2011/06/06

新説 日本沈没?──中目黒

2011.6.4

 「巨大地震ニモマケズ、巨大津波ニモマケズ、放射線被害ニモマケヌ丈夫ナカラダヲモチ(?)、北ニ困ルヒトアレバ行ッテガレキヲカタズケテヤル、サウイフモノニワタシハナリタイ」
 と国民の気持ちが団結しつつあり、一刻も早い災害復旧〜復興のかじ取りが求められる時に、国会の政治家たちは国民の反感を承知の上で権力争いをはじめ、復旧・復興気運に水を差します。
 ここは、あんたら「全員NO!」という国民投票で、総取っ替えしてやりたいところです。
 そして(彼らの論理としての)ごたごたが終わると「さぁ、大連立だ!」と、全員が声を上げ始めます。
 国民はみな、災害復興の関連法案に各政党が協力するためには「条件」があること自体理解できません。
 雨降って地固まると解釈できるなら悪いことではないにせよ、国会でしか通用しない「彼らの論理」を、国民が理解できないまま話を進めていいはずがありません。

 小松左京のSF小説『日本沈没』(未読)のテーマは、地殻変動により日本列島が水没し「国土を失う民族」の物語ですが、現実では国政の権力争いだけが一人歩きし「国民が国を見失う」という、ストーリーとして成り立たないほど情けない状況が生じています。
 巨大地震では沈まずとも「これが日本沈没のはじまり」と言われたら、反論できない国民はどうしたらいいのだろうか?


2011.5.21
【東京都】


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大橋ジャンクション(Map)


 ここは首都高3号渋谷線と中央環状線を結ぶ大橋ジャンクション(JCT)で、2010年に部分開通しました(右下のコンクリート構造物)。
 山手通りと国道246号線が交差する場所柄によく土地が確保できたと思いますが、1969年まで運行された東急玉川線(路面電車)の車庫が、その後東急バス大橋営業所とされた土地になります(田園都市線池尻大橋駅に近い)。
 計画では、中央環状線大橋JCT〜大井JCT間の開通を2013年度とするも、その遅れの理由を後述中目黒のおばちゃんが説明してくれます。


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 上は一度やってみたかった面積比較で、関東で面積の基準とされる東京ドーム(関西はもちろん甲子園球場)との同縮尺比較です。
 同規模との予想が、制限速度40km/hならこの程度で済むのかと、納得できた思いです(国立競技場のグラウンド部分とほぼ同じだそう)。

 開通後も工事は継続され、ドーナツ形の屋上には「目黒天空の庭」とされる庭園が2012年度完成を目指しています。
 首都高速道路(株)のホームページには、「大橋"グリーン"ジャンクション」との表記が見られ、上写真のマンション(郵便局表記のビル)の反対側にもっと大きなビルが建ち、屋上の公園とつながるそうです。
 いくら渋谷の隣駅から徒歩5分でも、ジャンクションには換気施設(ループ及び地下道路の排気ガス浄化施設)もあるわけで、近ごろ敏感な「外部電源が失われたら?」を考えると、住みたい気持ちが理解できない環境です……


中の橋(Map)


 コンクリートに覆われた護岸や河床が続く目黒川にも、こんなチャーミングな橋が架かっていること初めて知りました。
 由来としては、昔の地主が私有地に架けたので公共の橋と差別化された、程度しか見当たりません(目黒区も渋谷区のように調査してよ!)。
 多くのドラマ撮影に使われたようですが、それも当然だろうというロケーションです。


 先日歩いた菅刈公園のはす向かいに、敷地の周囲にさまざまな種類のバラを育てている「ミキモト装身具」があります。
 真珠で有名なミキモトの関連会社ですから、観賞用植物の手入れとディスプレイに力を注ぐことは理解でき、近所のみならず楽しみに訪れる方が多いようです。


中目黒駅周辺(Map)


 東横線が目黒川を越える鉄橋です。
 通勤に利用する車内では現在も時折「日比谷線脱線衝突事故(2000年)」が頭をよぎり、ちょっと背筋が寒くなることがあります。
 車窓から線路際に立てられた慰霊碑が目に入るせいかも知れません。
 鉄道保線用の敷地にあるため入口には警備員が立っていますが、慰霊は可能なようです。
 当時勤めていた目黒のオフィスから見えた、中目黒上空におびただしい数のヘリコプターが群れていた光景は忘れられません……

 設計コンセプトは違うでしょうが(香港映画の雰囲気か?)、わたしは上写真をTVドラマ「傷だらけの天使」(屋上ではないが)を想起して撮りました。

 中目黒駅前の山手通り周辺(目黒側)がスッカリ再開発された様子は、毎日ホームから見て理解しているつもりでした。
 ですが、たかだか10m程度見下ろす視線と実際に歩いた目線ではまるで別世界のようで、「こんなに変わったということか!」と実感させられ驚きます。
 この日の行程が終了し中目黒駅に向かう道で、「あの辺にそば屋があったよなぁ」と、記憶に残る以前の町並みから思い出そうとしてしまいます。
 ビルとなった現在のロケーションを見て知っているはずなのに、その場を歩かないと実感できないというのは、人間の習性なのか、単なる老化現象なのか……


蛇崩川(じゃくずれ)合流地点、船入場(ふないりば)(Map)
 右写真は、目黒川に流れ込む蛇崩川との合流地点です。
 現在の馬事公苑(弦巻:つるまき)付近にはじまる流れで、名称の由来には「大水で崖が崩れそこから大蛇が出てきた」等があるそうですが、まだのんびりしていた時代の里山風景が思い浮かびます。
 調べるうちに「以前は品川用水の悪水吐が流された」の、とても汚そうな「悪水吐:あくすいはき」に引っかかりました。
 これは「水田の汚水を排出する溝や川」の意味で、洪水時に濁って飲用や灌漑(かんがい)に適さない汚れた水を排水する、浄水設備のない時代のフィルター的な流路になります。

 東横線の渋谷〜中目黒に沿っての地形断面は「渋谷↗代官山↓中目黒」のように、目黒川の土地浸食力が強く深い谷地なので、周辺の水が流れむ地域となり、豪雨時にはたびたび川が氾濫しました(悪水吐が集中していたかも知れません)。
 対策の一環として、船入場(昭和初期に船着き場とされた)の地下に洪水調整池を建設し、洪水時の備えとしています。

 その調整池の上には1995年開館の「川の資料館」があります。
 ここには「こんにちは」のあいさつに反応して、自動的に説明を始めてくれるおばちゃんがいます(大変失礼!)。
 学芸員(博物館等の専門的職員)だったら失礼ですが、しゃべりたい話(?)は聞かなくても流れてきますが、質問すると意図を理解してくれなかったりします(これも失礼)。
 ですが、彼女から3つ教わりました。
・目黒川は水質保・改善のため、落合下水処理場の高度処理水が放流されている(それでも臭い)。
・首都高速中央環状線は当初目黒川の下に計画されていたが、現在は並行して走る山手通りの地下に建設中で、中目黒にも大橋ジャンクションと同様の換気施設が建設中。
・建設工事の遅れは、トンネルを掘るシールドマシンの歯が壊れるほど固い岩盤に阻まれていること(計画通りの完成は無理そう)。

 右写真は「バッフルブロック:流れを整える構造物」で、京都鴨川にあるような飛び石ではありません。

 以前小泉今日子を見かけた飲み屋が近いので、店の外観だけでもと思ったものの失念しました(彼女の頭はホントに小さかった……)。


中目黒公園(Map)

 以前目黒に勤めた時分は目黒川沿いをよく散歩しましたが、ここに寄るのは初めてで公園の名称も今回知りました。
 芝生広場やグラウンドも広く、人工的な水辺や花壇の手入れも行き届いているので、子どもたちには絶好の遊び場です。

 ここは旧海軍研究所〜金属材料技術研究所の跡地で、周囲にも自衛隊の施設が並び、隣接の東京共済病院が東京海軍共済組合病院として開設(1930年)された経緯からも、以前からこの一帯は国に管理されていたようです。
 川沿いには目黒清掃工場(上写真奧の煙突で、渋谷清掃工場と1.6kmの距離にある工場)、目黒区民センター、目黒区美術館が並びます。

 上写真は風力発電機の模型のようなモノで発電量を電光表示しますが、その表示のために発電しているようなオモチャですから、今後は本格的な施設が求められることでしょう。
 ちょうどセットで写る、清掃工場から発生する熱を温水プールだけではなく、羽(タービン)を回して発電できたなら「もえるゴミも資源に」できそうな気がしてきます。


 この公園にある「花とみどりの学習館」という施設では、公園の花壇で実習可能な講習が行われボランティア活動も盛んなので、有料の植物公園のように手入れをされた植物を目にできます(広くはない)。
 上写真はグラスオバダス(ウサギの尾)のプレートがある植物なのですが、どうもその名前で検索してもヒットしません。
 おそらく「ラグラス(バニーテール・ウサギノオ)」ではないかと思われますが、詳しくないので違っていたらご指摘下さい。


目黒馬頭観音(Map)


 本日終了の帰宅モードで目黒銀座商店街(東横線南側の商店街)を歩いていると、路地の奧にちょうちんの明かりが見え、無視できず入り込みました。
 案内板には大正時代末期、付近で牛や馬で商売をする人々が動物の霊を弔うために建てたとあります。
 この後、通勤電車の車窓からのぞくと、チラッと写真のちょうちんが見えることに気付き、車内の神社側に立ったときは確認するようになりました。

 調べるとき目についたのが、競馬ファンサイトだったことはうなずける気がしますが、結果はいかに?(ギャンブルはやらないので分かりません……)


追記
 IAEA(国際原子力機関)による福島原発事故に関する調査結果が報告されました。
 発表までは「何を言われるのか?」戦々恐々としていましたが、問題・課題・対応についての評価コメントを、当事国の対処を尊重する表現で提起してくれました。
 ここからようやく事故対策に総力戦で臨めるはずですが、国民の意見を尊重せず、自分たちの論理しか語れない国会の連中に、旗振りを任せていいのだろうか……

2011/05/30

お代官様はいなくても──代官山

2011.5.14
【東京都】

 関東地方の梅雨入りが発表されましたが、まだ5月で長袖が欲しい時季なのにと思ってしまいます(2番目に早いらしい)。
 これって、夏が早く来て暑いということ? 先日の予報では「暑いが昨年ほどではない」とされますが、節電モードを加味すると「昨年並み」と見積もった方が懸命かも知れません。
 この夏は、どんな工夫で暑さを乗り切るのか知恵の絞りどころで、知恵の積み重ねが「京都の文化」を生み出したことを手本にできれば、文明の利器に頼りわれわれが手放した「粋な生活」を、手に入れられるかも知れません。


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 これまで代官山の駅に降り立ったのは2回程度だったか?
 オシャレに関心ない連中には「カンケーねぇ町」ですが、とっかかりを探しても後述の「車窓から見える踏切」だけでは、どうしたものかと……

 早速外堀を埋めるため、「代官山」の地名由来について調べてみると、江戸時代に小字(こあざ)として地名が登場し、代官屋敷や代官の山林があったとする説はあるも、資料は何も残らないそうです(渋谷区はこの手の説明に力を入れてます)。
 現在代官山町とされる地域は狭いものの、東横線の駅名とされてからは、丘陵地の総称として呼ばれるようになります。


旧朝倉家住宅(Map)


 ここは、東京府議会議長や渋谷区議会議長を歴任した朝倉虎治郎の住宅で、1919年(大正8年)に建造されました。
 都心に現存する関東大震災(1923年)以前の数少ない建造物として、国の重要文化財とされます。
 仕事がら接待や会合に利用された会議室の縁側には、畳を縦に2枚敷いたほどの大きな沓脱石(くつぬぎいし)が置かれてあり(上写真一番手前)、神社などで見かける効きめのなさそうな要石(かなめいし:地震を起こすナマズあるいは竜を押さえている)よりも、この平らで大きな石は落ち着きを与えてくれる気がします。

 以前は、付近の旧山手通りを流れていた三田用水から引き込んだ水の流れと、富士山の眺望が見事な庭園だったとされます。

 この住宅で印象的なのが「木へのこだわり」です。
 縁側のふちには、ガラス戸の動きを支えるためのレールが、金属ではなく木製のものが敷かれてあります。
 何かを引っかけたらすぐ折れそうなので、レールを短くし交換を簡単にするも普及しなかったそうです(そりゃそうだ!)。
 朝倉家は平民出身なので、貴族や財閥のように社交場とされる洋館は必要なく、接待や会議のために作られた洋間の窓(右写真)も、木枠で作られています。
 そのこだわりは材木屋出身の意地なのかも知れません……

 旧山手通りは代官山のヒルトップを通るので、その道沿いにはテレビで見たような店舗や人気のオープンカフェが並びますが、その脇に猿楽塚(さるがくづか:6~7世紀の円墳)が残されています。
 また付近からは、約2千年前(1世紀前後)の弥生時代後期住居跡や土器の破片が発掘されており、古代人も見晴らしのいい丘の上が好きだったようです(その時代はシーサイドヒルだったかも知れません)。


西郷山公園、管刈(すげかり)公園(Map)


 西郷と聞けば「西郷隆盛」ですが、この地名は弟の従道(つぐみち)に由来します。
 江戸時代の豊後竹田城主屋敷を、明治時代に従道が兄の再起を願い購入するも、その死により彼の別邸に利用されます。
 上写真は隣接する菅刈公園で、西郷邸があったのはこの付近になります。
 従道の肩書きには「元帥海軍大将・従一位・大勲位・功二級・侯爵」とあり、弟も偉かったことはまったく知りませんでした……

 上写真は、イロハモミジ類のベニシダレ(春に色づくモミジの総称)の種で、広げた羽で風に飛ばされていくようです。

 この公園を調べる際目にした、TVドラマ「東京ラブストーリー」(未見)等のロケ地となってから、代官山人気が高まったとされる辺りに、無関心の原点があったのかも知れません。

 橋の上は旧山手通りで、ヒルトップを削ったのか小さな谷だったのか、渋谷〜中目黒方面を結ぶ切り通し(下の道)があります。
 橋の上を流れたであろう三田用水(玉川上水の分水路)の痕跡は残されてないようですが、当時はこんな橋で切り通しを越えていったのではないか? と想像します。
 以前紹介した松濤園や旧朝倉家住宅に水を供給した後に、恵比寿の駅名にも残るビール工場がこの水を利用するためには、かなりの水量が必要ですから(その先三田まで供給されます)用水の施設もしっかりしていたことでしょう。


代官山の踏切(渋谷1号踏切)(Map)


 ここが代官山から唯一イメージできる、東横線の車窓から見える踏切です。
 カメラの背後は、かつて同潤会代官山アパートがあった場所ですから、そんな歴史が記憶される場所と感じるのかも知れません。
 同潤会は、関東大震災後の復興事業の一環として、世界からの義援金をもとに設立された財団法人です(国内外からの義捐金から1000万円を支出)。
 当初は被災者への住宅供給と、スラム化した住宅密集地の浄化が目的とされますが、後の日本住宅公団へと続く政府による住宅供給機関の出発点となります。
 それが再開発により「代官山アドレス:高層マンションと商業店舗からなる複合施設」(2000年)と生まれ変わり、「まだあんなアパートに住んでるんだね」が「こんなとこに、どんなヤツが住んでるんだろう?」と、印象が180度変わったことは開発者にとっては成功でしょうが、以前住んでいた人たちはどうしたのでしょうか?


 ヒルトップから東横線沿いを渋谷方面に下り、JR山手・埼京線との交差する近くの陸橋になります(写真奧が東横線鉄橋)。
 現在東横線の渋谷〜代官山駅間では、2012年度開通予定の地下鉄副都心線との相互直通運転に向けた、地下化工事が進められています。
 これまで高架で交差したJR線の線路を地下で避けるには、代官山駅からジェットコースターのように地中に潜る必要があります(どれくらいの傾斜になるのか楽しみにしています)。
 そうなればこの鉄橋は用済みとされます。
 その後の用途は未発表のようですが、桜木町の高架跡が歩道化されるような再利用をしてもらえたら、歩きたいと思う人は多いのではないでしょうか。

 それに伴い代官山の踏切(渋谷1号踏切)が無くなると、東横線の踏切は学芸大学駅〜自由が丘駅までなくなるのでは?(今度チェックします)
 踏切の数が減れば踏切事故は減るので、歓迎すべきことです。


渋谷清掃工場(Map)

 右はJR・東横線交差付近にある渋谷清掃工場で、煙突は150mあります。
 東京都の「清掃事業の特別区移管(2000年4月1日)」により、23区内のゴミ処理は基本的に区内で処理することになりますが、各区で使用可能用地の都合等もあり、ここのように駅近くに清掃工場の煙突が見える繁華街(池袋等)があります。
 都や区の事情も分かりますが、当時はスゴイ決断をしたと驚いた印象があります。
 2001年建設当時の「ハイテク」(現在耳にすると「いつまで通用するの?」と聞きたくなる)を駆使した設備で、内部の気圧を下げニオイを外に出さない、ダイオキシンを抑える等の工夫があるそうです。
 中でも最も重要と思えるのが「煙を出さない煙突」で、水蒸気も内部で抑える工夫をしているそうです。
 汚染物質は出てないしにても、煙突から水蒸気が見えるだけで「何が出ているんだろう」と感じる不安を払しょくする取り組みとされ、それはとても正しい対応と思います。

 しかし、隣接する目黒区の清掃工場との距離は1.6kmと近く、ご近所との印象があります。(23区内の清掃工場マップ
 いくら「安全」と言われても「目に見えないモノ」におびえる今どきでは、2つの清掃工場の間で暮らしたいと思う人は少ないのではないだろうか。

 清掃工場周辺には付きものの、焼却熱を利用した温水プール等も都市部では実現できず、ここでは清掃工場還元施設とさる「リフレッシュ氷川」(集会施設に老人向けのシャワーがある)や、右写真の「ふれあい植物センター」の温室が精いっぱいのようです(この施設知りませんでした)。
 ここは「グリーン」をテーマに活動を行う施設で、夏の節電対策で注目される「緑のカーテン」用のゴーヤ・アサガオのタネ配布や、温室内での「ホタル観賞会」等を開いています。
 小規模の施設ですが、都会っ子の目に「おもしろそう」と映ってくれればしめたものです。

 右写真は温室の「グズマニア」(西インド諸島原産)という植物です。


 追記
 福島原発事故における東京電力の情報開示の遅さには、(百歩譲って)現場に隠ぺい意図は無いとしても、不都合な情報を上司に伝えづらい職場環境や、意志決定権のピラミッド化(ハンコをいくつももらわねば、上層部に意見をうかがえない)が常態化しているため、非常時においても現場の状況を意志決定機関に伝える手段が無かったように見えてきます。
 そんな硬直化した組織が、IAEA(国際原子力機関)の調査が訪れた途端に、未公開の情報を次々と公表し「遅くなりました」と頭を下げています。
 これは東京電力という組織が、社会的・道義的な責任の負い方を理解していなかった(危機管理ができていなかった)ことを意味しています(JR西日本の宝塚線事故対応を想起するが、被害の大きさはその比ではない)。
 しかしIAEAの調査に対して「正直に伝え、正確な科学的判断をしてもらうべき」と考える行動は、組織が研究途上の原子力開発において「敗北宣言」したことを意味します。

 研究者が大学で基礎研究を学ぶに当たり、医療分野をはじめ口を酸っぱくたたき込まれる「研究者としての倫理感」というものが、少なくとも事故現場では生かされたとしても、世間に発表される時点で「組織の論理」にゆがめられては、科学技術はこれからも「利権」の虜とされてしまい、宇宙からの感動のメッセージも輝きを失ってしまいます……

 これまでどの政治家も及び腰だった(おいしかった?)「電力会社や背後の電源開発組織」を黙らせなければ、クリーンエネルギーによる国家の立て直しは見通せません。
 こんな状況下で総理大臣になりたい自民党の谷垣氏は、「放射能汚染をすぐ止めます!」と訴えるなら応援しますが、選挙期間すら無駄にできない実情を理解しているのだろうか?
 こんな非常事態でも協力できない政治の権力争いこそ、日本の危機という気がしてなりません……

2011/05/23

通勤電車でGO?──渋谷

2011.5.8
【東京都】

 これまでの川シリーズ(多摩川、鶴見川)では海から上流方面に向かいましたが、今回はそれ横断する方向軸として「東横沿線」を歩こうと思います。
 通勤で利用する路線という安直さですが、普段寝ぼけまなこで乗る沿線からどこまで足を延ばし関心を高められるか、というテーマになりますか……


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金王八幡神社(こんのうはちまん)(Map)

 青山学院大学にほど近い金王八幡神社は、1092年(平安時代)造営と伝わる渋谷城址にあります。
 タモリ関連のTV番組では地形の話しになりますが、ここでは名字の話しになります。

 平安時代、桓武天皇の孫で身分の低い皇族が臣下に下る(平民になる)際、「平」(他に源・藤原・橘など)の姓を賜り氏族(同じ祖先を持つ血縁集団)となり、全国に広がる中で渋谷氏という勢力が生まれます(そんな人々全体が「平家の落人(おちうど)」と称されます)。
 渋谷氏のルーツは相模渋谷氏で、神奈川県大和市の高座渋谷(相模国高座郡渋谷荘に由来)を本拠とします。

 相模原の実家周辺でも大地主の「渋谷性」が幅を利かせており、歴史的に「神奈川県大和市・藤沢市・綾瀬市一帯に勢力を張った一族」と知ると、ガキ時分のように「へぇ、渋谷さんちってスゴイんだね〜」と驚くばかりです……

 本題の東京渋谷の一帯も、相模渋谷氏の領地だったとされては、地名由来の謎解きも色あせてしまいますが、渋谷区ホームページの地名由来には
・昔、入江があったなごりの「塩谷の里」→「渋谷」
・川の水が鉄分を多く含み、赤くさびる「シブ色」だった→「シブヤ川」
・渋谷川の流域の低地が、しぼんだ谷あいだった
 などの説が掲載されます。

 東横線渋谷駅付近で地表に現れる渋谷川のコンクリート河川敷が、赤さびに染まる印象があったので「シブ色」→「シブヤ川」説と思っていました。
 流域に分布する渋谷粘土層は、上部の赤土(関東ローム層)から溶け出した鉄分を受け止めてわき水とするため、水を赤茶色に染める原因とされます。
  現在も渋谷付近の井戸水には、全国平均の24倍にあたる鉄分が検出されるそうです。


 しかしこの神社の伝えでは「渋谷城を築き渋谷氏の祖となった河崎基家に……」とされ、社名も金剛夜叉明王の化身として生まれた息子の名「金王丸」によるとされます。
 その金王丸は、源頼朝による義経討伐の先鋒に立つも敗れますが、義経討伐の流れは大きくなっていきます。(上写真は能舞台)

 この説明には家系図が示されており、その記述によればこちらの方が祖先のように見えますが、家系図というものには重みが感じられるので、信憑性抜きでも相手を納得させる力があったりします。
 この主張の違いを分析できるほど知識はないので、ここは私見として、丸く収まりそうな「シブ色」でいかがでしょうか?(そこが渋谷区の立ち位置だったか、と納得)

 本神社は江戸時代に徳川家の信仰を得て、特に3代将軍家光(大河ドラマ「江」の息子)の乳母である春日局の信仰は篤かったそうです。

 ここは八幡宮に隣接する豊栄(とよさか)稲荷神社で、入口付近に「百度石」があります。
 時代劇ではよく見かけますが、神社を歩く機会が多くても見かけませんから、近ごろでは参道に立ってないようです。
 「お百度参り」は鎌倉時代の記録に、百日間毎日参拝する「百日詣」として登場しますが、簡略化・急を要する祈願で、一日に百度参る姿となったようです。
 それが今どきでは「1度お参りすれば、100回分の御利益がある」などとよく耳にしますから、神頼みも年々ずぼら化している気もします(もちろん現在でも、お百度を踏む熱心な方はおられるのでしょう)。


屋上遊戯施設(東急東横店)(Map)

 渋谷にはデパートが多い印象があるので「屋上遊戯施設」を調べてみるも、今や東急東横店(駅ビル)だけだそうです。
 東急東横店には、東・西・南館があり、西館は「アディダスフットボールパーク」、南館はベンチだけが置かれた喫煙スペース(ここが有閑おばさんの格好のたまり場なのには驚きます)ですが、東館には「ちびっ子プレイランド」が健在です。
(写真奧は旧東急文化会館跡地に建設中のビル)


 デパートの屋上に幼児向けの娯楽施設があるのは、お母さんの買い物に飽きた子どもとお父さんの解放区が必要なためでしょう。
 子どもは遊び、お父さんは昼寝し、そのおかげでお母さんは買い物に専念できる、見事なシナリオと思います。
 しかし、渋谷には若者向けの店舗が増え、ファミリーは繁華街ではなく郊外のショッピングセンターに足を運ぶため、渋谷の屋上施設はここだけとなりました。

 ガキの時分は「デパートで買い物=屋上施設+お子様ランチ」だったと思い出し、サザエさん一家は現在もデパートに買い物に行くことを想起しました(磯野家に車はないので、郊外のショッピングセンターには行けません)。
 原作者の長谷川町子記念館は桜新町(田園都市線)にありますから、買い物先は渋谷をイメージしたのではあるまいか(二子玉川にお買い物ではファンを裏切ります)。

 ちなみに東急東横店・東館は、暗きょ化された渋谷川の上に建てられたため地下フロアがないそうです。


スクランブル交差点(Map)

 渋谷で避けられないのがスクランブル交差点で、ここを撮るなら見下ろす視点でと思い調べてみれば、その手のロケーションは、映画・テレビ撮影向けの有料施設とされることに驚きました。
 東急百貨店屋上にどこかスキはないかと思ったものの、百貨店自体もロケーションサービスを提供しているので、きっちりシャットアウトされています。
 スクランブル交差点ロケーション協定、みたいなものがありそうです。


 撮影場所は井の頭線からの通路で、振り返ると岡本太郎の巨大壁画『明日の神話(あすのしんわ)』が広がります。
 本作は1954年第五福竜丸が、ビキニ環礁で行われた水爆実験に遭遇し被爆した際の、水爆炸裂の瞬間をテーマにしています。
 この場所に設置されたのは2008年ですが、とても力強い絵でインパクトがあるので、現在も絵を見学する方が訪れています。
 しかし先日イタズラで、下部に福島原発事故を表現するようなパネルが張られました。
 現在の社会状況からすれば、ジョークを伝えたい気持ち(アピール)は理解可能でも、他人の美術作品の力を借りるような姑息な手を使うべきではありません。
 やるなら堂々と、ハチ公前の巨大ディスプレイをジャックするくらいの心意気が欲しい気がします。


 イタズラされるからではなく、この場所にあの絵がふさわしいのか疑問に思います。
 多くの目に触れる場所であっても、通勤で毎朝「原爆の絵」を意識していたのでは士気に及ぶと思うし、ゆっくり観賞したい人には落ち着かない環境ではなかろうか。
 でも、消化不良で宙ぶらりんの状況に置かれることこそ、現在のこの国への問題提起なのだ、と言われれば反論できない気もします……


鍋島松濤公園(なべしましょうとうこうえん)(Map)

 江戸時代に紀州徳川家屋敷のあった土地が、明治時代に佐賀鍋島家へ払い下げられ、この地に開かれた茶園「松濤園」が現在の地名由来となります。
 以前から「松濤:松の枝を揺らす風の音を波の音にたとえる表現」の響きに品が感じられ、引かれるものがありました(ただの高級住宅街ですが……)。

 何でこんな場所に足を運ぶかというと、以前Bunkamura(東急本店)で映画を観る際、混雑時は整理券をもらってからの時間つぶしに、静かな場所でボーッとできたからと思います(2007年に爆発事故を起こした「松濤温泉シエスパ」は閉鎖された姿で残っています)。
 話しはそれますが映画館ついでに、先日付近の歓楽街にある映画館のレイトショーに立ち寄り驚いた件を……

 昼間でもいかがわしい印象のある一帯を社会見学と歩いてみれば、ホテル街を健全に利用するアベック(?)は好きにすればいいのですが、メモを持った派手ないでたちの女性が、人目をはばからずひとりでホテルに入っていく姿には、見知らぬ他人でもひとこと言いたくなります。
 また歓楽街の表通り(?)にはライブハウスが並ぶようで、店の前に群れる連中のテンションの高さに、文句を言ったら袋だたきにされそうな雰囲気があります。
 めったに歩かない場所ですが、遭遇する状況ごとに「危うさ」(発散の場とはそういうものか?)を感じるようですから、オヤジを自覚してしまいます。
 「映画を観に来た」といったら「青いね」とか言われそうな、熱さが感じられた気がします……

 以前この池には、三田用水(玉川上水支流で渋谷川とは違い尾根地を通る)から松濤園の茶を育てるために分水が注がれ、その流れは渋谷川に流れ込みます(現在は暗きょ)。
 
 何だか、川や水の話しが多かった気がするので、川の話しにすればよかったかと思っています……


 追記
 津波で流されたクレーン船が、700km沖合で発見され引き戻されました。
 2ヶ月で1000km以上漂流した船もあると聞き、確かに見つけて戻してあげたい気持ちも理解できますが、違った意味で沖縄に伝わる「ニライカナイ」(海のかなたにあるとされる彼岸)から、死者の魂を引き戻すような印象を受けました。

旅立った魂
 「陸も見えなくなり未練も断ち切ったから、覚悟はできている……」
引き戻そうとする魂
 「キミは戻ってこれからも活躍できる、この手を離すんじゃない!」

 これは単なる空想ですが、「あきらめるな!」(きっと見つけ出してやる)という力強いメッセージと受け止めました……

2011/05/09

住民の満足度はいかに?──多摩センター

2011.5.7

 政府が静岡県浜岡原発の運転停止を要請したことは、震災後の対応で初めて先手を打ったとされるかも知れません。
 「超法規的判断」との批判もありますが、現在の国民には「そんなこと当たり前」の空気があり、他の原発でも福島同様の事態が起こりうるわけですから、「危険なモノは排除しろ」という一種パニック的な動揺が広がりつつあります。
 その判断を英断ととらえる向きもありますが、それは大きな間違いで、国民は福島原発の事故以来「原発の無い電力事情の覚悟」ができているのに(高コストでも安全が第一ですよね?)、仲のよさそうな電力事業者と官庁・政治家の関係者をなだめる時間が必要だった、と思われても仕方ありません。
 その言い訳に利用したであろう「緊急事態」の言葉も、ズルズル先延ばしとなっては主語が「国民」から「政府」や「企業」へと変質してしまいそうで信用なりません。
 現政権はいずれ見限られるにしても、政治の空白は避けたい時期なので(それは政党ではなく国民が判断するもの)「やってもらいたいことはやらせよう」という、国民側の意志が彼らを動かしていると感じる面があります。

 国難に際し国民が「みんなでがんばろう!」の意志を持つことに、主権在民(企業ではない)の言葉を思い出しますが、その国民の強い意志にこの国を変える可能性が感じられる気がします。
 GWのボランティア熱のような一過性で終わらないことは、正念場とされる夏の電力不足が関東・中部圏の社会活動を直撃し、その対応に人々の知恵や工夫を求められ続ける点が、これまでの状況とは異なることによります。


2011.4.28
【東京都】


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多摩センター


 多摩センター駅周辺の都市計画で、メインストリートとされるパルテノン大通りの突き当たりには「パルテノン多摩」が構えています。
 1987年(昭和62年)にオープンした多目的ホールで、多摩ニュータウンの文化の殿堂を目指し、丘の上にあることからギリシャの「パルテノン神殿」にちなみます。
 その中央階段の上に「きらめきの池」広場があり、上写真は大通りの延長線上に位置する池の奧にあたります。
 要するにこの町のシンボルであり、町づくりが目指す志や心の支えとされる存在が示される場所には、鳥居をイメージしたと思われる「赤い門」が連なり、その奧には木々が生い茂っています。
 おそらく「森への感謝」を表現したいのでしょうが、「古神道(こしんとう:自然崇拝的な性格を持つ)」のような自然への畏怖(いふ)を表すにしても、ガラガラと山を削って開発された地域が抱く「思想」にふさわしいとは思えません(この木々の裏の谷間には住宅街が広がります)。

 これまでも大型宅地開発の失敗例として目の敵のように扱ってきましたが、自分の目で検証するために歩こうと思った矢先の出会いです。


 まず上写真下側の斜面を下る通路について。
 この下には丘陵地を削り込んだ道路が通っていて、降り口をバリアフリー(自転車用)にしたスロープの様子です。
 丘陵地の宅地開発では、どうしてもこのような高低差のひずみが出てしまいますが、自治体は結局町づくり整備に「駅周辺の商業施設誘致」「公共施設・公園・文化施設整備」「道路整備」しかやってくれないことをこの地域は示しています。
 それは、車利用を前提にした町づくりともいえます。
 車を利用すれば便利な町かも知れませんが、そうでない人には極めて不便な町と思えるのは、商業地域は駅周辺に一極集中していて、住宅街には商店やコンビニが無いことにも感じられます。
 個人商店の採算性が無理なら、大資本でも店舗整理されてしまいます。
 これでは郊外の町ではなく別荘地的な町という印象ですから、一人暮らしのお年寄りが買い物に行けない状況も当然と思われます。

 上写真上側の桜並木とその間に設けられた幅30m程度の芝生地帯は、おそらく1kmほど伸びていて、花の季節にはとてもにぎわう場所になりそうです。
 グリーンベルトの必要性は理解できますが、道路が横切ることをアピールしてしまうので、その開放感は分断されたモノになってしまいます(カメラ側には、グリーンベルトの連続性を邪魔する構造物があります)。
 造成当時の造園・建築家はモノを作りたがる時代だったようですが、足し算で飾るだけでなく「引き算の勇気」を鎌倉(禅思想が広まった)時代から日本人は持っていたはずなのに、と思ってしまいます……

 グリーンベルトから続く遊歩道には、遊具広場や、ツツジ山など、手を替え品を替えの景観が続きますが万策尽きたかのように、以前紹介した川和富士のような山が出現します。
 丘陵地なので高低差が20m程度あれば見晴らしもいいですし、芝生に覆われた斜面ではお弁当を広げて、子どもたちが走り回るのでしょう(横になってゴロゴロと転げ下りて服を草だらけにしそうです)。
 写真のお年寄りが山頂に腰掛け周囲を眺める姿を、背景に広がるマンション群をバックに撮ったものの、イメージした「ため息交じり」ではなく「気持ちいい散歩」という、コントラストのない絵になってしまい取り下げました。
 気分が晴れる場所であることに違いありませんから、邪魔しないうちに退散です。

 パルテノン大通りと交差する繁華街に、ディズニーランド(以下TDL)のトゥーンタウンのようなパステル調に彩られた一画があり、その道は「サンリオピューロランド」へと続きます。
 宝塚もそうですが、大きなサーカステントが張られてある、という感じでしょうか。
 ジェットコースター等のあるTDLはまだ分かるが、ここも宝塚同様「太陽の下では魔法が解けてしまう夢の世界」(それを「全天候型屋内テーマパーク」と言います)という印象を受けるのですが、この辺で控えておきます。
 テーマは「幸せとは愛することを知ること」だそうで、それは何となく理解できる気がします。
 で、何できたのかといえば、電車から見えるこの尖塔がどうなっているのか見たかっただけです。シンデレラ城の尖塔とどう違うのかしら?(休園日で助かりました)。

 多摩モノレール(右写真)は、東京都・西武鉄道・京王電鉄・小田急電鉄等の出資による第三セクター鉄道会社で(西武も入っていたのね)、上北台〜多摩センター間を運行しています。
 周辺にいくつも大学があり利用者も多く見えますし、利用者収入は右肩上がりで伸びているようですが、建設費用がべらぼうにかかったため、都の追加出資や債務の株式化による借金棒引き等、湯水のようにジャブジャブとお金をつぎ込んでいるようです(これを知りたいわけではなかったのですが「ヘェ〜」と思ったので参考までに)。
 多摩ニュータウンというのは、それだけ東京都の活性化に期待されてきたようですが、その成果は?
 都の見解ではなく、住民の満足度について聞いてみたい気がします。

 本題としたかったのはそんな重い話しではなく、町がある程度できたころに設置された路線なので、主要駅(多摩センター、立川等)周辺では、既存の構造物を避けるために高層化が求められるので、とても高い場所を走る路線であることを伝えたかっただけです。
 この路線は、都市部だけでなく起伏の激しい丘陵地を上り下りする際にも、ジェットコースターのような迫力が楽しめるので、是非、先頭の席で楽しんでみてください(立川駅周辺だったか、数えたら7階ほどの高さでした)。

 同じように丘陵地をかなりの速度で走る懸垂式(けんすいしき)の湘南モノレールも、跨座式(こざしき)の多摩モノレールもゴムタイヤを使うので、車輪とレールに金属を使う鉄道よりも勾配に強いことは納得できるところです。
 急勾配をグイグイ登る登坂力の違いは、動力にあるのかと思っていたら、とても分かりやすい理由でした。


 号外!──国仲涼子ちゃんと遭遇@用賀(5月6日)

 以前紹介した、用賀プロムナード「いらかみち」を歩いていると、脇道にロケバスが止まっていたりスタッフらしき群れがあったので、何かの撮影をしている様子がうかがえました。
 ちょうどシーンを撮り終えたようで、スタッフも散り始めたころです。
 何を撮っているのだろうと用賀駅方面に向かっていると、前から女性3人が歩いてきます。中央の女性がビシッと決めたスーツ姿なので取材陣かと思い「レポーターじゃ分からないなぁ」と思いながら、至近距離に入って目を向けてみると国仲涼子ちゃんでした。
 目が合った瞬間、目がハート型になっていたか、表情が硬直していたかは分かりませんが、声にならずも口が勝手に「涼子だ」と動いていたような記憶はあります。
 その瞬間彼女は「あっいけない、目が合っちゃった」との照れ隠しのようなしぐさが、まさに彼女のイメージ通りであることに「まちがいない!」と……(フジ系列ドラマ「幸せになろうよ」か?)
 撮影終了直後ですから、バッチリ決まった姿を目にできたわけで、そりゃ「完璧な姿です」。
 『ちゅらさん』ファンですが(お母さん役のスーちゃんの告別式ではボロボロでしたが元気そうでした)、あれから11年経っても一向に上手にならないと、応援の力も弱くなってきました。リラックスできる役柄では、ナチュラルで素敵な姿が見られるのに……
 突然の出来事なので、舞い上がっていたのでしょうが、振り返ることもできなかったのは、自分でも驚きました。

 撮影場所からロケバスまでの100m程度の間で、すれ違うには1分でも前後したらあり得ないわけですから(そこですれ違っていた人はわたし以外に2人程度)、若い娘なら「運命感じちゃう〜」となるのでしょうが、その点オヤジは「いい年して、ときめいちゃった」となります。

 意味もなく歩き回っているとお思いでしょうが、たまにはいいこともあるのです……

2011/05/02

エネルギー政策転換への「気運」を活用すべき時
──小山田、鶴見川源流

2011.4.29

 これまでにない規模の「ボランティア ウィーク」がスタートしました。
 人間には到底太刀打ちできない、圧倒的な自然の脅威を見せつけられたときわたしたちは、手を携えて助け合うことで危機を何度も乗り越えてきたはずです。
 実際に被災地に足を運び「できることは何でもしてあげたい」と行動する方々には頭が下がりますが、自粛でなくてもレジャーに出かける気持ちになれない方は多いようですから、この連休を「足元を見直す」機会にしてもらえば、休み明けはスッキリできるかも知れません。
 それは案外単純なことで、これまでの生活・行動習慣を「どうすれば守れるのか」と考えるのではなく、自分から能動的に「これなら自分にもできる」と切り替えるだけで気分も明るくなりますし、個人個人の意欲の高まりが復興の原動力につながるのではないでしょうか。
 「何も手伝えない」と考えるのではなく、微力ながらも「自分にできることをやっている」との、問題の共有意識(みんなと同じである)を持つ事が、この島国で生きるためには必要ではないかと思われます(決して全面肯定の立場ではないが、この国を盛り立てる気の持ち方としてはとても重要です)。


2011.4.24
【東京都】


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小山田谷戸

 鶴見川源流域の「泉ひろば」を目指すアプローチとして、今回は小田急多摩線唐木田駅からのルートを選びました。
 多摩ニュータウン周辺には、京王・小田急線の鉄道と多摩モノレールが通っています。
 京王相模原線は、JR横浜線橋本駅まで伸びているので利用する機会がありましたが、小田急多摩線は唐木田駅で途切れているため利用機会が無く、一度降り立ちたい駅でした(構想としてはJR横浜線相模原駅〜JR相模線上溝駅への延伸提案もある)。

 新興住宅地のサービス業店舗というのは、概して若いファミリー向けを意識しているので、マクドナルドはあるが一杯飲み屋は無いような、オヤジたちは駅前で引っかからずに家と会社を行き来すればいい、という環境になりがちです(駅周辺に会社が無ければ、飲み屋もできません)。
 マンション等のコンクリートは目につくものの、駅前にコンビニは1店舗しかありませんから、まだ購買力を望めない地域のようです。


 今回の震災で「コンビニ店舗乱立の存在意義」を理解した面があります。
 ライバルチェーンとは流通経路も違い、地域の差(物流拠点の立地の違い)があるため、例えば同じ地区の「セブン系列では弁当系は強いが、飲料水系は弱い」一方で、他のチェーンでは逆の状況だったりと、入荷状況がまちまちのため、欲しいモノを手に入れるために何軒かハシゴする機会が増えました(それはスーパーでも同様です)。
 乱立する地域も、1店舗では「コンビニ=便利」の機能を果たせずともライバル店舗がそれを補完する状況に、本来とは違った存在意義を納得したので、1店舗しかないこの地域はとても不便だったことが想像されました。
 この地域では車が買い物の足のようですが、手近な買い物には苦労したことでしょう。

 多摩センターのとなり駅ですが、コンクリートを背にして歩き出した途端に「のんびりとした空気」にひたることができます。それは高い建物が目に入らないせいなのでしょう。
 車が主要な移動手段の地域なので、中央分離帯を広くするより道路拡張が必要とも感じられますが、将来の高速道路建設用地なのかも知れません(現在横浜市街から東名・中央高速への道は国道16号しかありません)。
 おそらくそんな構造物が目に入ったら、のんびりなんて感じられなくなりそうです。

 上から4枚の写真は小山田谷戸のもので、そこを取り囲む丘陵地には「東京国際ゴルフ倶楽部」が広がります。
 歴史も半世紀に及ぶためかローカル色を感じさせるアバウトな敷地管理のままで、子どもなら入り込めるようなスカスカな垣根や「立ち入り禁止」の看板だけのゲート(コース移動路は一般道と交差する)があったりします。

 その一般道と交差する場所で見かけたゴルフカートが「ここではカートから降りて歩いてください」のアナウンスをしています。
 公道を横切る際は交通法規に抵触しそうですが「降りたらカートはどうなるの?」と思っていたら別の場所で、運転席には誰もいないカートが後部座席に人を乗せて走っています。今どきゴルフ場のカートって自動運転なの?
 まあ、走る場所は決まっていますから可能と思いますが、後部座席に乗ってた人たちは歩くのイヤだったんでしょうね……

 前置きが長くなりましたが、それだけ気分がいいというか、以前からの環境を見事に保っている谷戸(丘陵地が浸食された谷地形)に感激したせいかアンテナが敏感になっていたようです。
 川の源流というのは一般的に水源は一個所ではなく、そこここからジワジワとしみ出したわき水が平地を浸して、尾瀬の湿地帯を想起させるような「ベチャベチャ」な場所になります。
 そこで稲作等を始めた人たちが、水の出し入れを管理するために田んぼの区画をあぜで仕切ったため、わき水は水路を流れるようになります。
 最上流の田んぼは健在ながらも(右写真)、その下流の耕作が放棄された場所(?)は湿地帯のような姿で残されています(私有地の看板あり)。
 想像するに、ゴルフ場が一帯を買収するつもりも、谷戸周辺の農家が虫食い状態で居残ったため開発を断念し(例えば36ホールを18に縮小等)自然公園に提供したことから、奇跡的に原風景をとどめている地域のように思われます。

 初めて訪れましたが「いい場所を見つけた!」と、季節ごとに訪れたい場所が増えたと感激しています。ここは、オススメの散策路です!
 現在まで生き延びてきたのですから、この先も保全して欲しいと切に願う環境です。


 カメラをぶら下げているのを目にしたのでしょう、犬の散歩をしていたおじさんに声を掛けられました。
 「何を撮っているの?」から話していると、娘さんがプロのカメラウーマンで自宅をギャラリースペースにしているとのこと。
 結局はその宣伝をしたかったのでしょうが、地域の魅力やシャッターポイントなど教えてもらったので、また来なきゃと思っています。
 何かの縁ですし「GalleryRoots類(Rui)」をリンクしておきます。
 

大泉寺


 時間次第で寄れればと思っていた大泉寺ですが、おじさんに強く勧められ足を運びました。
 立派なお寺でもここは旧道に面しているため、以前バス通りを歩いた際には意識すらせずに通過していました。
 曹洞宗の禅寺で三門は立派ですが、本堂はコンクリート造りになっていました。
 以前、柿生付近で立ち寄った修廣寺でも目にした「回向柱(えこうばしら:修めた功徳を自らの悟りや、他者の利益のためにめぐらすための白木の柱)」がここにもありますが、書かれた文字は味があるという代物ではなく、煩悩を振り払うだけではなく、書の修行にも励まないと求心力を失ってしまうのでは? と思うような書でした……


 バス停の待合所です。
 多い時間帯でも1時間に1本程度のローカル路線ですが、都内(町田市)にこんなバス停が残されているのは驚きますよね。
 広告・宣伝の原点のような地域情報が壁一面に貼られてありますが、もうほとんど役に立ってないと思うものの、これが皆健在だとしたらちょっとスゴイと思っちゃいます。
 保存運動があるのかとも思いますが、誰も気にせず迷惑でなければ使えるうちはそのままでいいんじゃないの等、いずれにしてもこの地区の姿勢を「主張」していることに違いありません。


鶴見川源流 泉ひろば


 ここは「鶴見川源流 泉ひろば」とされる場所ですが、厳密には源流ではありません。
 水のわき出し口にも人工的な構造物が見られますが(透明度が高い)、川をのぼってきた者にはひとつの達成感を与えてくれる施設です。

 経緯としては、1989年源流域の山中を通す川崎市の上水道トンネル工事により水が枯れてしまい、地元民の川崎市、町田市への働きかけによってこの泉ひろばが開設されます。
 水が枯れた当時は、以前から生息していたハヤを救出するためのボランティア活動が行われたそうです。
 田園風景の広がる地域ですが南大沢方面への抜け道なのでしょう、すれ違えないような道幅でも車の通行量が多い場所ですし、宅地化の波が徐々に近づいています。


 「これが鶴見川の源流!?」と思うほどの透明度ですが、川の源流はどこだってキレイなはずです。
 現在では、水源地付近の地表にはさまざまな構造物が建てられていますから、透明度だけで「キレイ」とは言えませんが(飲用に適するかは不明)、見た目の違いにはインパクトがあります。
 何でこの水が国内の「ワースト」に入るような「汚れた川」になるのかといえば、それは流域で生活・社会活動しているわたしたちが汚していることに他なりません。
 流域面積の多くを占める横浜市や東京多摩地区などは、丘陵地を削る宅地造成が極端に多い地域ですから、その流域から雨水を浄化する雑木林が失われ、コンクリートで覆われた地表にたまったゴミが流れ込む排水路にされてしまうと、川だけの力ではどうにもできない「どぶ川」となってしまいます。
 その状況を「汚い」「臭い」と一方的に、「国」「自治体」の責任に押しつけていいものか疑問に思います。
 現代に生きる者にとって主要なテーマである「暮らしやすさと環境への配慮」という課題を、自宅周辺だけでなく「誰もがどこかの川の分水域内(流域)に暮らす」という意識に広げられれば、そこには自然と海へとつながる意識が芽ばえ、環境への関心が高まっていくはずです。


追記
 これからの日本再生に向けてのビジョンとして、素晴らしい考え方と共感した意見を伝えたく……

 震災前から漠然とクリーンエネルギー技術の採算化実現が、近い将来の輸出産業の要になると考えていましたが、それと同時に国内のエネルギー政策をクリーンエネルギーに切り替えられれば、地方活性化を促進できるという提案に、原発事故がなければ考えもしなかったと、目からウロコの思いがしました。
 ノーモア原発の現状から、エネルギー政策の転換は必須の状況にあります。
 求められるのはクリーンエネルギーですが、総発電量はまだ少ないので例えば各都道府県(市町村単位でもいい)に配備し、各自治体で管轄内の電力をまかなうことを目標にすれば、小規模でいいため可能性が見いだせそうな気がします。
 自然エネルギーはどの地域でも作物を育てられるように、ある程度均等(冬の日本海側は風力に切り替える等)に「資源」として与えられています。
 それを利用できれば、地下資源のない日本全土で、新しいエネルギー資源が得られることになります。
 これが実現すれば大変なことで、各自治体が競ってクリーンエネルギーを生み出していけば、電力代が不要になり加工品のコストが抑えられ(農作業のトラクターや漁船も電気が動力になるかも知れません)、地域格差なく社会活動の底上げが実現します。
 徐々にでもUターンする人が増えていけば、地方再生の道が開けることでしょう。
 将来的には、その時流には乗れないであろう大都市圏へ電力を売れるようになれば、エネルギーが地場産業になるかも知れません。

 それはまさに「WEBのようだ」との話しでしたが、中央集権ではなく地方分権で全国が等しく分担を負い、支え合う仕組みこそがこれからのこの国にふさわしいと、共感しました。
 これは技術ではなく「かじ取り」の問題なので、震災・原発事故をきっかけに生まれた「気運」で「大きな山:国策の大転換」を動かすべきと思うところです!

2011/04/25

街道は敵にも開かれる──鎌倉古道、薬師池

2011.4.22

 4月22日に福島原発の20km圏内が警戒区域とされました。
 外野からは、なぜ早々に思い切った「退避命令」を出せなかったのか疑問に思います。言い訳的な「諸事情」があったにせよ、国民の安全は国家の最優先課題とされない、と受け止められても仕方ありません。
 避難住民への情報提供不足が「避難指示」を無視した、自主判断による一時帰宅の車列を生み出しました。
 該当地域の住民からは「どれくらい危ないのか分からない」の声が聞こえるということは、十分な説明責任を果たしていないことになり「テレビを見れば分かるだろ」では職務放棄となりますし、避難所で全員がテレビを見ているとも思えません。
 放射能汚染による避難者も保護・補償を受ける権利が認められたわけですから、避難所ではなく仮設住宅レベルの対応が求められます。
 外部から勝手な事を言って失礼ですが、(場所によりますが)「数年レベルの時間がかかる」との専門家の見解に対して、当事者たちは「何でそんなに時間がかかるの?」と、とまどうインタビューを見ました。
 「先が見通せない」状況は分かりますが、謝るだけでなくその旨をキチンと避難住民に説明する義務が東電や国にはあるはずです。
 それでも住民たちは「自主」ではなく「強制避難」とされたことにより、やっと国の保護下に置かれたわけで、苦難の道に変わりありませんが、ようやく再興への後ろ盾が得られたことになります……


2011.4.17
【東京都】


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薬師池公園

 お花見(国民の儀式)も終わったので、再び鶴見川流域を歩きます。
 薬師池公園は鶴見川本流(谷本川:やもとがわ)に流れ込む支流の源流域で、東京都町田市立の公園になります。
 以前は福王寺溜池とされ、名称の由来は寺の薬師堂によります。
 付近には、町田リス園、えびね(ランの仲間)苑、ダリア園、ボタン園等が隣接し人気もあり、駐車場に入る車で渋滞しています。
 ダリア園は障がい者の働く場としてまちだ福祉作業所が運営していて、花の時期に合わせた6月20日~11月3日だけ開園します。
 池の下流には蓮田(はすだ)があり、千葉市検見川の落合遺跡で発掘された2000年以上前の古代ハスの実から発芽した子孫を株分けしてもらい、群落となった姿を見ることができます。
 そんな環境整備を評価されたとの自負でしょうか、町田市は「観光地」と胸を張っているようです。
 後に紹介する里山風景との調和には落ち着きが感じられることもあり、リピーターを呼び込んでいます。

 秋の写真を間違えてアップしたわけではなく、若葉のころから葉の赤いモミジ・カエデ類があり、この時期としては目を引く存在です。
 古くから「ノムラ」「ショウジョウ」など、園芸品種として手が加えられたものは多種あるようです。
 中には葉の色が、赤(春)→緑(夏)→紅(秋)と変わる種もあるそうで、それを「いとをかし」とする道楽もあるようですが、木にすれば迷惑なだけという気もします。
 赤い葉でも光合成って行われるのだろうか?
 もしその活動が抑制されるのであれば、春に赤い葉を見られなくても結構ですから、光合成に励む木にしていもらいたいと思う近ごろです。


鎌倉古道

 鎌倉古道「上ノ道(高崎方面への道:記録では「下道」とされる)」がこの地を通り、峠付近には「鎌倉井戸」のなごりがあります。
 何も丘陵地の峠付近に井戸を掘らなくてもと思いますが、戦闘に際しての休息場所に見晴らしの良さは必須ですから、給水ポイントの立地条件には最適だったようです。

 鎌倉時代に幕府の所在地鎌倉から放射状に各地を継いだ道を「鎌倉街道」と呼んでいますが、当時の記録にはその名称は見当たらず「鎌倉へ通じる古くからある道」をひっくるめた総称のようで、由緒等も不明とのこと。
 そこに世界遺産登録でブームになった「熊野古道」にならい「古道」の表現が使われるようになったという気もします。

 幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道なので、調べてみると数々の戦闘に街道名は登場しますが、われわれの記憶に残るのは、幕府を攻め滅ぼした新田義貞の名前だけです。
 ここもそうですが、他の場所でも案内板には同様に「新田義貞が鎌倉攻めの際に…」と書かれてあります。
 記録に残るとしても、義貞があちこちの道を攻め上れるわけもないので、「鎌倉攻めに加わった新田の軍勢が…」程度の理解でよさそうです。
 それにしても街道が「いざ鎌倉」ではなく、攻め込んできた敵勢の記憶として残されていることは、当時の庶民たちは鎌倉幕府(北条氏の支配)をこころよく思ってなかったのでは? という気もしてきます。


七国山(ななくにやま)

 以前は頂上から相模、甲斐、伊豆、駿河、信濃、上野、下野の七国を望めたことによります。
 ──映画『となりのトトロ』で、サツキ、メイのお母さんが入院していたのは七国山(しちこくやま)病院。

 丘の上の雑木林は残され、林〜農地〜住宅地への移り変わりが景色として違和感無く、調和の取れた土地利用という印象がありますが、歩いてみると結構急な斜面だったりします。
 息切れして歩くような場所に建てられた家々は、新興住宅街に見られるような外観ですが、その周囲には以前と変わらぬ「豊かな里山」に見られる雑木林や桜の大木が点在しています。
 七国山の斜面には「こころみ農園」(身体障害者がしいたけを栽培)や市民農園があり、この日も多くの方が手入れをしています。
 近くには、農業支援を目的とながらも散策者も休憩所にできる「ファーマーズセンター」があります。
 この町田市の注力の成果なのでしょう、里山の農地で人が多いわけでもないのに、何となく「ザワザワ」している印象を受けるのは、「里山の活気」と言えるかも知れません。
 花の季節という陽気の良さもありますが、町田市が「観光地」と胸を張る気持ちが理解できた気がしました。


 薬師池公園に隣接した谷戸の農地脇では、一本の桜の大木が満開を迎えています。
 近所の方々でしょう、農地に大きなシートを敷いてお花見をしています。春らんまん、極楽のようなひとときを過ごしたことでしょう。都会よりは少し不便でも、まるで別世界のような体験ができます。
 「ならばここを計画停電地域にしよう」とされたら、許されるものではありません。
 申し訳ないと思いますが、東京23区内が停電するとインターネットも止まってしまう恐れもありましたから(大動脈はどうしても大手町付近に置きたかったようです)、ご理解いただきたいところです……

 再び現状に戻りますが、東電及び原子力保安院の対応には常々、彼らは事態の収拾よりも「新たな研究材料」という視点で状況を観察しているように映り、腹立たしく感じる面があります。
 今後は、放射線の健康への影響について長期間にわたり調査をするそうですが、原爆投下後に米国が行った、被爆者の健康状態モニター(いわゆる人体実験)と同様の「データ収集」に思えてなりません。
 今回は、能動的に放射線をばらまいてないにしても、その対応は慎重に取り組まないと、幕末の会津藩のようなかたくなな姿勢を取られてしまうと、周囲も困るのではないでしょうか……


追記
 元キャンディーズのスーちゃん(田中好子)が亡くなりました。
 普段、有名人の悲報には驚かないのですが、まだ若く年代も近いこともあるせいか、声をあげてしまいました。
 特にキャンディーズのファンではないにしても「やせたね」の印象や、目にする度に好感度を上げていった時期から病気と闘っていたことを知ると、言葉が出てきません。
 特に印象に残るのは映画『黒い雨』(故今村昌平監督)ですが、TVドラマ『ちゅらさん』では、おばあ(平良とみさん)より先にお母さんが亡くなってしまっては、続編の芽も絶たれてしまいます。
 ラジオから流れる『微笑み返し』がこんなに悲しく響くとは……
 ご冥福をお祈りいたします。

2011/04/18

上を向いて歩く国民の儀式──震災後一ヶ月

2011.4.18

 近ごろ上を向いて歩く人が多いのは、リレーで『上を向いて歩こう』を歌うCMのせいではなく、満開の桜に表情がゆるむ時節によるものでしょう。
 活発な地震活動が続く日々の、つかの間の楽しみだからでしょうか、例年以上に明るさやまぶしさが感じられる気がします。

 大地震から一ヶ月が経過しても余震や誘発地震が多いことにウンザリさせられられますが、地震研究でも事の重大さ(千年に一度という大地震)に見直しが迫られています。
 情報収集・分析が進む中で、M(マグニチュード)9規模の地震を引き起こすメカニズムについては、研究どころか意識すらされてなかったことを思い知らされ、一から考え始めねばという状況のようです。
 これまでは耳なじみのある、東海(静岡〜愛知)・東南海(紀伊半島)・南海(高知)沖の海底で起こるとされる地震を、発生頻度・研究のしやすさからM8規模の地震発生域となる3ブロックと考えていました。
 それが連動した場合にはM9規模の地震も起こりうるという認識でしたが、それに匹敵する規模の地震が一度に起こったことになります。
 M8とM9の規模では地震発生エネルギーに約30倍の違いがあるので、これまで考えられてきた発生メカニズムモデルが当てはまらない事態に直面しています。
 不鮮明な古文書記録から推測するしかなかった大地震を、「こういうことだったのか」と初めて経験したことになります。
 今回の大災害で言い訳的に聞こえ嫌いなった「想定外」という言葉ですが、経験してないことを想定する「想像力」を養うことが研究だとすれば、人類は地球についてまだ何も知らない、という原点に立ち返って研究に取り組む必要性が証明されたことになります。

 その研究成果の市民への還元について防災の観点からは、現在鳴りっぱなしの「緊急地震速報」を、精度を向上させ信頼性を高め、実現可能な最大の防御とするしかない、というのが現状と思われます。
 「はずれ」は多くとも、心構えができるだけでも画期的なシステムだと思います。「はずれて良かった」と思っていただければ……


2011.4.10
【東京都】


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日比谷公園(Map)

 映画街は日比谷・有楽町か新宿という時代によく来ましたし、帰りにこの公園で一服した記憶があります(あこがれ的な場所だったのでしょう)。
 スキあらば寄りたいと思いながらも、近ごろでは機会は激減していますが、訪れる度に「都会のオアシス」を再確認させられます。
 部分的には変わっているのでしょうが(こんなに飲食店が多かった?)、公園内の「まったりムード」は昔と変わりません。
 日比谷見附跡の下に広がる心字池付近では「ここはむかし海だって『ブラタモリ』でやってたよ」の声が聞こえます。
 特に何の役にも立たない知識でも、その土地に関心を持てるのですから「見聞が広がる=新しい経験」となることが、わたしの歩き回る動機付けでもあります。


皇居前広場(Map)


 先日散髪屋で聞いた話しでは、自宅から徒歩15分程度の「等々力アリーナ:体育館施設」で福島県からの避難者を受け入れているものの、子どもが「放射能がうつる」等の差別を受けるため、小学児童の親には、菅直人(伊達直人ではない)からの手紙が配布されているそうです。
 ガキの時分を思い出し反省する面もありますが、これは根拠無き完全な風評・いじめですから、親がきちんと言い聞かせる必要があります。でも元を正すとそんな親が「福島の子と遊ぶな」と言ってるのかも知れません。
 自分の身の回りの事だけ考えて、買い占めにはしり、のうのうと生きている連中がいるから、メディアは「日に日に善意の輪が広がっています」と流す必要があるのかも知れません……


皇居東御苑(二の丸庭園)(Map)


 この施設の入園は無料ですが、普段は入園時に入園票を受け取り退園時に返却することで、人の出入りを管理しています。出入りには大手門・平川門・北桔橋門があり、どこからでも出ることができます。
 普段はとても静かで落ち着いた雰囲気の庭園ですが、さすがに桜の季節は人出も多く管理しきれないのでしょう、出入りはフリーとなっていました。

 下写真手前はシャクナゲでその名を聞くと、学生時代に海洋測量のアルバイトで行った屋久島で、ひと月以上お世話になった宿の母さんの「行ったわよ、シャクナゲ登山」の話を想起します。
 屋久島の小学校では、初夏のシャクナゲの季節に登山する行事があるそうで(山地で咲く時季なので5月辺りのイメージがある)、屋久島の険しい山肌に花が咲く様子が思い浮かびます(未経験です)。


 大手門付近の漆喰が地震の被害で何箇所かはがれ落ちています。
 門の下には、通路の部分だけ落下物を防ぐシェルターが設けてあります。
 屋根には瓦類がありますから、通行時にゆれがきたら確かに怖い状況です。
 まだ断続的に揺れが続くので修復の時期ではないでしょうが、現在の城主(?)は「城の修復は後でよい。市中で困る者を手助けいたせ!」という殿様のようで安堵します……

 城の城壁にはとても大きな石が使われますが、色の違いは(種類の違いか?)何らかの理由で修復が必要とされ、各時代に対処された姿なのでしょう。
 現在残される江戸城跡は400年程度の歴史としても、何度もの修復を繰り返し保存されてきました。
 この国の歴史を代表する京都の町並みも、何度となく再構築されたせいか「新旧のパッチワークは歴史がならしてくれる」という気の長さがあります。
 わたしたちも、そんなパッチワークの一部に「この時代をどう生きたのか」を、残せたらと思います。


 福島原発事故の国際原子力事象評価尺度を、最悪の「レベル7」と評価する発表がありました。
 評価への賛否はありますが、ようやく観測データの数値が(IAEAの視察で隠せず?)「素直に」公表されるようになった印象があります。
 関連組織も事の重大さをようやく理解し、それまで情報公開に必要だった「上司のハンコ」の数が少なくなったのか?
 「レベル7」の評価発表にも苦悩はあったでしょうが、それは本当の苦しみが幕を開けたことを意味します。

 自宅のある川崎市では、阪神・淡路大震災でがれき等の災害廃棄物を貨物列車で運び処理した実績から、福島県にその手法を活用した協力を申し出たところ、専門家や市民から「基準値以下でも放射線を浴びた物を集めて処理すると、その場に放射線だけ蓄積する」との猛反発を受けてしまいます。
 確かに専門家の意見には一理がありますが、それでは宮城・岩手県の手助けはできても、福島県には誰も手を貸すことができなくなります。

 近隣諸国からは、日本からの輸入農産物・飼料等に「放射性物質検査の証明書」「原産地証明書」が義務づけられたそうですし、遠いヨーロッパやアメリカからは、チェルノブイリ事故に際しわれわれが感じたような「汚れた国」のレッテルを貼られていることでしょう。
 原爆が投下された時分は、それでも勤勉に働くことで前に進めましたが、グローバル化された現代社会で世界から「放射能村八分」にされてしまうと、この国は生きていけません。
 温暖化防止に向けて原発を推進してきた趨勢もあり、世界的に放射能の危険性にふたをしてきた面もありますから、危険性の警鐘を鳴らした点では、大きな負の貢献と言えるかも知れません。
 おそらく長い期間にわたり閉鎖されるであろう、現在の「避難区域」で生活していた人々の声を忘れないためにも、繰り返し大きく取り上げて、全国民に印象づけておく必要があるかも知れません。
 時間の経過は、人の記憶を風化させてしまいます……

 わたしたちにできる復興活動に向け、上を向いて歩くためのきっかけとなるのが、皆が同じ方向を見上げてよろこびを実感できる「お花見」ではないかと思います。
 表情はゆるみちょっと「まったり」してますが、気持ちでは「さぁ、やらなきゃいけない」という思いでひとつになれる、国民的儀式という気がします……


追記
 プロ野球の東北楽天に気合いが入っています。
 被災地の仙台が本拠地ですから、地元復興に元気を与えるためにも、阪神・淡路大震災の年にオリックスが優勝したように、今年は何が何でも優勝を勝ち取ってもらいたいと応援しています。
 ──この先どうなるか分かりませんし、早すぎでも可能性のあるうちに書いておかねばと思い……