2016/02/15

坂との付き合い方 ──紀尾井町

2016.1.31【東京都】──「汐留川水系を歩く_3」

 四ッ谷駅に近い清水谷(赤坂)方面を歩いたので、名称由来は「四つの谷」だろうと調べると、以前の四ッ谷地区は広く「千日谷、茗荷谷、千駄ケ谷、大上谷」等いくつも説がありますが、4軒の茶屋があった「四ツ屋」説も含め、確かではないようです。




麹町

 ここは新宿通り北側の麹町にある、階段の途中というギャラリー。手前の谷は、イギリス大使館〜千鳥ヶ淵に至る神田川水系。
 付近でも新宿通りは、南北から谷が迫る狭い尾根道ですから、やはり江戸期の甲州街道整備時に土を盛ったのではないか? と(記述は見つけられず)。

 以前半蔵門に通っていた時分に、おいしい担々麺を食わせてやると誘われ、付近の店までついてきたことがありますが……
 でも、一度は感激する担々麺に出会ってみたいとも。


紀尾井町周辺

 上智大学の脇から清水谷が始まり、ホテルニューオータニ前に清水谷公園の緑が残ります。
 明治維新の立役者大久保利通は付近(紀尾井町)で暗殺されたため、公園に追悼碑が建てられます。
 紀尾井町の名は江戸時代、紀伊(紀州徳川家)、尾張(尾張徳川家)、井伊(井伊家)の屋敷があった地、に由来するそう。
 屋敷の作庭には、急な斜面もおもむきとして活用できますが、そんな場所を町にすると、突然の階段や無理矢理坂道にする箇所が生じます。旧赤坂プリンスホテルの建て替えでは、「これが現代の坂との付き合い方」と言うかように、なだらかな坂の部分まで掘り返してビルを建てていました(赤坂じゃなくなっちゃう?)……


東京ガーデンテラス(旧赤坂プリンスホテル)

 徐々に低くなる解体工法「テコレップシステム」で姿を消して(2013年7月)3年ですから、外観が出来て当然ですし、2016年夏に「東京ガーデンテラス」としての開業も迫ります(手前は赤坂見附址)。
 プリンスホテルの中でも、最高級ブランド「ザ・プリンスギャラリー 東京紀尾井町」とされ、内部施設や機能は充実するようですが、外観のインパクトは旧ホテルの足元に及ばない印象を受けます。
 奇抜さではなく、高級感あるサービスの提供で、ホテルニューオータニやホテルオークラに挑むようです。


議員会館


 国会議員の東京事務所とされる新会館(2010年)は、議員事務室が旧会館の約40m²/室から約100m²/室に拡大され、国会議事堂に加え国会議事堂前駅・永田町駅とつなぐ地下通路が新設されたそう。
 また、東京23区内に自宅を所有しない議員には、相場を無視した安い家賃の議員宿舎(月額9万円程度──新赤坂宿舎周辺の民間相場は月額約50万円程度)提供に加え、国会開会中は議員会館〜議員宿舎間に専用の送迎バスが運行されるそう。
 税金で養われているのですから、戦争法案より「不誠実な態度は即失職法案(辞職ではなくクビ)」を優先すべきと感じる、近ごろの体たらくぶりです……


日枝神社

 この日は何かのご開帳があるのか、長蛇の列が社の内外に続きます。
 厄祓い(正月から節分までとされる)最後の週末でもあり、日枝神社の使いは猿とされるので、申年(さる)には特別な催しがあったのかも知れません。
 慣習が薄れたと思われる東京においても、これだけの人出とは驚きますが、信心が伝承されているというよりも、不安を持つ人が多いことの表れとも。


霞が関コモンゲート

 手前は旧工部大学校(後の東京大学工学部)の門柱? 背後は、日本最初の超高層ビル「霞が関ビルディング:1968年」で、記念碑的建物のため築50年を前に延命対策が施されたとのこと。
 以前は、大なものを表現する尺度として「霞が関ビル○杯分」と例えられ、その後継とされた東京ドームは「1東京ドーム = 2.48 霞が関ビル」とされるそう。
 われわれの世代はピンと来ますが、いまの若者には「このビル何か珍しいの?」とされそうです。

 霞が関ビル付近を含む霞が関コモンゲート(旧文部科学省、会計検査院庁舎跡地の再開発事業)のおかげか、文部科学省付近には大学のキャンパスのように、出入り自由とされる施設があり、その空気感は他の庁舎と一線を画します。
 右は、文部科学省の敷地内で発掘された旧外堀の石垣。この展示スタイルにもゆとりが感じられるのは、土地の有効活用(高層化)によるものかと。


追記──重力波の直接観測成功!

 目に見えない波動の観測は、目に見えない物質「ニュートリノ」同様に、困難な取り組みとされてきました(日本のKAGRAは後塵を拝すも、今後の協力に前向きな姿勢は素晴らしい)。
 物体周辺の空間はその重力によりゆがめられるため、物体の動きにより空間のゆがみが重力波として広がると、アインシュタインが一般相対性理論(1916年)でその存在を示すが、そこから導きだされたブラックホールという概念の受け入れを当初は渋ったらしい。
 アインシュタインの理論から100年後の実証により、ブラックホールの観測手段を手に入れ、観測可能な宇宙の現象が飛躍的に増えたことは、ノーベル賞の枠を超えているように思えるし、「アインシュタイン最後の宿題」をクリアした先には何が待っているのか?

2016/02/08

新たな夢を築く地──国立競技場跡地

2016.1.24【東京都】──「汐留川水系を歩く_2」

 丘陵地の上に広がる明治神宮外苑は、東に汐留川水系、西に渋谷川水系が接する分水嶺にあたります。
 隣接する赤坂御用地内から外まで続く谷の痕跡を探すも、それらしき地形は見当たりません。考えてみれば、旧紀州藩屋敷(現赤坂御用地)の庭園を造るなら水源まで敷地としたいわけで、傾斜地の境までを敷地としたようです。




国立競技場跡地


 解体・整地後は、 2020年東京オリンピック・パラリンピック競技大会に向け、新たな夢を築き始めるはずの国立競技場跡地は野ざらしのままです。
 競技場設計やエンブレム見直しの際に「透明性を重視」と耳にしたが、競技場設計ではA案・B案をチラッと見せて、すぐに決定されました。不正防止のため応募詳細を公表しない姿勢は理解するも、国民が抱く不信感の払しょくにもう少し努力が必要ではなかったか……


カナダ大使館

 右のカナダ国章がイギリスのものに似ているのは、イギリスの植民地時代以来の関係(イギリス連邦:旧植民地から独立した主権国家による緩やかな国家連合)が継続しているためで、イギリスの国章にカナダ的な要素が加えられたそう(中央下側にカエデの葉)。
 フランス語が公用語とされたのは(英・仏語が公用語とされるが英語地域の方が多い)、最初に移住してきたフランス人の「プライド」にイギリスが折れたためか?

 付近から、乃木坂、檜町公園の間に点在した旧大刀洗川の水源は枯れ、流路は暗きょ(下水)とされますが、谷筋・窪地などの地形に往時をたどることができます。


草月会館(いけばな草月流の総本部)


 草月流との接点はありませんが、三代目家元勅使河原宏(2001年没)監督の映画作品に刺激を受けたことや、しなやかな竹のオブジェが印象に残っています。
 以前、併設の「草月ホール」で勅使河原監督関連の映画上映があり、高校時分には「三百人劇場」「岩波ホール」と並ぶマニアックな印象がありました(ここは未入館)。
 上は、京都 涉成園(しょうせいえん)を想起する石のオブジェ(イサム・ノグチ作)が飾られるロビー。ガラスに映り込むのは、道を挟んだ赤坂御用地。


乃木神社

 外苑東通りの四ッ谷三丁目〜麻布台間は、東は汐留川水系、西は渋谷川(古川)水系に接する尾根沿いを通されます。整備の始まりは、玉川上水からの幹線水路敷設と思われますが、後年の道路建設も通しやすい場所から着手したようにも。

 右の乃木神社(明治期の陸軍大将 乃木希典を祭る)の境内には、乃木の師 玉木文之進と、その甥の吉田松陰(共に維新期の没。松蔭の妹が主人公の昨年大河ドラマ『花燃ゆ』は幕末ものとしては弱かった…)を祭る正松神社があります(玉木とは親戚筋)。
 明治維新を生き抜き、欧米列強に日本の存在感を示し、明治天皇の後を追う生き様も、現代の礎とされます。


東京ミッドタウン(檜町公園)


 冬の風物詩的なアイスリンクが開設されますが、日陰で寒そう。右手に下る檜町公園付近は、旧大刀洗川支流の水源地らしく(現在は人工の池)、そこから旧流路をたどるように奥の低地を下ると、地下鉄千代田線赤坂駅付近に至ります(その先は旧溜池)。

 右は六本木交差点(左端は俳優座)付近から、アークヒルズ(赤坂)方面に下る坂。背後の交差点反対側のアマンド脇から下る芋洗坂は、麻布十番方面の古川(渋谷川水系)に向かいますから、幅の狭い尾根であることが分かります。

 ムムッ、この日のルート(国立競技場〜六本木)はポール・マッカートニーコンサート中止(当初は延期)の帰りにトボトボ歩いた道だっけ……

2016/02/01

谷で接した「天と地」──赤坂御用地

2016.1.16【東京都】──「汐留川水系を歩く_1」

 前回の内濠周辺までは神田川水系でしたが、その本流である隅田川にはもう一筋の独立した汐留川水系(旧 桜川 )という支流があります。
 鮫川(四ッ谷三丁目)、清水谷(紀尾井町)、太刀洗川(檜町公園)の流れは外濠〜溜池に流れ込み、その下流は江戸期の城や市街整備により、浜御殿(現 浜離宮恩賜庭園)を囲む水路とされ汐留川水系と呼ばれるようになるも、ほとんどが埋め立てられました。




四ッ谷三丁目付近

 江戸城に水を送るため、玉川上水終点の大木戸から半蔵門への水路が敷設された新宿通りは、馬の背のような尾根道に見えます。北側の神田川水系に下る荒木町側同様、南側もすぐ脇から鮫川(汐留川水系)へ傾斜する様は、甲州街道整備時に土を盛った? という形状です。

 地図で見かけた袋小路のどん詰まりには、何だか気取ってるような井戸が鎮座しています。
 車も通れない道幅の傾斜地で、新聞配達もバイクを降りて歩くような場所だから住民の愛着があるのかも……


須賀神社

 右は境内にある建物で、下は神輿庫になっています。
 庫の上に社務所等があるのは分かるが、アパートにするとはさすが都会の神社です。
 一般的に庫の町名表示は、一目で分かるよう大きな文字で表記されますが、ここでは扉の上の小さなプレートに記されるので、祭以外の時期には気付かないかも知れません。
 付近は、紀尾井町清水谷公園周辺にあった寺社が、城の拡張工事により集団移転した地で、服部半蔵(半蔵門の由来)の墓がある西念寺も近くに移転しました。


鮫ケ橋

 鮫ケ橋は元の鮫川に掛けられた橋で、付近で信濃町駅方面からの千日谷と合流するためたびたび氾濫したらしく、下水となった現在も隣接の公園地下には調整池が設置されます。
 名称の由来は鮫ではなく、大雨時に増水する「雨:さめ」、わき水「冷水:さみず」(鮫洲にも伝わる)らしい。右の「せきとめ神」は、下流に紀州藩屋敷(現 赤坂御用地)を作るために川を堰き止めた、堰の安全を祈願する神社が「咳止め」として広まったそう。
 元の流れは赤坂御用地の池に注ぎ外濠に至りましたが、江戸期の付近には火葬場・岡場所(私娼の歓楽街)があり、明治期は東京最大の貧民窟だったとのこと。


迎賓館

 赤坂御用地の正門である「鮫が橋門」は上の橋のたもとにあります。1873年(明治6年)皇居が焼失し明治天皇がこの地に移った際は、治安の悪そうな門を出入りしたのだろうか? 当時の元帥にそんな心配は無用かも知れないが、庶民はどんな思いで眺めていたのだろう。

 隣接する迎賓館の建物は、東宮御所(皇太子の居所)として1909年(明治42年)に建設されますが、後の大正天皇は外観が華美で、住居としての使い勝手が良くないと使用しなかったそう。
 迎賓館としての利用は、1974年現職のアメリカ大統領として初めて日本を公式訪問したジェラルド・フォード。


赤坂御用地の勝手口?

 右は、勝手口のような門にある呼び鈴? の遺構か。周囲は警官だらけなので、撮れたのはこれだけ。

 敷地内の赤坂御苑で開かれる園遊会の様子は映像で目にしますが、功績・活躍をおさめた方々は招待される名誉の引き換えに、皇室の広報活動に利用されていると感じる面もあります。
 ですが、招待者と接する際の態度に疑いを感じないのは、天皇という存在の器の大きさなのかも知れません……


豊川稲荷

 豊川稲荷前のビルが「サンダーバード」でラッピングされています。そこは新テレビシリーズ『THUNDERBIRDS ARE GO』の日本放映権を獲得した東北新社の本社ビル。
 予告編を見ましたが、わたしはカクカクする人形の動きで十分と思うが、いまどきの子ども向け(CGアニメーション+ミニチュアセット)という「言い訳」で、旧シリーズに夢中だった大人たちがオタクぶり全開で「楽しんで作っちゃいました!」というところか。
 2号のプラモデルで、夢を広げていた時分の記憶を懐かしく振り返りました。

 江戸時代の大岡越前(忠相:ただすけ 実在の人物)が、豊川稲荷から吒枳尼天(だきにてん:白狐に乗る天女)を勧請したもので、ルーツは神社ではなく曹洞宗の寺院とのこと。
 お稲荷様は日本独自の信仰で、様々な要望を受け入れて全国に広まりますが、明治以降の赤坂花柳界で芸に通じるとされてから、芸能・スポーツ関係者の信仰を集めるようになります(騒がしかった「ジャニーズ事務所」の奉納提灯も下がっている)。
 様々な神様が集合しているためか、いつ来ても人が多いことに感心します。


追記──「勝てない世代」がアジアチャンピオンに!

 「リオ五輪に行けないのでは?」との前評判を受け応援したサッカーU-23日本代表ですが、アジア選手権(リオ五輪最終予選)で見事に優勝しました。
 選手全員が「勝てない」レッテルを返上しようと挑み、日替わりで「オレも、オレも!」の見事な活躍が生まれ、チームの結束力で頂点に立った印象があります。
 直近の目標はリオ五輪ですが、彼らの世代のエポックになると思うので、ぜひ今後の活躍の弾みにしてもらいたいと。


追記──終わりなき敗戦処理

 平成天皇はわたしの父と同世代なので、小学生時分に敗戦と向き合ったことになります。後に大元帥だった父 昭和天皇の苦悩に接したかも知れませんが、昨年のパラオに続き今回のフィリピン訪問も、天皇の意思によるのでしょう。
 おぼつかない足取りでも「生あるうちに行かねば」の思いに、戦争を体験した人間の使命感が見て取れ、天皇の心の内をかいま見られたような印象を受けます。
 やらねばならないことはまだあるでしょうが、敗戦処理に終わりは無いのでは、とも……

2016/01/25

ランナー&ライダーの聖地──皇居外苑

2016.1.9【東京都】──「内濠を歩く_4」



竹橋

 手前の橋が白い御影石(花崗岩:かこう)であることに初めて気付き、毎日新聞社屋のモノトーンデザインは竹橋の白さを意識したのかと。だとしたら見事なセンス!
 ですが、長年毎日新聞のシンパだった実家も、近頃朝日新聞に変わったりして、毎日は大丈夫? と思ったりも……

 橋は家康の国替え(江戸整備)以前から存在するらしいので、由来の一説とされる「竹を編んだ簡単な橋が架かっていた」は、想像しがたいがあり得るかもしれないと。

 以前東京国立近代美術館の中に、日本唯一の国立映画機関「フィルムセンター」(設立1970年)がありましたが、1986年に相模原分館(フィルム保存館)が開設され、現在は1995年オープンの京橋本館に移転した模様。
 魅力的な上映ラインナップでしたが、商業施設ではなく「おヒマならどうぞ」というお役所的なスケジュールのため、足を運べたのは数度だった気がします。味っけの無い施設なので、図書館で映画を観たような印象か。
 右は、併設レストランの入口。


 竹橋交差点で信号待ちの際、すぐ脇から複数の「ガチャガチャ」音が聞こえてきます。北の丸公園への坂道に向かうバイク(自転車)集団のギアチェンジの音です。
 上り坂は、離されると差が広がる踏ん張りどころなので、懸命な姿には迫力があります。
 歩道を走るランナーと違い、車道を走る自転車は信号に止められそうですが、あるタイミングで信号を通過できれば、いくつか先の信号までスルーできる、などのプランがありそうです。


平川門

 竹橋のたもとから平川門まで、帯曲輪(おびくるわ:曲輪とは、城の内外を石垣や堀で仕切る区域で、帯曲輪は、曲輪の外側に造られた帯状の曲輪)があります。
 付近は本丸が近いため、濠を二重にして防備を固めたようです。
 死者・罪人を運ぶ「不浄門」(殿中で刃傷沙汰を起こした浅野内匠頭はこの門から出された)、奥女中の通用門「お局御門」とも呼ばれますが、本丸に近いため徳川三卿(田安・一橋・清水)の登城口とされました。
 平川門に通じる右の平川橋は、橋の上だけ木造の施設が残されます。


旧江戸城本丸跡(皇居東御苑)

 今回初めて平川門から入り、本丸跡へと向かう「梅の木坂」では、もう梅の花が咲いていました。
 暖冬と思えば雪が降るような気候の急変に動じなくなったのは、寒さに弱くなり常に万全の準備をするようになったため、ではよろこべません……

 本丸跡に1本だけ植えられた松にどんな意味があるのか不明ですが、絵になる姿です。
 皇居側の見通しが無いのは当然ですが、この上に立つと以前にも増して高くなった大手町方面のビル群に対しても、威厳で対抗できる気分は変わらない気がします。


行幸通り


 上は、東京駅(奥)から皇居へ真っすぐ続く行幸通り。
 皇室の公式行事や外国大使の信任状捧呈式などに使われる道路で、現役の馬車道とされます。
 実家の相模大野付近にも行幸道路と呼ばれる道がありますが、キャンプ座間が陸軍士官学校だった時分(1937年(昭和12年)市ヶ谷より移転)、天皇が国鉄横浜線原町田駅(現 JR町田駅)から行幸したことに由来するもので、現在では自慢するものではないとも……


和田倉噴水公園


 この公園は平成天皇成婚を記念して作られ、現皇太子成婚を機に大噴水が再整備されたもので、リンク先のライトアップされた絵には落ち着きが感じられます。

 信号待ちは無いはずの皇居ランナーを足止めさせる存在がいました! 二重橋付近の交差点でランニングコースを横切る中国系観光客の群れです。
 信号待ちの間はランニングコース手前で待機させられますが、信号を渡る際は「歩行者優先でお願いしまーす!」との呼びかけを受け、群れに突っ込むランナーはいません。
 そのタイミングに引っ掛からないよう、ペース配分しているようです。


皇居外苑


 毎週日曜には「パレスサイクリング:平川門交差点〜祝田橋交差点間を自転車に解放」が開催されます。専用レンタル自転車は無料ですし、空が開けた広い道路を走るのは気持ち良さそうです。
 当然ライダーたちも集結し、いたるところにチームの群れが見られます。
 あるレディース集団の別れ際の会話「わたしは池袋方面」「わたしは渋谷…」「では、またお会いできれば!」から、ここで出会った人と走っていた様子がうかがえ、日曜の皇居外苑はライダーにとっても聖地であることを初めて知りました。
 
 ランナーが「今日は2周で終わりにする」と話す皇居周辺を、4回に分けた内濠散策は今回で終了になります。
 皇居(旧江戸城)周辺に様々な思いが渦まくのは、この国では当然のことですが、それを受け止めようとする天皇のおかげで、安らげる場になっているのではないか……


追記──デヴィッド・ボウイという人の幕の引き方

 死の2日前に発売され遺作となったアルバム「★」(ブラックスター)を聴きました。
 まさに遺言として制作された作品で、歌詞を理解すること無くても、彼が初めて注目を集めた「Space Oddity:1969年」を受けた幕引きの曲で、わたしは「一度耳にできれば十分」と受け止めます。
 自分の意思で幕を引くことはある意味理想的ですが、そのためには生命力が必要であることを示そうとしたのではないかと、その衝撃にシビレました……

2016/01/18

国が反省を示す地──北の丸公園

2015.12.27【東京都】──「内濠を歩く_3」

 北の丸公園には戦時中まで軍隊の施設がありました。
 戦後は、武道館や千鳥ヶ淵による平和的イメージ作りが功を奏しますが、靖国神社を含む一帯では戦争従事者は不在となっても縁者がいる限り、半永久的に国が反省を示し続ける地であることが求められます。




九段会館

 本施設は、2011年東日本大震災時の天井崩落で死者2名を出したことより休館に至ります。
 国の昭和天皇即位記念事業で「軍人会館」として開業し、愛新覚羅溥儀(ラストエンペラー)弟 溥傑と、嵯峨家(侯爵)浩の結婚式が行なわれた施設で、国が(財)日本遺族会に無償貸与していたが、建て替えが決まります。
 戦後はGHQに接収され「アーミーホール」の名称で連合軍の宿舎に使用されますが、デビュー当時のサザンオールスターズがコンサートを開くなど、武道館公演へのステップとされる会場でした。
 後方の高いアンテナは千代田区役所。


昭和館

 九段会館前には、昭和館(1999年に開館した厚生労働省所管の国立博物館)がそびえています。
 戦中・戦後(昭和10年頃〜30年頃)の国民生活に関する資料を展示する施設の意識は、戦没者遺族に向いているようで、遺品のひとつも届けられなかった多くの遺族に対する、国からの償いという位置づけらしい。
 わたしが遺族の立場だったら「償いよりも、二度と繰り返さないこと」を望むのではないか。
 右下の武道館が「希望の象徴」なら、左の昭和館は過去を封じ込めた「石棺」のようにも……

 田安門付近にある右端の高燈篭(常燈明台)は、1871年(明治4年)靖国神社(当時は東京招魂社)に祭られた霊(明治維新に功のあった志士)のために建てられます。
 建設当時は、東京湾の船から目印となる燈台の役割を果たしたとのこと。
 田安門を境として、奥の千鳥ヶ淵と手前の牛ヶ淵の水面には10m以上の高度差があり、左の水路から水が落とされています。
 九段下駅から武道館コンサートに向かう際の坂道ではずんだ息は、期待感を高める効果があったようにも……


日本武道館

 若者も「武道館」と漢字で書けるでしょうが、コンサート会場と認識する人の方が多いように感じます。この施設は、柔道が1964年東京オリンピックの正式種目とされた際に会場として建設されたもの。
 その後柔道は世界に広まり、日本の金メダルはゼロの大会もあるほどで、世界の柔道家には講道館同様の聖地かも知れません。
 五輪から2年後のビートルズのコンサートに際し、「日本の武道を冒涜する」の声が上がるのも分かる気がしますが、「BUDOKAN」は世界のミュージシャンに知られる存在となりました。
 大学の入学式はここで行なわれた記憶があります、


科学技術館

 体験型科学実験で人気の米村でんじろう先生は、この施設に勤務する方と思っていたら、有限会社でんじろうサイエンスプロダクション代表取締役だそう。実験を通じて科学に関心を持ってもらいたいとの姿勢は、とても素晴らしい取り組みです。
 実験設備を整えるにはお金がかかりますが、技術者の卵である子どもたちに企業をアピールする施設なのに、入場料(大人720円)を取るのはどうかとも。
 ハマった子どもはカミナリに打たれたように、輝かしい夢を抱くかも知れません(右はアーク放電:リンク先はYouTube動画)。

 ここには原子力発電に関する展示もあり(右は原子炉の模型)、理解なくして判断できないとはいえ「原子燃料サイクル」「ガラス固化体:地層処分による封じ込め方法」など「リサイクルできない高レベル放射性廃棄物の処分方法」まで紹介されます。
 加えて「放射線」「放射能」「放射性物質」は、空気中や身の回りに存在すると説明しながらも、放射性物質による汚染についての説明はありません。
 そんな取り組みで、ガキどもの放射性物質アレルギーを「処分」できると考えているのだろうか?


東京国立近代美術館工芸館

 右は、1910年(明治43年)に建設された大日本帝国陸軍の近衛(このえ)師団司令部庁舎を改修・保存したもので、以前北の丸公園は近衛師団兵営地でした。
 近衛の名は、公家や軍隊にあるため混乱しますが、どちらも「天皇側近」という意味で、近衛家は摂関家の筆頭、近衛師団は天皇及び御所護衛目的の軍隊。
 近衛家は明治維新以降公爵とされるも政治の舞台から排除されるが、近衛師団は日清戦争から海外に従軍するようになります。

 今回の見聞からは、国民に還元されたのは公園と武道館だけで、千鳥ヶ淵の桜は戦没者慰霊の花と感じます。
 神格化される靖国神社にしがみつき地元後援会受けを狙う政治家よりも、春の花を愛でながら平和を謳歌する庶民の姿こそ、戦没者の願いなのではあるまいか……


追記──大学入試センター試験という関門

 田町駅東口にある東京工業大学キャンパスも大学入試センター試験会場とされ、夕刻に流れ出てくる受験生に遭遇します。安堵、落胆、疲れ、2日目への気合い、などの表情が入り交じっており、表現が難しい様子です。
 わたしもまだ、勉強や研究(詳しく調べること)への意欲を持ち、問題をクリアしていく意欲はあるものの、試験という関門に挑むだけの気力・体力はもう無いと、即座に白旗を揚げてしまいそうです。
 そんな彼らのパワーが未来を切り開き、この国を変えていくのであろうと、オヤジの馬力不足を自覚させられます……

2016/01/11

江戸城をめざした玉川上水──半蔵門

2015.12.23【東京都】──「内濠を歩く_2」

 半蔵門周辺には通ったことや訪問の機会も多くありましたが、記憶からスポッと抜けていたため、忘却の彼方から呼び戻しながらの楽しい散策となりました。




半蔵門(由来の服部半蔵のリンクはこちら)

 玉川上水の終点、四谷大木戸から半蔵門へと続く新宿通り沿いの、麹町付近で発見された江戸水道幹線の遺構は、江戸城内に上水を供給するための施設とのこと。
 これまで、玉川上水のおかげで武蔵野台地に耕地が広がったと紹介しましたが、最大の目的は江戸城への上水供給なので作物も大切ですが、当然将軍様の上水確保が最優先でした。
 以前は内濠に供給されるも、現在は最下流の馬場先門付近(1.43m)から取水〜浄化し、付近に放水するそう。
 右写真手前の桜田濠の水面の高さは3.82mですが、この奥の半蔵濠と千鳥ヶ淵の水面は15.98mで、内濠でもっとも高い水位を保ちます。
 以前、カメラ背後の「TOKYO FM」に足を運んだ目的が思い出せない……


英国大使館

 所在地「千代田区一番町一」の2013年路線価は約700億円とされ、皇室との交流から一等地に英国大使館があってしかるべきと思うも、経緯には曲折がありました。
 開国当初、高輪にあった領事館は公使館となりますが、数度に渡る攘夷派の襲撃や、生麦事件、品川御殿山に建設中の公使館が高杉晋作の焼き討ちに遭うなど、幕府〜明治政府の腐心の様がうかがえます。

 右は国章なのでデザイン化もしかるべきとは思うが、どうもピンとこないのは文化背景の違いのようです(他国の国章に意見するのもおかしいが……)。


千鳥ケ淵戦没者墓苑


 千鳥ケ淵戦没者墓苑は、第二次世界大戦戦没者で遺族に引き渡すことのできなかった遺骨を安置する施設。戦没者を慰霊する場は、爆弾騒ぎに巻き込まれる靖国神社ではなく、このように静かな施設がふさわしいとも。
 戦没者を出した国には慰霊施設があるわけで、その方法に海外からケチをつけられる理由はないにせよ、戦争を起こした当事国が、被害を与えた国々の「かんに障る」態度を改めない姿勢には反省が感じられない、と映るのは当然かも知れない。


千鳥ヶ淵緑道ボート場


 ボート場の営業期間は3月1日〜11月30日のため閉鎖中ですが、きちっと片付けられている様子に、観光地の自負が感じられます(千代田区が管理)。
 桜の名所とされた「フェアモントホテル」は2002年に閉館し、跡地に億ションが建設されます。
 GHQの要請で外国人向けのホテルとされますが、売りは桜だけの努力不足では、他の新しいホテルに対抗できないのも当然か。
 右は付近のアンティークショップ。


【番町通信】

 秀和三番町ビルは取り壊され、現在大妻女子大学のキャンパスを建設中。PHP研究所は豊洲に移転。トニーローマ(レストラン)は健在(懐かしい! いまもミニスカートか?)。
 きんつばが有名な和菓子店、よく通った中華料理店や、町の電気屋が元気なこと等々、忘れていた記憶との再会を楽しんだりするのは、ジジ臭いか……


2016.1.11──新宿区成人式会場@京王プラザホテル

 今年は京王プラザホテルで、立体交差の上から見下ろして撮ろうと思ったら大間違い。メインの玄関は地上にあり、庭園もないため散策する姿も見られず、仕方なく室内の暗い写真に。彼女可愛いのに……
 ホテルを出ると、サッと雑踏にまぎれてしまう場所柄も、会場にふさわしいとは思えません。
 喫煙所周辺にはヤンキー連中がたむろしており、その手の係員ばかりかパトカーが何台も集まる状況ながらも、どちらも慣れた様子に見えるところが、新宿区らしさと言えるのか?


追記──NHK大河ドラマ『真田丸』出帆

 三谷幸喜の脚本が羽目を外さないか心配ですが、魅力的な主人公 真田信繁(幸村)を取り巻く役者陣も揃っているので、どんなくせ球も打ち返してくれそうです。
 以前は「すかし野郎」にしか見えなかった草刈正雄(失礼!)のまねのできない存在感や、怪優 高畑淳子さん登場! に、期待が高まります。


追記──50歳前後の壁

 昔の仲間が51歳で亡くなりました。
 知り合いにこの年代に亡くなる方が多いことは、ちょっとショックです……
 病名(癌)を聞くと宿命的と思う面もありますが、働き過ぎに違いないと感じます。
 ずいぶん前ですが、友人からもらった景品のおもちゃを彼に渡した際の、「こういうの子どもがよろこぶんですよー!」との、目尻のだらしない父親の表情がいまも鮮明に思い出されます。戦いの中で見せてくれた「おやじの顔」はとても素敵でした!
 ゆっくり休んでください……


追悼──デヴィッド・ボウイ

 出会ったのは、奇抜さが影を潜めた『Young Americans』(1975年)ですが、独自の世界観の中で誰にもまねできないパフォーマンスを見せ切るエンターテイナーには、ミュージシャンというよりパフォーマーに近い印象がありました。
 彼の楽曲を見事に映像と一体化させた、フランス人映画監督レオス・カラックスに嫉妬を覚えたように、彼の影響力は連鎖を生み出すことから「20世紀で最も影響力のあるアーティスト」とされたのではないか。
 若い時分、コンサートチケットを持っていながら、急な現場出張で見られず悔しかったことが思い出されます。
 常に気になる存在であり続けるために、いつも爪をとぎ続けていたのでしょう。
 ありがとうございました!

2016/01/04

年末年始の風景──東京都、神奈川県

 東京近郊の2015年末〜16年始は、天候・気温とも穏やかな陽気が続いたので、誘われるように外出された方も多かったのではないかと。

2015.12.30──築地


 中央卸売市場の豊洲移転は2016年11月で少し先ながらも、最後の年末となる築地へ。
 活気ある場所で働く人たちのキビキビした動きは気持ちいいもので、客も乗せられる面を楽しんでいそうです。
 豊洲は広くなるにしても交通は不便になるので、どんな様子になるのか? と言うか、銀座から徒歩圏内だったのは恵まれ過ぎでした(場外は付近で営業するらしい)。


2015.12.31──鶴岡八幡宮(鎌倉)


 現在、鶴岡八幡宮参道の「段葛:だんかずら」は補修工事中で通行できません(2016年3月完成予定)。桜並木も植え替えているらしくお花見もお預けとなりそうですが(すぐキレイには咲かないでしょう)、いつかやらねばならないのでしばらくは我慢のようです。
 上の2010年3月に倒れた大銀杏の古木と、右「ひこばえ:若芽」のサイズ感の違いに、樹齢1000年とされた古木のようになる頃、この国はどんな姿になっているのか? とも。
 これまた1000年続くのであろう、新年の神職アルバイト諸君が持ち場へ向かいます。


2015.12.31──片瀬海岸(江ノ島)

 大晦日の日没は見物客に配慮してくれたようで、富士山などは雲に隠れているが、日の沈む瞬間は太陽が顔を見せてくれました。
 こんなに海が穏やかな日でも、彼方に黒ずくめのオットセイ(サーファー)の影が見えます。彼らも乗り納めをしたい心情なのか?
 とりあえず新年だけでも穏やかに迎えられれば、と願う人々が夕日を眺めています(近頃は結構増えてます)。



2016.1.2──横浜

 日本海側の方には申し訳ないのですが、太平洋側では穏やかな年始を迎える事ができました。
 中華街は新年から華やかですし、肉まんをかじりながら歩くだけでも参加している気分になれますから、とても安上がりに楽しめます(元町はいつものように、通り抜けるだけ)。
 この正月は気温も高く気持ちもゆるみ気味なため、仕事始めには気を引き締めねば、の気持ちもゆるみがちです。
 右手前は赤レンガ倉庫。



2016.1.3──第92回箱根駅伝 復路@田町


 昨年に続き青山学院大がぶっちぎりで、応援側も力の入れどころが見つかりません。
 最終区間なので、繰り上げスタートの影響から順位が分からないこともあり、とりあえず「ガンバレー!」と声援を送っています。
 ですが、新春の若者に対する声援を、自分に対するエールと受け止めれば、今年も何とかやっていけそうな気がしてきます……