2017/12/25

曲線に感じるなごみ──中川

2017.12.9【東京都】──江戸川区探訪_8(葛飾区編)

 中川は、荒川(放水路)の開削により分断され、以前荒川西側の、流れを止められた旧中川を歩きましたが、今回は現在も流路とされる東側周辺を歩きます(付近は葛飾区)。



 ここは、私立学校に勤務する方が加入する、日本私立学校振興・共済事業団の施設で、軟式野球場、陸上競技場、テニスコート等がある、総武線脇の広い運動場。
 隣接地にマンションはあるも、照明施設の上にBSアンテナを設置するのは、スポーツ中継を見たいから?

 最寄りの総武線 新小岩駅(1928年:昭和3年開業)周辺にしみ込んだ庶民生活の歴史は、錦糸町の延長上を想像してもらえば、大きく外れないと思います。
 周辺の猥雑な空気感は年月が醸し出すことを、新しい町(西葛西)との違いから実感します(嫌いではない)。




 元米穀商の外谷邸庭園を整備したもので、 池に中川の水を引き入れ干満の変化を楽しんだ「汐入り庭園」が残されます(現在水は通じてない)。大名庭園のような規模ではなくこじんまりとした様に、少しだけ身近さを感じます。

 近くにあるモンチッチ公園は、モンチッチ製造元のセキグチ本社近くのセキグチドールハウス(セルロイド製人形の展示施設)跡地を整備したものですが、公園には写真や絵柄があるだけ。モンチッチのラッピングバスには驚いたが、それが地域の自慢のようです。
 付近の道は旧水田のあぜ道のままで、迷路のような道を迷いつつ楽しめます。




 付近を歩くのは2度目ですが橋の存在を失念しており、対面してようやく「記憶がつながった!」と認識した次第。中川・綾瀬川合流地点の水門は覚えていたのに……
 綾瀬川は水質ワースト河川として記憶されますが、どぶ川だった旧船堀川=古川 等のようにフタができないため、本気の水質改善には時間が必要であることがうかがえます。

 フォルムが美しく、しなやかなに見える吊り橋は、世界で初めて曲線斜張橋+曲線はS字+路面に勾配 等の特徴を持つそうで、蛇行する中川の曲線とマッチしますし(流れからヒントをもらった?)、命名も見事と。


立石

 この地名は、奈良・平安時代の官道(東海道)の道標を立石様として祭ったことに由来し、その石を欠いて持つと病気に効く(祖母を想起するような表現)、戦争時に弾よけのお守りとされたため、いまは見る影も無いらしい。
 古墳が残るような地域で、古くから耕作地が広がりましたが、関東大震災の被害が少なく罹災民が流入したことから、急速に宅地化が進みます。
 同時期にセルロイド工場の進出が始まり、後の玩具産業〜モンチッチへと受け継がれます。
 右は奥戸街道沿いの酒屋。

 戦後ほどなく駅周辺に闇市が現れ、現在も「せんべろの街(1000円でべろべろに酔える)」は健在。とくればもつ焼きですが、表通りにもホルモン焼肉店(下)が並ぶ様子から、町のニーズはまさに下町庶民系のようです。

 付近はキャプテン翼(高橋陽一のサッカー漫画)の舞台とされ、地域の売りとしてキャラクター像を各所に設置しています。右は若林源三(大空 翼像は四つ木 他にある)。
 現在、南葛SC(翼が所属したチーム名)という組織を作り葛飾区からJリーグを目指すそうで、マンガに憧れを抱いた子どもたちが結集するとは、夢のようなチャレンジと。



中川分岐付近

 右は、中川(左)と新中川(右)分岐の突端。
 中川の蛇行する九十九曲りの流れは、8代将軍吉宗(鷹狩り好きでこの方面に関心があったらしい)が水害防止のため、点在する池や沼をつないだことにより生まれます。
 ですが1963年には、方法論の違う直線的なバイパス(新中川)が作られます。治水技術や下水整備の違いがあるとしても、直線化の選択は最後の手段と思われ、NGの場合は言い訳できませんから、かなりの覚悟が必要だったと……

 この日の終着地は京成高砂駅で、隣駅は柴又と知ると足をのばしたくなります……


追記──年の瀬の風物詩?

 勤務先に隣接する郵便局では、年末年始の臨時職員へのオートバイ研修が行われています。新型スーパーカブもギア操作が必要なので、原付免許(ギア操作を求められない)の方は練習の必要があります(慣れたらやめられないらしい)。そのためか、一時停止でも止まりたくない人がおり、「ちゃんと止まれ!」と指導したくなります。
 年末年始の郵便局はお祭り騒ぎですが(アルバイト経験あり)、くれぐれも運転には気をつけてください。年賀はがきを受け取る側は感謝・応援しています。


追記──入れ歯のお世話に

 毎週徹夜作業をしていた時分、徹夜明けに歯が浮くため30代半ばから歯医者に通いますが改善しないので、覚悟はしていたが、かめなくなる前にお世話になろうと。
 しばらく歯がなかったので忘れていましたが、入れ歯をした途端に仕事中も無意識にかみ始め、以前歯科医から「かみ締めている」と指摘されたことを思い出しました。
 これからは、入れ歯を食いしばって生きていくようです……

2017/12/18

文化の芽を育てる──小松川境川親水公園_2

2017.12.2【東京都】──江戸川区探訪_7

 西葛西駅→新小岩駅行きバスは、途中の船堀駅で乗客が入れ替わり、新小岩駅近くでは大混雑となります。鉄道は東西方向だけなので、区内の南北移動はバスに限られます。




 上は水辺に降りる滑り台で冬季は休止とされるが、脇から入り込んだ子どもたちは、落ちる寸前で止まるスリルを楽しんでいます。
 手前の2人は遊ぶ女の子で、左奥の女の子は「落ちたらどうするの? 信じられな〜い」と、立ちすくんでいます。
 作り手側も遊ぶ子どもも見事で、これが江戸川区流かと。
 下は、左の頭は切れてしまったが、好きな色合いなので。




 散歩には区内の見分をかねる面もあり、立派な文化施設の存在を知るも、この立地では利用しづらいと。
 交通は不便でも、以前からの中心地に主要施設を作ろうとする心情も分かりますが(中心地の体裁等)、ユーザーである住民にとっては「公共施設は便利さが一番」に決まっています。

 この日は子どもたちのイベントがいくつも開かれ、大・小ホールやロビーはにぎわっています。文化の芽を育てるには幼少期の経験や記憶が影響しそうなので、広く利用してもらうためにも、利便性が大切ではないかと。


 隣接の江戸川区立第三松江小学校では、東京都教育の日の催しとして「展覧会」が開かれています。校舎には7色のカラフルな染め物が飾られ、自分の手がけた部分を指差し父親に説明する姿からも、作業の楽しさが伝わってきます。
 わたしの記憶に鮮やかな色彩の印象が残らないのは、記憶が色あせたということなのか? 小学生時分は、カメラは一般的ではない上、カラー写真は高価なので「想い出はモノクローム♪」(大瀧詠一『君は天然色』)で残ります。



 以前農耕地が広がった周辺は、平坦で水に困らないため工場が誘致されますが、周辺の宅地化が進み、工場の周囲を埋め尽くす住宅は、じきに工場を追い出しそうにも。
 右は製糖工場の配管で、立ち位置の水路跡遊歩道越しに施設が建てられたのは、工場用地の選択肢が狭められた影響かも知れません。
 飛び地に工場を拡張するのは効率的ではないが、これだけの施設を移転するにはかなりお金がかかりそうです。
 そんな悩みを抱えるためか、周辺には住宅に取り囲まれた工場や倉庫が点在します。



 右は、江戸川区登録天然記念物の臥竜の松(樹齢推定500年)。以前紹介した妙光寺の松のように、門の上に枝をはわせる様子を一般の家でもよく見かけるので、周辺ではやったように。
 潮風に強い松が好まれたのは海辺が近かったなごりか?

 ここは黄檗宗(おうばくしゅう:江戸時代に始まる三禅宗(臨済宗・曹洞宗)のひとつで臨済宗に近い)の寺院。
 京都府宇治市 萬福寺が本山で、開祖の隠元によるインゲン豆由来の逸話を思い出します。東福寺を聞き間違え訪問したものの、足を運んでよかったと。




 江戸幕府 八代将軍吉宗が鷹狩の際、付近の神社で出された餅のすまし汁に添えられた青菜を気に入り、名称の説明に窮した神主に「ここは小松川だから小松菜と呼べ」との逸話が由来とされます。
 現在はハウス栽培のため近寄れませんが(上)、寒い中でもシャキッとした生命力から、冬を乗り切る力を分けてもらうようにも。
 実家の雑煮にも青菜が入るように、冬の葉物野菜はできるだけ食べるべきと擦り込まれたせいか、とても身近な印象があります。




 上は9人制のバレーボール大会で、コートは6人制より広いが、9人がコートに立つとボールを拾いやすいためラリーがかなり続き、応援の旦那たちも苦笑いの様子。
 隣のコートでは、エースアタッカーがバチンと決めていましたが、ラリーが続くどんぐりの背比べの方が、いい運動になりそうと。
 付き合わされた家族も楽しんでいるようで、家族円満に貢献するクラブ活動とも。

 この施設も新小岩駅(葛飾区)からバス10分+徒歩5分の地にあるように、区の施設はどこも交通の便はよくありません(西葛西駅に近い江戸川区球場が一番便利そう)。駅から歩くのも運動だ、とは言わないでしょうが……


追記──NHK大河ドラマ『おんな城主 直虎』終了

 徳川幕府を支える井伊家を導いた人物とされるが、彼女がいくら「争い無き世を徳川に託す」と語っても、作り話が多い印象から作為的な人物像に見えてしまうし、彼女が主体性を持ち行動した存在とは受け止められなかった。
 井伊家から想起するのは幕末期の大老 井伊直弼(リンク先は擁護論)で、日米修好通商条約(不平等条約)に調印し、反対勢力を粛清した安政の大獄を断行し、その反発から暗殺された(桜田門外の変)人物のため、思い入れが難しい面も。
 原作・脚本家の自己満足(都合のいい創作)に付き合いきれない、と感じた方も多かったのではないか。
 主演の柴咲コウは頑張っていたが、生かしきれてないように見え、不完全燃焼だったのではないかと……

2017/12/11

落ち着ける水辺──小松川境川親水公園

2017.11.25【東京都】──江戸川区探訪_6

 近ごろ散策に向かう際、バスで都営新宿線 船堀駅方面へ向かうことが多いため、駅の周辺になじんできた印象があります。



 部屋の玄関前から見えるタワーのような姿は、船堀駅前にそびえるこの建物でした。
 水辺都市江戸川区民の「乗合船」をコンセプトに1999年開業し、コンベンション機能(会議室)、アミューズメント機能(ホール施設、映画館)、ブライダル機能(マツヤサロン)、江戸川区医師会 医療検査センターがあり、江戸川区のシンボルとされます。
 実家方面(東京の西側)では、町田・厚木にありそうな施設で、駅に出るまで時間のかかる地域が広がる事情も似ているように。
 東京スカイツリー誕生までは人出も多かったとすれば、窓の汚れもなかったかも……(下) 無料の施設。





 この競艇場は、河川(中川)を利用する国内唯一の施設とのこと。河口に近いため、川の流れ、潮位、風の影響を受けやすい難水面とされるも、先頭以外は船の波を受けるのでまともに走れないように見えるが、そこからの逆転がギャンブルの醍醐味なのか?
 西葛西・平井・船堀駅からバスで集客し、全国競艇場の舟券が購入できるシステムでオヤジたちの小遣いを搾り取るように……(ギャンブルって分からん)



 小松川境川は、新小岩付近の湧水に始まる自然河川で小松川とされるも、東西に分かれた小松川村の境を流れたことから小松川境川とされます。以前は農耕地が広がった一之江境川流域同様、明確な地形を境界にしたようです。
 住宅に囲まれ人が少ないため落ち着ける親水公園で、競艇場に近い最下流の池では糸を垂れる釣り人たちから、石につまずいた程度の物音でもにらむような視線を向けられます。ヘラブナのような神経質な獲物を狙っている or 釣れないことを人のせいにしようとしているのか?

 以前の流れは農業用水、肥料(肥船:こえぶね)や農作物を運ぶ水路とされ、地域に欠かせない存在でした。
 肥船とは、江戸城の汲み取り権を持つ葛西氏が糞尿を運んだ船のことで、葛西船とも呼ばれたそう。
 その帰りの船で付近の農作物を運んだようで、糞尿と野菜は同じ扱い? と思うも、当時は畑に糞尿を撒いたため抵抗感は無かったとのこと。
 水路の終焉は周辺と同様で、下水道整備により不要となった汚れた流れにはフタをされました(埋め立て)。そこが古川親水公園に続き区内で2番目に整備されます。

 隣接する寳積院(上)と永福寺(右)は共に真言宗豊山派寺院ですが、境内の違いで個性を表現するように。
 上の、枝先に団子状の葉が丸く生えるのは、木の特徴 or 剪定によるもの? 寳積院の境内に並びます。
 永福寺の境内は寺院らしいたたずまいで、やはり紅葉の時季にはこちらが落ち着くと。
 当初は長福寺の名称でしたが、九代将軍家重の幼名長福丸にはばかり改称したそう。鐘に刻まれた「国家安康」に文句をつけた家康(徳川家)ですから、機嫌をうかがう方も大変です。

 右の江戸川区役所を目にし、区役所の建物ってこんなもんだよなぁ〜と納得するので(港区役所もノーマルな印象だった)、文京区のアレ(区役所 in 文京シビックセンター)は複合施設とはいえ、やり過ぎと。
 江戸川区が誕生した1932年(昭和7年)当時、区内の鉄道駅は北端に、総武線 平井・小岩駅(新小岩駅は葛飾区)、京成電鉄 京成小岩・江戸川駅があるだけでした。そのため区役所立地に鉄道の利便性を考える余地もなく、以前の中心地(「中央」の住所表記)付近に建てられたらしい。
 現在も付近に鉄道駅はなく、区民は不便さに慣らされたようにも(船堀への移転計画があるらしい)。


追記──郵便局の新型スーパーカブ

 勤務先の隣には麻布郵便局があり、非常階段で一服しながら赤い車両やバイクの出入りを眺めています。
 先日、世界生産累計1億台を達成したホンダ 新型スーパーカブの郵便局仕様車が納入され、元気よく走りはじめました。大口顧客は全国で何台利用しているのだろう?
 従来のイメージを継承しながらスマートにリニューアルし、エンジン音も軽快になりました。
 ですが「旧エンジン音=郵便・新聞配達」で育った年代には、生活環境の一部としての親近感がありました……

2017/12/04

水辺暮らしの痕跡──一之江境川親水公園

2017.11.19【東京都】──江戸川区探訪_5

 一之江境川は、葛飾区にある水元公園の小合溜井(こあいためい:用水池)から、東一之江と西一之江の境を通され(名称由来)、新川に合流した水路。
 以前一之江の地名には、市野江、市江の表記もあり、川の入り江に由来するらしい。




 都営新宿線 船堀駅の外壁に金魚が描かれるように、近くの東京都淡水魚養殖漁業協同組合(上)で3月に開かれる金魚の初競りは春を告げる催しとされ、セリは11月まで定期的に開かれます。
 明治末〜大正期に、入谷、下谷から業者が移転してきたことにはじまり、最盛期の23軒から現在2軒となりますが、江戸川琉金(リュウキン)はブランドとして人気が高いそう。
 水元公園周辺でも盛んだったことから、川の近くに適した産業のようです。


 こぶりの金魚の繊細ではかなげな姿を見ていると、ガキ時分に墓に埋めた際の感触がよみがえります(柔らかな印象)。
 上の絵からは、1997年イラン映画『運動靴と赤い金魚』(監督:マジッド・マジディ)を想起し、ここに足を入れたら癒してくれるのでは? とも。
 金魚は、フナの突然変異を観賞用に交配した観賞魚で、世界中で親しまれます。



 地域の用水や、物資運搬船の航路として活用されるも、「昭和30年以降、流域の都市化により水質が悪化し、下水道が整備され排水路の役割を終えた」とあるので、フタをしたい流れだったようです(開園は1995年)。
 鉄道が整備される以前の水路は物輸の大動脈なので、人が集まる流れ沿いには寺社が点在するというか、他にはひとけのある場所はなかったようにも。

 都営新宿線は、荒川を越えるため(?)東大島〜船堀駅間は地上高架となるが、付近で再度地下に入ります。地下鉄は新しいインフラなので、既存施設への忖度(いやらしい響きの流行語)が求められます。

 三嶋神社鳥居(右)の笠木(かさぎ:上部の横柱)は太いため不安定に見えますが、装飾的なデザインの笠木をよく目にしますから、ここでは太さをアピールしているようです。
 当初、大山祇神(おおやまづみのかみ:愛媛県 大三島)を祭りますが、村境(川っぷち)のため氏子が集まらなかったようで(鳥居に比べ祠は小さい)、明治期に近くの日枝神社の末社とされます。
 大山祇神は、山の神、海の神、戦いの神とされるので、当初ここでは水運の安全が祈られたように。


 流れがキレイな時分から続く染工場が、付近に2軒残ります(上は干場)。上とは別の染工場では、以前は川を利用した洗い作業を工場内で行い、品目も浴衣から手拭いにシフトした現在も、日本橋界隈の問屋からの注文がメインとのこと。地域の文化は人のつながりに守られます。

 右は、城東電車線路のモニュメント。城東電車 江戸川線は、東荒川(荒川 新小松川橋付近)~今井橋(旧江戸川と新中川の合流付近)間の鉄道で、今井街道脇の専用軌道を走りました。市電(後の都電)に編入され、廃止後は街道をトロリーバスが走ったらしい(トロリーバスは目にした気がするが、乗った記憶は残りません)。

 一帯は川の氾濫原のため整地はしやすくても、海が近く川の水は塩分を含むため、農耕には海水の影響を受けない一之江境川のような用水が必要でした。
 旧川沿いに残る大きな農家(右)の屋敷を目にすると、23区西端に位置する世田谷区同様、少し前まで田舎だった風景を想像したりします。

 下は、一之江抹香亭(いちのえまっこうてい:タブノキの葉から抹香を作った旧家を整備した施設)の柿。
 近隣から分けてもらった植物の苗木を並べ、みんなで育てようとする取り組みは、地域の文化継承が根付いた活動とも。


追記──TBSラジオ プロ野球中継から撤退

 以前、テレビのナイター中継は9時終了だったため、「この後は、TBSラジオ エキサイトナイターでお楽しみください」のアナウンスを耳にすると、「ラジオ、ラジオ!」と騒ぐ人がいましたが、そのラジオ中継が終了するそう(現在「エキサイトベースボール」)。
 飲食店等で耳にする程度でしたが、日常の生活音のようになじんでいたので(ピンポーン「他球場の経過です…」等)、時代の流れとはいえ寂しさを覚えます……


追記──川崎フロンターレ 初タイトル!

 上位争いをしながらも終盤の息切れが続いただけに、喜びもひとしおではないかと。
 以前暮らした武蔵小杉・新丸子をホームタウンとしており、ホーム試合開催日のにぎわいは素晴らしい町おこしと感じていました(中村憲剛のフォア・ザ・チームの姿勢は魅力的)。
 関心のレベルは一般的な近隣住民と同等ですが、地域を離れ何年経っても気にし続け、初タイトルを祝福したいと思うことこそ、Jリーグ理念(地域密着)の成果のようにも……