気がします。

 ここから出ていく釣り船は狙う魚によって、観音崎や東京湾の対岸である木更津まで船を飛ばすそうです。
 そんな様子を知ると、おおよそ8,000円〜の料金(サービス内容で異なる)も納得できるところですが、『釣りバカ日誌』のハマちゃんに、そんなおこづかいがあったのか、なんて思ってしまいます……(貸し切りは10万円〜)


 かつて江戸幕府は魚介類を献上させるため、この地域に「漁猟特権」を与え、それをきっかけに羽田は、漁業の町として発展していきます。
 その当時、漁業従事者は「猟師」と呼ばれていたそうです(捕るのは魚だけじゃなかったのか?)。
 おそらくそんな頃から、江戸庶民の間でも魚介類(鮮魚)の人気が高まり、羽田沖で捕れる鮮魚類が「江戸前」と呼ばれるようになったのでしょう。
 この付近で捕れ「絶品」とされる、穴子やシャコを食べた印象がないので判断できませんが、食べ過ぎると危ない(ダイオキシン等を含む)逸品でないことを祈ります……(怒られそうですが、自分にはそんなイメージがあります)


 この付近には昔の堤防である、レンガ堤が残されています。
 上写真のカメラ位置は車道になり、レンガ堤の奧が住宅地で、その先に現在の堤防があるので、住宅は以前の河川敷に建っていることになります。
 その地域は、堤防の内側なので洪水にはある程度安心でも、地盤の強度には不安がある場所なのに、住宅建築許可が与えられたようです。
 でも、そんなことをいったら、大田区の低地部分には家が建てられなくなってしまいそうです……(下写真は河川側から)


 昔から「暴れ川」とされた多摩川流域では、台風等の水害を繰り返し被ってきました。
 川岸を歩くと、水害の脅威は海だけではなく川にもあることが見て取れ、前回紹介した、穴守稲荷神社への祈りの切実さが、とてもよく理解できます。
 神奈川県側では、1907年、10年(明治40年、43年)に大洪水が続けて起こり、困り果てた流域の住民たちが、アミガサ姿で県庁に詰め寄り「多摩川に堤防を!」と嘆願します。
 これは「アミガサ事件」と呼ばれ、それを機に多摩川の下流部(二子橋より下流)の、多摩川改修工事が始まったそうです。
 しかし1923年(大正12年)の関東大震災によって、一帯に作られた堤防等の公共施設および、工場施設等は全滅してしまいます。
 その復興の礎として、このレンガ堤が作られたそうです。
 当時の町並みは、このレンガ堤(川の流れ)に沿って区画されたため、堤は当たり前のように存在し続けています。
 この遺構を壊す必要に迫られる大きな再開発等が無い限り、部外者ながら残して欲しいと思ってしまいます。


 川岸で目につくのが、アサリ採りに夢中な人たちです。
 先日目にした地域の話題に、川崎市の埋め立て地にある「かわさきの浜」の潮干狩りに、予想を超える数の人が押し寄せ、解禁から10日足らずで一時禁漁の事態になった、とありました。
 そこも、この場所も、無料であることが人気の理由のようですが、潮干狩りという「採集作業」には、本能的に没頭してしまう民族性や、労働成果が目に見えることから、人気があるのかも知れません。
 それを、都心近くで商売にできるような砂浜があれば、人は集まると思われますが、そんな場所が無いから集中しちゃうんですよね……

 上写真は一般人のようですが、大きな貝採り用のカゴで採るプロ(?)のおばあさんもいます。
 近所で売られてるのかも知れませんが、果たしておいしいのだろうか?
 でも、ガキの時分に潮干狩りに行った1970年前後の、幕張、船橋、金沢八景の海と比べると、現在の方がはるかに安全という気がします。
 公害で騒がれていた時代の貝を食べても、まだ生きているのですから、現在の貝も大丈夫なのでしょう……


 この付近にはかなり広い湿地帯があり、草の茂みから普段聞き慣れない鳥の鳴き声が聞こえてきます。
 でもここでは、バードウォッチャーの姿を見かけません(マニアが求める鳥がいない、観察の時間帯が違う、観察ポイントが違う、のか?)。
 われわれ素人は、聞き慣れない鳥の鳴き声を耳にすると、即「バードサンクチュアリ」と考えがちですが、そう単純なものではないのかも知れません。

 多摩川下流で「子どもたちが素足で遊べる干潟づくり」を目指して活動するNPOが、環境保全活動に取り組んでいます。
 川を取り巻く周辺環境を、川岸に立地する企業の協力を得て、子どもたちに体験学習させています。
 目指すところは、素晴らしいと思えるのですが、下流域だけが頑張っても難しい面がありそうです。
 理想としては、多摩川流域の各地域で、それぞれの目標を掲げる団体が地域活動を広めた上で、流域全体という視点での連携が生まれることではないでしょうか。

 前述のレンガ堤のような、古い施設として目にとまるのが、石造りの「六郷水門」で、昭和6年完成のプレートがあります。
 この施設は現役で稼働していますが、水門の内側には狭い船だまりしか残されていません。
 かつては六郷用水の終端で、雑色(ぞうしき)運河の水門としての役割がありましたが、現在その用水路や運河は存在しません。
 現在も水門付近に六郷排水場があるので、生活排水路(下水)とされているようです。

 そんな水門付近は、テナガエビやハゼ釣りのポイントのようです。
 河口に近いので、潮の影響をかなり受ける場所ですが、どう考えても下水からの栄養分に群がっているように思えます。
 ある意味それは「栄養連鎖」と言えるのかも知れません。
 でもわたしが想起するのは、発電所(原子力・火力)の排水溝から流れ出す「暖かい排水」に群がり、異常に巨大化した貝類等のイメージになってしまいます。
 近場で「釣る」「採る」ことの楽しみは理解できますが、あまり口に入れたいとは思えません。
 でも、自分で釣ったり、採った魚介類というのは、リリースも食べるも自由ですが、その安全性は自分のお腹で確かめるしかないんですよね?
 海の幸には保証がない、と考えてしまうと、食べるモノが無くなってしまいそうなので、忘れることにします……

2010/06/14

海へと広がる、空の港──羽田空港

2010.5.29
【東京都】

 今回から、多摩川沿いを歩こうと考えています。
 厳密な川沿いでは見所が少ない気もするので、川周辺のスポット等を探しながら歩こうと考えています(本シリーズでは神奈川県も歩くと思いますが、@東京に含めます)。
 ということで、まずは河口に面した羽田空港からスタートします。


羽田空港(Map)


 旅行で空港を利用する時というのは、出発時間が気がかりですから、余裕があっても食事やお茶する程度で、空港施設を見て回ることはできなかったりします。そんな関心よりも、心はすでに旅先に飛んでますしね……
 「空港まで見送り」なんてことも無いので、飛行機搭乗の目的以外でこの地を訪れたのは初めてという気がします。
 時間に余裕のある視線で見回すと、空港機能以外の余計な施設ばかりが目につき、ショッピングモールのような印象を受けます。
 最低限必要と思われるのは、準備し忘れたモノを扱うコンビニ、急な体調不良等に備えてドラッグストア、その場から発送してくれる特産品の土産物店と、立ち食いそば屋があればいいでは? と思ったりします。
 でも、目的地がローカル空港だったりすると、飲食店が営業していない場合もあるので、腹ごしらえは大切かも知れません……


 わたしは全日空(ANA)派なので、2004年開業した第二旅客ターミナルへANAが引っ越してからは、当初ビッグバード(現在は両ターミナルの総称)と呼ばれた第一旅客ターミナルに立ち入ることが無くなりました。
 久しぶりなので細かな記憶は薄れていますが、京急線出口から上がった正面にあるフードコート的な飲食スペースで、よく食事した事を思い出しました(どこもおいしくはないんですが……)。
 また、搭乗手続きを済ませた出発ロビー内には、第一ターミナルの方が飲食店は多かったのでは? との記憶もよみがえります。
 中まで入れないので分かりませんが、喫煙所とトイレの場所はキッチリ覚えていそうな気がします……(下写真まで3点は第二旅客ターミナル)


 羽田空港4本目の滑走路となる、D滑走路の運用に向けて管制塔が新設され、2010年に運用が始まりました。
 管制業務には全滑走路を一望する必要があるので、高さは116m(世界第3位)あります。
 下に見えるこれまでの管制塔は、埋め立て拡張後の運用開始(1993年)には、かなり注目された最新鋭の施設で、TV等で紹介されましたが、16年で役目を終えたことになります。
 空港の建設や拡張には長期の準備・工事期間が必要ですから、航空業界の情勢変化に対応することは、とても難しそうです。
 でも、このデザインもへったくれもない容姿は、役所的ではあっても「可及的速やかに(高い管制塔を造ればいいんでしょ!)」準備が進められた様子が、見て取れるような気がします……

 1984年から始まった、沖合埋め立て事業により新たに生まれた広大な土地は、すべて大田区に組み込まれたので、「東京23区最大の面積」を長年保った世田谷区は、その地位を大田区に譲ることになります。
 エーッ、知らなかった。世田谷区がずっと一番だと思っていました。
 D滑走路の建設でまた広がりますが、さん橋方式部分(全面埋め立てではない)はどんな扱いになるのだろう?


旧穴守稲荷鳥居(Map)

 羽田空港は1931年(昭和6年)、日本初の国営民間航空専用空港(軍は使用しないの意)として開港します。
 第二次世界大戦後(1945年)米軍に接収され、ハネダ・アーミー・エアベースとなり、拡張工事の際には、周辺住民に48時間以内の強制退去が命じられます(米軍の横暴ぶりは沖縄と同じ)。
 区域内の住民や、穴守稲荷の社殿(おそらくご神体等)だけはからくも移転しますが、鳥居は米軍も壊しづらかったようで、基地内にポツンと残されることになります。
 返還後も移設工事の度、工事関係者に事故や不幸があったりするいわく付きの鳥居とされます(テレビで紹介されると「心霊スポット」にされてしまいます)。
 現在は、東京モノレール・京急線「天空橋駅」近くに移設されています。
 もう元の神社とは切り離されたのでしょうか、現在は「平和」という額が掲げられています。
 そこには、米軍に接収された当時の思いが込められているようです。


穴守稲荷神社(Map)


 地域住民の思いが込められた神社であることはうかがえるのですが、でも、何の「穴」を守ったの?
 「堤防に開いた穴の水害から、水田や人々を守る」ことなんだそうです。
 アシ等の茂る湿地帯が、江戸時代(1804年)に開墾され堤防が築かれるも、嵐で決壊し海水による大きな被害を受けたため、住民が堤防の上に稲荷大神を祭り、水害が起きぬよう祈ったことがこの神社の起こりとされます。
 上写真は、賽銭箱にしるされた神社の紋で、描かれるのは稲穂と米俵(?)ですから(五円玉の穴を埋めたよう?)、豊作祈願とされたようです。
 湿地だった羽田一帯には、川からもたらされた栄養分もあり、水の管理ができればいい水田だったように思います。


 京浜急行空港線「大鳥居駅」の名称は、穴守稲荷が現羽田空港内にあった時分、この付近に「一の鳥居」(一番外側の鳥居)があったことによりますが、その鳥居は現存しません。
 現在の天空橋駅近くに移設され現存する鳥居は、1929年に京浜急行(当時京浜電鉄)が、当時の社殿近くに奉納したそうです。
 ということは、現在の「穴守稲荷駅」の名称は、神社の移転後に改名されたことになります。
 何でも、以前の穴守稲荷付近(現羽田空港内)まで路線があったらしい記述もあるので、京急はこの地域に力を入れていた分、米軍占領の影響も大きかったようです……

 そんな苦難を乗り越えてもらったおかげで、神奈川方面から空港へのアクセスがとても便利になったことを実感しております。
 「京急川崎」〜「京急蒲田」〜「羽田空港」という、とても有り難い列車があるのですが、現在早朝には運行されません(早朝便は、運賃の安さや、乗り継ぎ等の関係で、結構利用することがあります)。
 この先、D滑走路の運用開始(2010年10月31日)と同時に、24時間国際線化されると聞きます。
 バスやタクシー業界は歓迎でしょうが、鉄道系はどう対応するのだろうか?
 モノレールと京急線が運行するだけでは、その先が困ってしまうので、東京全体の対応が必要になります。
 でも、鉄道が24時間営業されると「終電だから帰る」と言えなくなりそうで、そっちの方が困るかも知れません。
 夜中まで飲んでも帰りの心配がないのは結構ですが、次の日が大変そうです……

2009/12/14

落ち葉から、クリーンエネルギーを!

2009.12.6
【東京都】

 都内では、紅葉の見頃も終わりに近づいてきたので、今回は落ち葉をテーマに歩きました。
 「葉っぱがお金に化ける」昔話ではありませんが、膨大な量の落ち葉を目にすると今どきの願望として、この落ち葉を燃やすのではなく、クリーンエネルギーとして活用する技術が生まれないだろうか? そんな空想をしたくなります。
 落ち葉がエネルギー源となったなら、皆こぞって樹木を育てるようになるでしょうから、温暖化対策のひとつの柱となるようにも思えます。
 だなんて、小学生の夢物語の作文のようですが、近い将来に実現するかも知れませんから、期待を込めて待ちたいと思います……


 新宿御苑(Map)


 人が多いことは仕方ないのですが、ついでに立ち寄れる公園として、都心にこれだけ立派な施設があるのですから、利用しない手はありません(入園料200円)。
 それでも近ごろ訪問回数が減ってきた理由を考えると、新宿に映画を観に来なくなり「ついでの元」が減ったからのようです。
 近ごろでは、都心周辺の中核都市に「シネコン(シネマコンプレックス:同一の施設に複数のスクリーンがある映画館)」が増殖し、スクリーン数も多いので、マイナーな作品も都心以外で観られるようになりました。
 最近は、川崎、横浜の映画館で、観たい作品の95%くらいは観られるようになりました(都心に比べれば混雑してませんし)。

 個性や雰囲気を持つ、かつては「劇場」と呼ばれた施設が次々姿を消した今どきでは、都心の映画館はステータスでは無くなってしまったようです(日比谷シャンテ付近にあった「有楽座」のロビーにあったシャンデリアや、反対側にあった「スカラ座」の石造りの階段等が、強いインパクトとして残っています)。
 渋谷はメジャーからミニシアター系作品まで、守備範囲が幅広いのでたまに行ったりしますが、銀座方面は皆無となりつつあります。
 なので、新宿御苑にも増して、日比谷公園はずいぶんとご無沙汰です。


 ここは、フランス式整形庭園とされるプラタナスの並木になります。
 勝手な思い込みですが、ここは映画『第三の男』のラストシーンを想起する場所で、この季節には大きな落ち葉をバリバリと、踏みしめて歩くのが好きだったりします。
 絵になる景色の中を、トレンチコートを着た女性が、映画のヒロインのように歩いていました。
 これはシャッターチャンスと思ったのですが、「何でここにそんな人種がいるの?」と思ってしまう様な、アキバ系的な若者たちに雰囲気を壊され(女性も遠ざかりますわね)チャンスを逸してしまい、ちょっと声を上げたくなりました。「枯葉は、萌え〜じゃないでしょ!?」
 ──アジアからの観光客が多かったので、ひょっとするとそんな人たちだったかも知れません。


 緑のオアシスなので当然ですが、落ち葉はもの凄い量に見えます。
 落ち葉を量る単位があるのか知りませんが、トラックだと何台分くらいになるのだろうか?(運び出さなくていいのですが)
 でも、冷静に考えてみれば、枯葉は落ちる場所を選ばないので、散らかった印象を受けるものの、東京ドーム何杯分まではないような気がします。
 すると、近ごろCMに登場の「レレレのおじさん」(松平健)が、何人いれば1日で掃きおわるか? というような、身近な単位になってくるのかも知れません(くだらん例えでスミマセン……)。
 でも今どきは、強力な風で落ち葉を吹き飛ばすハンディマシンがあったりします。
 確かに便利だとは思うのですが、ほこりも巻き上げるので、こっちに来ないでと思ってしまいます……


 今回テーマとしたかった「落ち葉をクリーンエネルギーにできないか?」について調べてみました。
 最も多かったのが「腐葉土作り」で、それ以外では「落ち葉プール」「カブトムシの幼虫を育てる」などで、革新的なものは見当たりませんでした。
 現状では、数年かけて堆肥化したものを、販売する等の利用法が現実的なようです。
 ちなみにカナダでは、落ち葉を指定されたゴミの日に出すと、落ち葉専用の収集トラックで堆肥処理場に運ばれ、数年後、堆肥化された土は「リサイクルされた土」の表示がされ、販売されているそうです。
 まずはそこからのスタートでも、将来的には映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』に登場した、タイムマシンの燃料(映画ではバナナの皮などの生ゴミでした)のような利用法を目標に、研究してもらいたいと勝手に思っています。


 代々木公園(Map)


 前日の雨のおかげで、いつもほこりっぽい印象の公園を、気持ちよく歩けたと思える本日ですが、落ち葉遊びとしては「Good Idea !」と思える光景を目にしました。
 代々木公園の足下には、地下鉄千代田線が通っているため、その通気口が点在しています。
 その上に、イチョウの落ち葉を山のように積み上げて、地下鉄が通過するときの風(マリリン・モンローのスカートが舞い上がる風と同じ)によって、落ち葉を舞い上げようとする遊びです。
 電車が来るたびに子どもたちは、大はしゃぎで踊り出しますが、前日の雨のせいでしょう、葉っぱが湿っていてキレイに舞い上がらないようでした。
 ──地下鉄沿線に数ある通気口の中でも、公園一帯にある通気口の清掃は、ちょっと大変かも知れません……


 明治神宮(Map)

 何だか少女趣味的な絵柄になりましたが、被写体に手は加えていません。
 腰をかがめてウロウロと、怪しまれながら(?)結構探しました。


 仮に、落ち葉からクリーンエネルギーが生み出されたとすると、その時点から、山中の落ち葉が消えてしまうかも知れません。
 「おじいさんも、おばあさんも山へ落ち葉を集めに行きました」どころの騒ぎではなく、積極的に木を植えても供給が間に合わなくなるかも知れません。
 そんな時代には、杉を切った場所に落葉樹を植えるようになり、花粉症は減るのかも知れませんが、枯葉を根こそぎ持って行かれては、山の土壌がやせてしまい、植物の生育が悪くなり、水害が増える等の心配があります。

 近ごろわたしたちの自然との付き合い方は、「ここまでは大丈夫だが、これ以上はダメージを与える」という、「さじ加減」(付き合い方)ができなくなっているようにも思われます。
 そのしっぺ返しに「圧倒的な自然の力」である、自然災害(土砂崩れ、鉄砲水等)に見舞われてしまいます。
 それは、何でもお金に換算して考えようとする、現代社会の風潮そのものに思えてきます。
 お金に見えてしまうから、何でもしてしまい、揚げ句の果てには「○○ショック」のように、はじけて混乱を招いてしまいます。
 地球環境がはじけてしまったらどうするのか? 世界で話し合うはずの「COP15」の序盤は、非難の応酬のようですが、何とか知恵を出し合い、取りまとめてもらいたいものです。

 ならばやっぱり「お金に化けるのが一番イイ」なんて、海を挟んだ隣国の様なことを考えていると、いつか化けの皮がはがれて「お金が葉っぱに戻ってしまう」かも知れません。
 やはり現在は(いつの時代も)、将来にクリーンエネルギー化の夢を抱きつつも、次世代の草木に栄養が行き渡るような、土壌を育てていくべきなのでしょう。
 それが、れっきとしたクリーンエネルギーであることは、先人たちに育てられたわたしたちが証しとなるのだと思います。

2009/12/07

江戸庶民の行楽地──滝野川

2009.11.28
【東京都】

 現在滝野川という名称は、地名(北区滝野川)に対して使われています(概略として、JR王子駅・板橋駅・地下鉄西巣鴨駅に囲まれる地域)。
 室町時代以前には、現在の石神井川は滝野川と呼ばれていたそうです。
 当時の石神井付近は、人影もまばらだったと思われるので、「王子七滝」(現在のJR王子駅周辺)と呼ばれ滝の名所とされた、この付近での名称が定着したと想像されます。
 この付近は、明治時代に滝野川村、その後滝野川町となり、昭和には滝野川区とされたこともあるそうです。

 地下鉄南北線の、駒込と王子の間にある西ヶ原駅はピッタリと、独立行政法人国立印刷局滝野川工場の前に作られてあります(建設に融通の利く場所だったのかも知れませんが)。
 パフォーマンス的と思えた事業仕分けでの、「お札などは、都会で印刷する必要があるのか?」とのやり取りを思い出したりしました。
 確かに、新聞や週刊誌ではないのだから(搬入が数時間遅れただけで始末書などにはならないでしょうし)、そういう機能はできるだけ地方に移していくべきとも思われました。


 旧古河庭園(Map)

 この庭園は駒込に近く、地名は西ヶ原になります。
 1917年(大正6年)に造られた、古河虎之助男爵(古河財閥の3代目当主)の邸宅を、保存した施設になります。
 男爵とは、明治時代に制定された華族制度の最下位で、財閥家にも与えられたそうです。
 ちなみに後述の渋沢栄一は、公共への奉仕が評価され、その上の子爵を与えられます。
 それは、天皇(国家)から「あんたはエライ!」(古いギャグの引用で通じなかったらゴメンナサイ)と言われたことになるのでしょうから、現代では文化勲章か? とも思いましたが、比較対象とできる社会構造ではありませんでしたよね……

 この庭園の特徴としては、ジョサイア・コンドル(久々の登場ですが、東大の校舎旧岩崎邸、鹿鳴館等、西洋建築技術を日本に伝えた人物)設計による洋館(右上下写真のバック)と、前庭に広がるバラ園になると思います。
 花については全般的にうといのですが、バラという植物は園芸品種として、品種改良等がしやすい植物のようで、品種名表記だけではその意図が理解できない名称を見かけたりします(南半球には自生しないそうです)。
 ここには「プリンセスマサコ」という品種のバラがあるそうですが、最近は人気無いんだろうなぁ〜(失礼)。

 ここは何度も来ているのに、洋館内に入った覚えが無いと思ったら、往復葉書で事前の予約が必要なんだそうです。
 まあ、桂離宮(京都)ほどの倍率ではないにしても、日時を決められると行きづらく感じてしまいます。


 この庭園のもうひとつの特徴は、斜面を下った木立の中に日本庭園があることです。
 この庭園は、近代日本庭園の先駆者とされる小川治兵衛(おがわじへえ:幕末生まれで昭和まで活躍)によるものだそうです。
 平安神宮、円山公園(共に京都)などを手がけたそうで、この名前を記憶しておきたいと思い、書きとめました。
 これも治兵衛さんが持ち込んだのだろうか、大きな灯籠が点在しており、それぞれの存在感がとても印象に残ります。
 上写真は、どこかで目にしたような絵ですが、やはりその場に立つと撮ってしまうし、それが絵になるというのは、まさに庭師の術中ということなのでしょう……


 飛鳥山公園(Map)

 右写真からは趣旨が伝わらないとの反省から、説明させてもらいます。
 状況としては、このちょっと前に、もう少しお姉ちゃんの2人組がこの噴水のてっぺんで、水遊びをしていました。
 オイオイと思いながらも、シャッターを切ったわたしと同じように、興味を感じてしまった彼は、噴水に向かって行きます。
 お母さんは止めますが、言うことを聞く気配がないので、仕方なく靴を脱がせ、ズボンをまくり上げて噴水に入らせた、という状況になります。
 でも、お母さんの選択としては、どうなんでしょうねぇ? その後、風邪をひいてなければいいのですが……
 自分もガキの時分、そんなことをやっていたのだろうか?

 こちらには、自分の彼女か知り合いの女性をモデルにして、撮影をしているお兄さんがいました。
 雲が出てきてしまったのですが、レフ板(光を反射させて対象物を照らす板)を取りだして準備をしています。
 助手もいないのにどうするかと思ったら、あぐらをかいた自分の足で方向を調整していました。
 「必要は発明の母」と言うのか、表情の硬かった女性も、そんな滑稽な姿勢に笑いだし、緊張もほぐれていたようです。

 下写真は、以前訪れた旧渋沢栄一邸になります。
 日本資本主義の父と呼ばれる方ですが、当初は尊皇攘夷(反徳川幕府)側の考えを持っていながら、徳川慶喜の家臣となってさまざまな経験を重ねたようです。
 新しい会社が次々と作られた時代ですから、500以上の企業設立に関わったそうですが、財閥(上述の古河を含め)を作らず「私利を追わず公益を図る」との姿勢を貫いたそうです。
 初代紙幣頭(後の国立印刷局長)となった彼の志は、独立行政法人国立印刷局の組織を守ることに受け継がれているように見えてしまい、反公益的と思えてしまうのは、とてもおかしなことです。
 印刷所に隣接して大きな付属病院があります。病院が悪いとは言いませんが、経営・運営の実態(税金の使われ方)について明らかにされているのだろうか? そんな「いいがかり」的な疑いを持つ視線が、今どきの世間の見方と思います。
 渋沢栄一の生きた「希望の持てる時代」とは社会情勢は異なりますが、現代にも「私利を追わず公益を図る」人物が出現して欲しい気もします……
 ──期待は大きかったのに、何億ものお小遣いをもらっても「知らなかった」というお坊ちゃま感覚では、いくら耳が大きくてもこちらの声が届くとは思えません……(でも、頑張ってもらわないと)


 これまでは、駒込地域、王子地域という線引きで散策することが多かったので、駒込から王子までを、歩いてつなぐことがひとつの目的でもありました。


 金剛寺(紅葉寺)(Map)


 東京周辺の紅葉情報を調べていて、この寺の存在を知りました。
 都内にも紅葉寺と呼ばれるお寺があるのかと、期待を膨らませて門前に立ちましたが、瞬時に「過去の名声」であったことに気付かされます。
 金剛寺の名称通り、弘法大師(空海)の教えである真言宗のお寺で、源頼朝が鎌倉幕府を開く前に、この地に陣取ったとされています。
 江戸時代には、第八代将軍吉宗の命によってカエデが植えられ、そこから紅葉寺と呼ばれるようになりました。
 前述の飛鳥山公園、後述の弁天様と合わせて、江戸の観光名所とされたそうです。
 吉宗は、飛鳥山には桜を、この地にはカエデを植林したそうで、そこだけ見ると、何とも粋な殿様と感心させられますが、これは「享保の改革(きょうほうのかいかく):江戸時代の三大改革の一つ」の一環なんだそうです。
 ──分かりやすいところでは、庶民の声に耳を傾けるための目安箱の設置などがあります。


 岩屋弁天跡(Map)

 むかし、石神井川がわん曲して流れていたころ(江戸時代の以前のことと思います)、流れに削られたガケに「弁天の滝」が見られたようです。
 石神井川は、十数メートルの渓谷を刻み滝も数多く見られたそうなので、住宅が密集し河川改修される以前の姿は、現在の等々力渓谷的なイメージでしょうか。
 どうも明確な資料は見当たりませんが、江戸時代の古地図には、金剛寺の「松橋弁天」と、近くに「岩屋弁天」が表記されています。
 滝沢馬琴『南総里見八犬伝』(江戸時代)には、「滝野川なる岩屋殿」として登場しているそうです。
 八犬伝の記述は、岩屋弁天のようですが、古地図サイトに掲載されている広重の浮世絵を見ると、松橋弁天のようにも見えます。
 いずれにせよ、江戸時代この付近が大変にぎわっていたことは、確かなようです。


 上写真は、王子駅近くの音無橋になります。
 これまで、橋上の道と交差する本郷通り(都電の通る道)しか歩いたことがなかったので、深く刻まれた川面に続く橋下の光景に出会えて、とても新鮮な印象を受けました。
 隣接する飛鳥山公園との高低差は結構ありますし、この地形を生かして、桜やカエデが配された江戸の時代に、行楽地として持てはやされたことは、とても納得できる気がしました。

 飛鳥山というのは、滝野川のある「山の手」と、王子駅のある「川の手」の境にありながら、丘のような高台になっていますから、王子駅側から登るにはちょっと息が切れます。
 そこでこの7月に登場したのが「飛鳥山公園モノレール」です(無料)。
 16人乗りと、サイズは小さめですが、かなりの急勾配を登っていきます。
 瀬戸内や四国のミカン畑でよく見られる、果実運搬用のモノレール(と呼ばれること初めて知りました)の上に、ゴンドラが乗っているようなイメージ。
 あれなら、エレベーターの方が安く作れたのでは? とも思いましたが、景色が良かったりするのかも知れません。
 今度は乗るつもりで来たいと思っています。

2009/11/30

オアシスの風景──善福寺川

2009.11.21
【東京都】

 ひとたび真冬の寒さを経験してしまうと、防寒への意識が働くので、外出時には暖かめの服装を選択するようになります(新型インフルエンザへの意識もありますし)。
 若いころは、必要以上の汗をかきたくない気持ちから、少し寒くても我慢するつもりの服装をしていましたが、近ごろは寒さを我慢できないというか、少し冷えただけでも「風邪ひいたか?」と、ナーバスに感じてしまうところがあります。
 「まだ早いか?」と思いながらも、ダウンジャケットを着ることに抵抗感が無くなってしまったこのごろです……


 善福寺公園(Map)

 週末の井の頭(いのかしら)線は、こんなに混雑するのかと驚いていたら、東大駒場キャンパスにて駒場祭(教養学部等があり、1〜2年生が主体の学園祭)が行われていたようです。
 実行委員会のサイトでは、「来場者数は10万人を越える日本最大級の学園祭」と豪語していますから、迷惑ながらもこの混雑は毎年繰り返されるようです。
 若い東大生人気、恐るべし……

 善福寺公園は、吉祥寺駅の北側(井の頭公園とは反対側)にある、東京女子大の裏手に位置するので(徒歩約20分程度)、訪れにくい場所かも知れません。


 上写真の「マンガの吹き出しみたいなのは何?」と思っていたら、「トロールの森・野外アート展」の展示物なんだそうです。
 ──トロールとはノルウェーに伝わる妖精で、いたずら好きなことから、物がなくなると「トロールのいたずら」と言われるんですって。

 身近な公園で毎年イベントが開かれているのですから、近隣の人たちに受け入れられているのでしょう。
 とてもいいチャレンジだと思いますが、重要なのは作品の内容になりますよね……


 この善福寺池は、井の頭池(井の頭恩賜公園)、三宝寺池(石神井公園)と共に、武蔵野三大湧水池とされています。
 井の頭池からの流れは神田川、三宝寺池からは石神井川、ここからの流れは善福寺川になりますが、中野区付近で神田川に合流するそうです。

 広い公園ではないこと、交通の便がよくないこと等のおかげで、近隣住民の憩いの場として親しまれている印象があります。
 人の数もそれなりですし、静かな印象ですので、近場のオアシスを求める方には、オススメできると思います(バスの情報をチェックした方がいいでしょう)。


 この公園の特徴は、後述する湧水量の多さと、池の周囲に配されたベンチの多さにあると思います。
 写真のように、くつろげるスペースとして利用されるのはもちろん、高校のクラブ活動と思われる女子部員の集団が、背もたれや手すりのないベンチで、トレーニングをしています。
 彼女たちの使い方を見ていると、ベンチがトレーニング台のように見えてきます……

 幼少期、思春期のころ、恋愛時代、子育てのころ、そして老後と、近所で暮らしていたら、まさにこの風景の一部になるのだろう、と感じられる場面も多々見られました。
 右写真のおじいさん、聞いてるのか分かりませんが、手元のラジオをつけっぱなしで舟をこいでいるようでした……


 上写真の植物を、関東では「葦:アシ」と呼びますが、関西では「ヨシ」と呼ばれるそうです。
 「アシ」は「悪し」に通じるので、「良し(ヨシ)」と言い替えたのが定着したそうです。
 関西の呼び方には日本的な文化が感じられますが、それを気にしない関東の無頓着さは、前しか見ないバイタリティと感じられる気もします。
 分類的には、イネ科の「ヨシ属」とされています。
 ですが、パスカルの言葉は『人間は考える葦(アシ)である』(人間は葦のようにひ弱な存在だが、思考する点で他の生き物とは異なる)と記憶しています。
 これ、翻訳者が関東の人だったということでしょうか?
 でもこの言葉の趣旨からすると、「アシ:悪し」の方が、道徳心や反骨心から頑張れるような気がしてきます。


 水鳥を撮ろうとして逃げられちゃったのですが、いいモノが撮れました。
 中央付近に水紋が見えると思いますが、これは、わき水によるものだと思います。この池の湧水量はかなり多そうな印象を受けました。
 池の周辺ではちょっと分かりにくかったのですが、下流の川面からはその透明度がよく分かり、結構キレイな水であると感心しました。
 戻って調べてみたら、公園の脇には杉並浄水所があるそうで、池と同じくわき水(井戸)を水源とし、それを浄化して水道水に供給しているそうです。
 23区内で、井戸が水道水の水源とされているのはここだけなんだそうです。

 ここから川を下る途中の川底にも、わき水の様子がいくつもみられます。
 全体はコンクリートで固められていますが、その部分だけ地盤が丸く露出しているのが、お役所的な感性に思え「どんなセンス?」と首をかしげてしまいます……


 上はメタセコイアの葉です。
 この植物は大木でありながら、細かい葉をビッシリ身にまとっているので、遠くから撮ると「ボワーッ」とした絵になってしまいます。
 並木になっている場所等では、とてもキレイな絵になるので、一度チャレンジしたいと思っています。

 池の下流である善福寺川は、岸や水路もコンクリートで固められていて「神田川のようだ」(実際に神田川の支流)と思ってしまいます。
 住宅密集地を流れる川ですから、川岸が崩れないようにコンクリートで固めたい気持ちは理解できます。
 また、住宅街の路地を含めた道路も、アスファルトで舗装したい気持ちも理解できます。
 ですがその結果は、どう考えても、川に雨水が集中する構造になってしまいます。
 洪水発生が懸念される地域なので、地下調節池等が整備されているそうですが、それでも2005年(平成17年)には氾濫し、被害が出たそうです。
 これから温暖化に向かう時代には、これまで以上に大規模な洪水対策が必要になるのでしょう。
 確かに、目先の費用対効果の検証も必要ですが、下水道を含めた安全確保の対策を考えると、気の遠くなるようなお金がかかりそうです……


 善福寺川緑地公園(Map)

 善福寺川に沿って広がる公園で、共に都立公園である後述の和田堀公園とは、道路を隔てて接しているというか、連続しているような立地になります。
 整備目的や、時期の違いがあるのかと思えば、両公園とも同じ日に開園したそうで(1964年)、調べてもその境界線の根拠については見当たりませんでした。
 近ごろ、にぎやかであっても、単なるパフォーマンスに見えてしまう「事業仕分け」的に言えば、「担当部局が違うから、公園の名称を変えたのかぁ?」ってとこでしょうか……

 和田堀公園と同様、善福寺川が蛇行する場所に当たり、むかしから氾濫が繰り返された水はけの悪い土地を、河川改修により公園として整備したそうです。
 洪水時の調整池的な役目もありそうです。

 多目的グラウンドや、交通公園等、子どもたちを呼び寄せるような施設が整備されています。
 杉並区内では、この一帯が最も運動施設や緑の多い地域とされるそうで、確かに子どもたちの多い印象がありました。
 子どもたちも「オアシス」の意味を、体で感じ取っているように思われます。


 和田堀公園(Map)


 隣接する善福寺川緑地公園が、憩いの場的な施設とすれば、こちらはレクリエーション的な施設になり、野球場、陸上競技場、テニスコート、バーベキュー広場、サイクリング広場などの施設が整備されています。
 上写真の和田堀池は、カワセミが見られることで有名のようで、もの凄い望遠レンズを付けたカメラの三脚が並んでいました。

 まだ3時過ぎなんですが、西側に高台があって、日が陰ってしまいました。
 わたしはもう終わりの時間なんですが、カワセミマニアはこれからの夕暮れ時が勝負のようです。

 帰りの楽しみにしていた、永福町のラーメン屋「大勝軒」ですが、行列を目にして心折れてしまいました。
 久しぶりなので、並んでも食べたい、という味覚のインパクトが薄れていたのかも知れませんが、どうも養鶏場のニワトリのように、麺をすする気にはなれませんでした……


 追記
 大河ドラマ『天地人』が終わり、『坂の上の雲』が始まりました。
 直江兼続という人は、戦国時代〜江戸時代初頭においての重要人物であることは、とてもよく分かりましたが、歴史上のメインキャストではないために、主人公として描くのは難しい人物だったかも知れません(妻夫木くんは好演)。
 しかし後者の主人公たちも、万人が知るところの人物ではありません。
 ですが第一回から、明治という時代背景や、日本のおかれた状況や国民の気分というものが、伝わってきたと思います。
 来年の『龍馬伝』で、幕末の革命についての知識を広めることも大切ですが、維新後の日本が、どのようにして欧米列強を目指し、富国強兵のスローガンを勘違いしていったのか、当時の日本人の心理や社会の気分を再検証することは、わたしたち国民の必須科目とも思われます。
 司馬遼太郎さんの世界を伝えるために、かなり脚本が練られている印象を受けましたし(脚本のクレジットには三人の名前がありました)、CGを使っているのでしょうが、絵作りもじっくり腰が据わっていると思います(大河ドラマより格段に上質)。
 とても楽しみなんですが、放映は3年にわたるので、気の長い話しになりそうですが、その間に原作を読むことを目標にして……

2009/11/23

冬支度前の楽しみ──昭和記念公園

2009.11.15
【東京都】

 この日のような暖かい陽気には、紅葉を楽しみながらも、気持ちでは冬支度を始める、そんなふうに季節感を楽めたらと思うのですが、いきなり寒い日がやって来たりします。
 「冬支度前」なんて書きましたが、最高気温が10℃以下という日もありましたから、もう寒い季節の扉は開かれているようです……


 昭和記念公園(立川)(Map)

 植物等の季節感が欲しくなった時には、この公園を頼ってしまうところがあります。
 所要時間も1時間程度で、四季を演出するための整備もキッチリ行き届いていますし、何といっても広々としているので、近場でリフレッシュするにはいい場所です。
 普段は入園料400円(ちょっと高い)ですが、この日は「天皇即位20周年」のお祝いのようで、無料開放されていました。
 現在は平成の時代なのにと思いつつも(この公園は昭和天皇の即位50年を記念して作られました)、素直に喜んで入らせてもらいました。

 今日の主題は、イチョウ並木だったんですが、もう葉が散っている……


 地面が黄色いので、葉がかなり散っていることが分かると思います。
 右写真の右側が西の方角になりますが、西側の並木はもう散っている状況だったので、両側に葉が残る場所を探すのは難しい状況でした。
 そのくせ、まだ緑の葉も残っているのですから、タイミングを狙うにしても難しそうです。

 天気も良かったので、モデル連れの写真撮影が行われていました(篠山紀信の屋外撮影でないのは残念?)。
 人出の多い中では関心を集めますし、男性としてはモデルの容姿に視線が向くわけで、アベックで来ていた彼が「趣味じゃないなぁ」と彼女につぶやく声も聞こえました。
 3〜4人いましたが、1人だけ可愛い娘がいました。事務所の戦略ですね……


 トイレの洗面台に「ここでギンナンを洗わないでください。排水が詰まってしまいます」の張り紙がありました。
 地面に落ちた実のニオイは強烈ですが、おいしいですよね。
 食べたくなってきました……

 イチョウの木は雌雄が別株であるところから、ギンナンの悪臭対策として雄株だけを植える研究がされていますが、種から育てると雌雄判明まで十数年もかかってしまうそうです。
 その対応策として、雌雄不明の若い株に雄の木を接木したものを植えているのだそうです。
 ってことは、将来街路樹下でのギンナン拾いができなくなるってことになります。
 まあ、町中では仕方ないところでしょうか……


 お母さんまで髪を振り乱して、バウンドしています。
 ここは「雲の海(ふわふわドーム)」とされる、巨大なトランポリンのような施設です。
 子どもが好きそうな施設に違いないのですが、みんな飽きることなく「Jump !」しています。
 きっと「ほこりセンサー」(そんなものがあれば)等で計測すると、もの凄い状況に思えますし、マスクしながら飛んでる子もいませんから、遊んだらちゃんとうがいをしようね……

 付近には、子どもたちがはしゃぎ回れる施設が集中しています。
 「霧の森」(人工的に霧を発生させる施設)や「虹のハンモック」(クモの巣のように張られたネット)等がありますが、公園の設計が見事なのは、周囲を森で囲んでいるので外周道路等、他の施設から見えないように目隠しをしていることです。
 子どもたちがどんなに大声で騒いでも、文句をいわれない防音効果となっています。
 また、森のすき間から聞こえる子どもたちの歓声は、シェイクスピアの『夏の夜の夢』等に描かれた、森の妖精たちの声を想起したりします。
 森を抜けて、声の主をたどっていくと、子どもたちはみんな怪獣だったりしますが……

 ガキの遊び場と、大人が楽しめる空間をキッチリと分けているのは見事と思いますが、それは広さがあるからできるのでしょうね。

 多様な植物が植えられている園内でも、晩秋の季節感は十分感じられますが、日本庭園ではかえでやもみじが見られます。
 ここ立川は郊外ですし、都内では寒い地域になりますが、もう十分な見頃と言えます。

 訪問の前日には、かなり雨が降ったこともありますが、道を外れて木々の下を歩くと、落ち葉に含まれた水分が「グジュグジュ」音を立てています。
 この公園も、落ち葉をちゃんと集めて土に戻すことにより、動植物が生息しやすい腐葉土作りを目指しているようです。
 まあ、これだけ来場者が多いのでは難しいかも知れませんが、将来はカブトムシやクワガタなどが暮らせるようになれば、しめたものと思いますが(目指していたりするかも……)。


 海外の方も多く訪れていましたが、中国・韓国からと思われる方も多かったようです。
 調べたところでは、韓国には紅葉狩りという習慣があるそうですが、中国は広いですから地域が限られるようです(中国では、大陸・乾燥気候により、紅葉の発色が良くない場所もあるそう)。
 それを踏まえると、平安時代から京都の上流階級でもてはやされた、紅葉を楽しもうとする造園の趣向は、韓国の影響を受けていたと言えるかも知れません。
 確かに、韓国の映画(韓流と言われる以前のもの)を見ていて、感性や情の厚さなど、根っこが近しい民族ではないか? と思ったことがあります。
 それにしても、気性は大きく違う気がします。
 歴史的にも、大国に脅かされ続ける地理的条件に置かれた国と、のほほんと海に浮かんでいる「ひょっこりひょうたん島」のような国では、社会を支配する気分というものが、まるっきり違うことは容易に推察されます……

 近ごろ、ススキを撮りたいと思っているのですが、あまりいい絵になりそうな景色に出会えません。
 ガキの時分には、そこら中にススキが生えていて、そんな場所で遊ぶもんだから、ススキの穂まみれになって家に帰りしかられた記憶もあります(葉で指をよく切った覚えも……)。
 いまどきは、河川敷などの水辺でしか見られなくなった印象があります。
 そこでも、葉は似ていてもススキでない(外来種か?)勢力の方が強そうに感じられたりします。

 今ごろ琵琶湖近くの西の湖辺りの水辺は、一面がススキに覆われているのではないかと、想像したりしています。
 そう考えるとやはり東京周辺では、昔ながらの景色は年を追うごと失われていることに、気付かされます……