2019/12/02

井の頭池が「モネの池」のように? 

2019.11.9【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_52

 池の畔に並ぶ圧倒的な桜並木も、2017年に開園100周年を迎え、樹齢とともに傾くものが目につくため(土壌が柔らかいためか)、植え替え時期が迫っているようにも……


 井の頭自然文化園(動物園)のゾウ舎では、アジアゾウの「はな子」(1954年〜2016年)が飼育されましたが、ガランとした光景が喪失感を増幅するように感じられます。舎内の追悼展示を見たいのは母親らしいが、経緯を知らない子どもは当然「ゾウいないの?」の反応になりますから、機を見て今後の方針を決めるべきかと……

 敷地内の彫刻園には、長崎の平和祈念像を制作した北村西望(1884〜1987)の作品が展示されています(1953年公園の土地を借用し個人のアトリエを建設した)。
 右は加藤清正の像。

 井の頭池に面する水生物園(分園)近くの噴水は、水中に空気を送る曝気(ばっき)装置でしたが、現在運転を停止しています。近年は「かいぼり」(水を抜いてゴミや外来魚 等を取り除き、湖底を天日干しする)等、自然の力を用いる方法に変更したおかげで、「モネの池」(リンク先の絵は目を疑うほど)のようと評判だそう。その光景は確認できなかったが、沈んでいた自転車を引き揚げる等、汗を流した方々は成果をよろこんだことでしょう。
 雑木林のように、池も手入れして蘇らせる「武蔵野スタイル」は、これから定着するのではないか(水を抜くだけではない)。


 スワンボートが増えて白鳥の湖のようになったのは、屋根がAV対策になるためか?
 以前は向き合って座る手漕ぎボートがメインで、漕ぎ手の男が張り切る姿はマンガのようですが、そんな愛すべき男たちの姿をよく目にしました。
 そんな時分には、湖畔に祀られる井の頭弁財天は嫉妬深いため、カップルでのお参り・ボートに乗ると破局する、との都市伝説(?)がありましたが、いまどきはSNSでも話題にならないのかも……


 池周辺には規制があるのか、出店は限られています。上の店舗は人気があるように、公園利用者をターゲットにするサービスはまだまだありそうです。
 訪れる人が公園に求めるのは、にぎやかさではなく「ちょっと大人の雰囲気」(代々木公園とは違う)の落ち着きのようで、確かにベンチには大人のカップル(表現が難しい…)や女性一人の姿が多く見られます。広場がないので騒ぐ連中はおらず、ざわざわする中でも景色をのんびり眺められます(花見の季節は別世界のように変貌します)。
 スワンボートより、右のボートカップルの方がロマンチックではないかと……


 井の頭公園駅周辺にはしゃれた店が並び(駅舎は2006年リニューアル)、夜の公園は暗く静かですから、隠れ家にはもってこいではないかと。
 駅から公園に下る階段が以前のままなのは、利用者が少ないせいかもしれないが、すぐ隣の鉄橋下(上)は生活路とされるようで、場所柄にしては自転車を含めた人通りが多く、手の届きそうな鉄橋も変わらぬ姿で愛着を感じます。


 公園の野外ステージは立ち入り禁止とされるようで(柵が見える)、バイオリン弾きのパフォーマー(右端)は、池と太陽を背にして演奏しています。ベンチの人々は池や夕日を眺めたいので、お互いちょうどいいのかも。
 野外ステージが作られた当時は、人が集える場所が求められたようですが、いまどきのイベントは騒ぎたい連中が集まるため、公園から排除されたのかも(キラリナ京王吉祥寺屋上はイベント会場となっています)。
 公園の喧騒にはバイオリンのメロディはピッタリですが、弾き手には「もっと!」の意欲があっても、聞く側は「もういいか」とパラパラ席を立ちます……

2019/11/25

「住みたい街」首位陥落──吉祥寺

2019.11.9【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_51

 吉祥寺の混雑感は、人出の多さに加え、狭い道でよしとする都市整備の問題と感じるも、「これが吉祥寺」とあきらめる空気感も理解しています……



 中央線高架の巨大な構造物のおかげで、駅周辺や住宅地に踏切がないため線路を意識せずに往来でき、快速電車はかっ飛ばすことができます(地上駅の荻窪の地下通路を面倒と感じたりも…)。
 上の、西荻窪西側の高架下には建物が並び、事務所や倉庫等に利用されています。右側の土地を駐車場にできるようで、騒音を我慢できれば使い勝手はよさそうです。
 快速電車は低層住宅地に面した高架をかっ飛ばすため、かなり離れた場所まで走行音が聞こえますが、それが中央線沿線らしさなのかも。
 右は、建設資材店(材木)の事務所。


 吉祥寺は、江戸時代の大火で水道橋付近を焼け出された人々が集団移転した町で、氏神も移転し武蔵野八幡宮とされます(町の中心だった吉祥寺は駒込に移転)。周囲の寺院も八幡宮周辺に移転し、四軒寺(しけんでら:安養寺、光専寺、蓮乗寺、月窓寺)の名が残ります。右はまっすぐなイチョウが立派な安養寺。
 近くのビル屋上にあるバッティングセンターは健在です。
 上は、吉祥寺駅前からアーケードが続くサンロード商店街の終点で、こちらからのアプローチは少ないため、こんな看板があったのかと。


 駅前ロータリーには、井の頭自然文化園で1954年から飼育され2016年に亡くなった、アジアゾウ はな子の像があります(69歳は国内最高齢)。近所で育った多くの子どもたちが会いに行ったのでしょう、様々な思いが込められているように感じます。
 育った町に愛着を持つ人の多いことが「住みたい街」として人気が高い理由であれば、住民にとって喜ぶべきことではないかと。


 吉祥寺には、「さとう」のメンチカツ(1個240円!)、ハモニカ横丁、焼き鳥の「いせや」など、庶民的な人気店があることも大きな魅力です。
 上の行列ルールは浸透しており、商店街の通行を妨げないよう通路をあけて広い場所に整然と行列ができています。
 ここに限らず「並んで買う気には…」と思うので素通りしてきましたが、何十年も変わらない光景を目にすると、一度は食べてみたいと。でもこの行列だとどれくらい待つのだろうか……


 いせやには一度入ったことがあり、店の雰囲気に馴染めて楽しかった記憶があります。煙やにおいは近所迷惑かもしれないが、1928年(昭和3年)精肉業として創業、58年焼き鳥店に転換した実績から、なかなか文句も言いづらいかも。
 飲んべえはそこに誘われるので、閉店の22:00まで勘弁してください!

 吉祥寺には多くの魅力があることから人気の高まり、地価が高騰し手が届かない地域になったため「住みたい街」首位の座を明け渡したとのこと。相続税が高くなるだけとしたら、住民には単なる迷惑のように……(井の頭公園は次回)

2019/11/18

東京女子大学「VERA祭」

2019.11.9【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_50

 前回の善福寺公園訪問時に、隣接する東京女子大学の大学祭「VERA祭」が開催されると知り足を運びました。


 1910年キリスト教世界宣教大会の決議により、北米プロテスタント諸教派の援助を受け開設されたそうで、大きな期待を背負っていたことは、建造物の素晴らしさからもうかがえます。1918年(大正7年)の開学には、初代学長 新渡戸稲造、2代学長 安井てつが尽力したそうです。
 VERA祭とは、新約聖書の「QUAECUNQUE SUNT VERA:すべて真実なこと」による。

 前回訪問時は遠慮がちでしたが、今回は女学生たちから笑顔で声をかけられ浮かれて歩くも、あれは健康的な(?)呼び込みなんですよね……


 1938年(昭和13年)建設のチャペル(上)には、信仰心を持たない部外者も感心するばかりです。ステンドグラスに期待する絵柄がないのはプロテスタント教会(偶像や装飾を排除)のためで、信仰に必要なのは「光」ということらしい(毎朝礼拝が行われる)。
 下のパイプオルガン(1991年設置)によるチャペルコンサートが開催されるそうで、ここに限らずいつか生演奏を体感してみたいと。
 外国人旅行者が寺社に関心を示すように、信仰しない者でも祈りの場に対する認識を持っておくべきと。


 右の、木造の渡り廊下にあるトラック等が通る高い屋根に、声を上げてしまいました。まだ木造校舎があった小学校低学年時分の記憶がよみがえり、しばらくウロウロ眺めていました(渡り廊下にある外履き用の通路表記など無視して走り回った記憶があります……)。

 大学の方針と思われる「清廉さ」というものは、われわれの子供時分までは「目指すべきもの」のひとつだったことを思い出し、心苦しく振り返りました。
 美徳に対する意識はそれほど変わらなくても、道徳意識の希薄化を再認識させてくれる施設群と。

 右は、創立時の理事オーガスト・カール・ライシャワー一家が暮らした建物で、現在は外国人留学生の交流の場とされます。1905年宣教師として来日し、18年本学を設立し代表となり(新渡戸稲造は学長)、終戦後の帰国中に日本から勲章が送られます(この政府の姿勢は素晴らしい)。
 その名と時代が一致しないのは、彼の次男で駐日米国大使を務めた(1961〜66年)エドウィン・オールドファザー・ライシャワー(リンク先の画像はひどいが、日本語の挨拶は素晴らしい)と混同するためですが、現在も好印象を持つ日本人は多いように(散策する様々な場所でライシャワーの名をよく目にします)。

 右は全面芝のグラウンドで、目にした瞬間「歩きたい!」と足が動き出します。芝がキレイなのは、体育の授業がない? ことや、運動系のクラブ活動が限られるためかと。ラクロス部の模擬店を見かけましたが、ダンスサークルのヒラヒラに引かれる女子の方が多そう。
 いまどきミスコンは観客動員の目玉ですが、「いい男を呼びよせたい!」ではなく、掲示板で目にする「女性学」等の一環として、大学側も認めているのかも……

 プロテスタントの、「聖書以外に頼るものなし」という清貧さを表現するようなキャンパスは、とても魅力的と感じました。


追記──TVドラマ「少年寅次郎」終了

 車 寅次郎の幼少期の物語なので発展性はありませんが、原作は山田洋次「悪童(ワルガキ)小説寅次郎の告白」ですから、のちの寅さんにつながるエピソードが散りばめられており、それを味わうことは新たな発見なので、とても楽しめました。
 寅次郎役の子役たち(2人)が、渥美 清さんにつながる存在感を見せる姿には感服させられたし、さくらが幼少期から兄を慕う姿には、倍賞千恵子さんにも負けない健気さがありました。
 山田洋次さんが映画では難しいため著作とした物語は、TVドラマとして山田さんの目の黒いうちに実現できたことで、作品の完成度を高めたように。
 本作も当然、柴又駅での別れで終わることになりますが、その場面が「To be continued…(つづく)」の意味だったことに、初めて気づきました……(最後の作品にはなかった気がします)
 つづきである、第1作が無性に観たくなりました!

2019/11/11

武蔵野のオアシス──善福寺公園

2019.11.2【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_49

 善福寺公園は駅から遠く少し不便な立地ですが、武蔵野のオアシスのような空気感に引かれ足を運びたくなります。



 西荻窪駅は、にぎやかな荻窪駅と吉祥寺駅に挟まれるため、大規模店舗が参入しにくい地域らしく、商店街の裏にはすぐ住宅街が広がります。上は、そんな町に求められたような着物のリサイクル店。

 右の坂の上のけやき公園は、以前の畑が宅地とされる計画を知った住民たちが署名運動を起こし、大木を含む土地を区が買い取り整備した施設。
 すぐ奥の坂下にある善福寺川からは目立つ存在で、カメラ背後に「けやきの見える家」の看板を出す家があるように、多くの人が愛着を持つ地域のシンボルのようです。

 先日の台風・豪雨以来、しばらく善福寺川の水位が高かったそうで、湧水量は減っても生きている地下流路から水が流れ込んだためかと。神田川を含め流域の氾濫を防いだのは環七地下調節池 等のおかげと思われますが、川の高水位が続いたのは土壌の保水力によるものと。
 キャパは当然あるも、支流を含めた流域の保水能力は、ある程度の雨量なら持ちこたえられそうと感じます。
 地表を雨水が浸透しない構造物で覆ったため、地下の調節池が必要となったように、対処のためにお金をかけていては、いくらつぎ込んでも足りないのではないか……

 武蔵野三大湧水池とされる善福寺池(井の頭池、三宝寺池:石神井公園)ですが、現在上の池・下の池に分かれ、地下水をくみ上げ維持しているそうです。
 水辺のある公園は子どもたちがよろこびますし、年配の方にも水面を眺める日向ぼっこが人気の地は、駅から遠く訪問者は近所の方に限られるため、武蔵野の雰囲気をゆっくり楽しめます。
 下の池はアシなどの植物が多いが(右)、上の池(下)の水面は開けるなど環境が異なるため、野鳥の種類も違うように見えます。


 上は倒木の枝で休むサギ(と思う)の姿で、この右側の島には市杵島神社(いちきしまじんじゃ:江ノ島弁財天を祀った水の神)があり、社の周辺にたたずむ鳥たちは、神様の使いのように見えたりします。
 源頼朝が掘ったとされる遅野井(おそのい:水の出が遅いと弁財天に祈った)の守り神とされます。


 以前の訪問時に開催されていた、国際野外アート展『トロールの森』が明日から開催のため、準備作業が行われています。会場も、杉並区立桃井第四小学校、西荻窪〜善福寺周辺店舗・ギャラリー 等、町を巻き込む催しとして定着しています。
 自由なアート展というのは、期待せず気軽に見学でき、思いがけない発見があると得した気分になれるので、ブラブラしてみると結構楽しめたりします。
 トロールとは北欧に伝わるいたずら好きの妖精で、物がなくなると「トロールのいたずら」と言われるそう(ムーミンはムーミントロールの名を持つ)。


追記──天皇即位祝賀行事

 上皇后美智子さんが目指した「開かれた皇室」のおかげで、令和天皇の姿は浩宮時分からメディアへの露出機会が多いため国民にも浸透しており(当人はプレッシャーだったことと)、「彼なら大丈夫」と信頼する人が多いのではないかと。
 美智子さんの努力は見事に功を奏し、スムーズに継承は行われましたが、60歳から天皇というのは大変そうと……

 「天皇陛下万歳」からは、戦争や北朝鮮の体制を想起するので、なんとかならないだろうか……

2019/11/04

駅前は誰のもの?──西荻窪

2019.10.26【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_48

 西荻窪駅周辺は、生活には便利ながらも窮屈な印象があり、少し離れた住宅地に接する店舗のゆったりした雰囲気に魅力を感じるのは、時代の感覚という気もします。


 荻窪駅北側は闇市から発展した庶民主権の町で、東側の荻窪銀座商店街にはアーケードが残ります(荻窪中華そば春木屋はこの付近)。女性は引きそうなルックスですが、メニュー&値段は魅力的に見えます。
 西側にはルミネタウンセブン西友があるので、ひと通りの買い物はできそうです(付近も闇市だった)。映画館の旧荻窪オデヲン座もこの付近でした。
 右は駅北側に伸びる教会通り(←リンク先にこの店の写真があった…)のクリーニング店。下は飲み屋の飾り。
 付近で夜のお勤めらしき女性を多く見かけるのは、新宿周辺に通いやすいためか?


 右の神明(しんめい)天祖神社は、戦国時代に移り住んだ伊賀(三重県)の農民が、伊勢大明神(天照大神 あまてらすおおかみ)を祀ったもので、のちに紀州徳川家の領地となり、阿佐ヶ谷を含め伊勢信仰が定着したように。
 10月15日の例祭に行われる、かがり火を焚いた里神楽(民間人による神楽)は評判らしく、祭を終えたばかりの境内は、大掃除後のようにスッキリしています。
 以前付近には、桜の木を植えた「桜の馬場」があったそうで、周辺の地に巨木が健在な様子からも地域の中心だった名残がうかがえます。

 下はベルク・バイオリン工房で、リンク先に初心者セット 10万円前後、おすすめ 30〜100万円程度(新作・中古)とあり、素人が想像できる範囲内と。
 そこで目にした分数バイオリンとは、子供用サイズのことで(6サイズある)、使用期間が短くても買い替えは必要ですから「レンタルないの?」と思うも、それでは身が入らないかと……

 右は赤サビをまとうような鉄板で覆われる建物(一般の住宅らしい)。住宅街から行儀のいい印象を受けるのは、同時期(高度成長期?)に建てられたためか?


 西荻窪駅正面にある南口仲通街(右)は、間口が狭く、長さも100m程度のごちゃごちゃした商店街ですが、駅への通路なので人通りはあります。
 アーケードに吊り下げられるピンクの象(3代目)は、神輿を担げない小さな子供達が山車として引けるよう作られたもので、ピンクとされたのは、祭りで使う赤・白のペンキを混ぜたためらしい(初代は黄色だったそう)。
 足にしがみついている仔象には「にしぞう」という名前があるらしい。
 以前西荻には5軒の映画館があったそうです。

 西荻窪駅は、高円寺駅、阿佐ヶ谷駅と同時期に設置されますが、駅周辺には当時の区画がそのまま残されるように見えます。南口の小規模店舗が軒を並べる一画は、高度成長期の労働者には欠かせない空間で、わたしも引かれる中央線沿線の雰囲気が健在ながらも、公共性を考えると区民の利便性も考慮すべきと。
 狭い道路にバスを通したため、一方通行でもスムーズに走れない道路状況に、整備すれば車が増える心配はあるとしても、バスは通してあげたいと。
 折しも、1966年に決定した道路拡張計画が動き出したそうで、周辺地区は動揺しているようです……


追記──首里城炎上

 勢いよく燃える姿を目にし、ショックを受けました。
 沖縄の人々の落胆は想像以上と思いますが、「燃えたものは仕方ない」「早く再建したい!」との意欲には、戦争で焼失した首里城の姿を重ねているようにも感じられます。
 支援の輪が広がり、多くの人々の気持ちが再建につながったとしたら、「沖縄をなめきった国の姿勢」とは違う、国民主体の一体感が生まれるのではないかと……


追記──ラグビーW杯2019閉幕

 44日間という長さを感じなかったのは、毎週末の盛り上がりを楽しみに一週間を過ごせたからではないかと。
 今大会の成功から「Tokyo2020もこうすればいいのか!」の自信を得たので、今回以上の「おもてなし」で盛り上げられそうと。
 前回大会日本のヘッドコーチだったエディ・ジョーンズの印象は良かったが、準優勝のイングランドに引き抜かれたのでは仕方ないと感じたように、今回のジェイミー・ジョセフが引き抜かれたとしても、次回大会も、新たな勇姿を見せてくれることを楽しみにしています!

2019/10/28

歴史を伝える責務──荻窪

2019.10.19【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_47

 荻窪の町は、善福寺川や青梅街道の方向軸(北西〜南東)に発展し、中央線の東西方向とは斜行するため、慣れないと歩きづらい印象があります。


 右の、阿佐ヶ谷の顔といえるパールセンター商店街は、旧鎌倉街道を整備したもので、当初民家は数件程度しかない場所が、1922年(大正11年)阿佐ヶ谷駅開業により一気に活性化します(翌年の関東大震災以降、下町から被災者が流れ込み、急激に人口が増えます)。
 昭和には井伏鱒二、与謝野晶子、太宰治などが移住し、荻窪にかけて文士村と呼ばれたが、戦争の強制疎開により商店街は更地となります(中島飛行機東京工場に近い)。
 戦後に阿佐谷七夕まつりが始まり、商店街の名称は「真珠の首飾りのように結び合って繁栄したい」との願いから、現在の名称とされます。

 戦後の闇市がパールセンターとなり間もなく、都内最初の歩行者専用道路(歩行者天国)とされ、阪神淡路大震災を教訓に、アーケードの屋根を火災防止のため開閉式にします。

 古道を整備した商店街は曲線を描くため、新しい中杉通り(右)との距離が狭く中途半端な区画には、古い建造物や店舗が残されています。
 中杉通りの欅(漢字書けません)並木は、戦後に地元有志が植樹したものですが、これまでは大木に頼りがいを感じたものの、近頃の強烈な台風を経験すると、倒れてきたらどうしよう、と思ってしまいます……


 上は、金魚(鯉、フナ)の釣り堀 寿々木園(すずきえん)(1924年)。「金魚なら触れる」女性も訪れるため、家族連れやアベックも混じり客層は幅広く、子供も結構釣っているので、にぎやかに楽しめそうです(1時間3匹まで持ち帰り可)。
 常連らしきオヤジは、釣れた途端にリリースしています(針を外す用具も貸してくれるらしい)。近頃は高価な金魚は泳いでいないため(以前は十万もする金魚が釣れたそう)、キャッチ&リリースを楽しむようです。
 NHK ドキュメント72時間で紹介されたような、楽しげな雰囲気が感じられました。


 上の西郊ロッヂング(せいこう)は1938年に建設され、2001年改修後は賃貸住宅とされます(国の登録有形文化財)。リンク先の後半に見られる賃貸共用部分は、モダンなホテルのよう。本館は旅館「西郊」(1930年)。
 オーナーが「当時の荻窪は、軽井沢のような閑静な避暑地として知られていた」と話すように、昭和初期は別荘地的な地域だったようです。


 大田黒公園(上・右 音楽評論家 大田黒 元雄 邸を整備し1981年開園)は、前回訪問が心に残り再訪を楽しみにしていましたが、残念ながら暗い空模様。
 上のイチョウ並木(巨木!)や池周辺のもみじの紅葉は、とても絵になりそうです(紅葉ライトアップも行われます)。
 仕事場だった洋館(右:1933年)は記念館とされ、ピアノや蓄音機などの展示や、流れるクラシック音楽を聴きながら庭を眺めるサロンは(演奏会ができるよう椅子が並んでいる)、心が解放されるような趣で、とても落ち着けます。


 上は、近衛文麿(このえ ふみまろ)邸の荻外荘(てきがいそう:奥)を整備した荻外荘公園(芝生のみ)。
 戦争直前まで首相だった近衛は、対米戦争の協議をこの地で行うも(荻外荘会談)、開戦に傾く形勢を止められず内閣総辞職し、のちの首相 東條英機が開戦に踏み出します。みずから手を下してないがA級戦犯として裁かれる決定を受け、ここで自殺しました。
 建物を史跡として復元・整備し公開する計画はなかなか進みませんが、親子連れが園内で縄跳びする姿を目にすると、子供たちに伝えるための施設の必要性を感じます。


追悼──八千草 薫さん

 直前まで出演依頼を受けていたそうで(倉本 聰 作品)、復帰を目指しながら幕を閉じたとすれば、役者として本望ではないかとも……
 登場シーンでは、ずっと姿を追ってしまう存在感を示しながらも、「あら、そうだったの…」と、バツの悪い場面での表情が可愛らしかった(失礼!)印象が強く残ります。
 ありがとうございました。

2019/10/21

地元に愛される活性化を──阿佐ヶ谷

2019.10.5【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_46

 気は使わないが猥雑な高円寺よりも、おっとりとした落ち着きが感じられる阿佐ヶ谷の方が暮らしやすそうと……



 上の馬橋公園には以前陸軍気象部があり、高円寺氷川神社境内の気象神社は付近にあったようです。
 旧馬橋地区は、高円寺駅と阿佐ヶ谷駅の中間に位置し、北端の早稲田通りから青梅街道の南側まで縦長に広がり、現在暗きょの桃園川に架けられた馬橋に由来します。
 大正期に、桃園川と中央線が交差する付近に馬橋駅設置が決まりかけますが、周辺住民(農民)の反対で頓挫し、高円寺駅と阿佐ヶ谷駅が設置されることに(中野駅〜荻窪駅間2分割が3分割とされた)。そんな経緯を知ると、休日の快速通過も仕方ないかと。
 右の木々に囲まれた屋敷に通される私道(?)では、虫の標的に……

 以前早稲田通り南側には、お伊勢の森とされる阿佐ケ谷天祖神社(神明宮)の旧社地があり、お伊勢の森児童遊園、杉森中学校に名が残ります。陸軍の兵士がラッパの練習をしたことから、近所では「ラッパの森」と呼ばれたそう。
 江戸時代の武蔵野は杉の植林が盛んで(高井戸の杉は良質で評判)、領地境界の目印として植えられた青梅街道(現在 地下鉄丸ノ内線が通る)の杉並木が、杉並区名の由来とされますが、現在は消滅しました。
 高井戸の杉は、舟竿、幟(のぼり)や国旗掲揚塔の竿に人気だったそう(ガキ時分は木製だった記憶がある)。

 右は杉森中学校に隣接する「Aさんの庭」とされる施設(「Aさん」とは利用者の皆さんの意味だそう)。
 元は、大正時代の民家(木造平屋建て、2LDKの間取り)で、宮崎 駿 著「トトロの住む家」で注目されます。保存運動を受け杉並区が整備中の不審火で焼失しますが、宮崎さんのデザイン画を元に再建されます(2010年)。
 華やかなさはなくても、愛着を持って暮らせそうな家や庭が「トトロの住む家」のイメージのようで、宮崎さんの提案に賛同します。
 下は阿佐ヶ谷神明宮の見事な能楽殿。


 JR高円寺〜阿佐ヶ谷間の高架下では、高架下芸術祭が開催されています。銭湯 小杉湯とコラボしたライブペインティングや、絵画・演劇の若手アーティストが通行する方と作品の制作工程を共有する催しが行われるらしいが、この日は気配すらありませんでした。
 多少の傾斜はあるが、一直線で傘いらずの歩きやすい歩道の活用促進として、JR東日本が2014年開業し注目を集めた阿佐ヶ谷アニメストリートですが、19年に閉鎖となりました(右)。アーケード付き(?)の動線は利用価値が高いと思うので、まずは地元民が愛着を感じる空間を目指すべきではないかと。

 中央線沿線はサブカルチャーの町とよく耳にしますが、イメージできる映画館については、ミニシアターが馴染みやすい町のように見えます(栄枯盛衰は様々ある)。
 右のラピュタ阿佐ヶ谷(名称は『天空の城ラピュタ』より。1998年 48席)は、絶滅寸前の名画座で日本映画の旧作上映を増やしたいとの、応援したくなる志を持ちます。地下に小劇場のザムザ阿佐谷(名称はカフカ『変身』の主人公)が、裏手にはユジク阿佐ヶ谷(名称はロシアのアニメーションのハリネズミの名。2015年 41席 ←ベルイマン特集をやってます! ビル・エヴァンスの映画も…)と、かなりマニアックな感性(昭和の感覚)は刺激的で、応援を兼ねて一度足を運ばねばと……


追記──W杯ラグビー 準々決勝 南アフリカ戦(10月20日)

 ラグビーの基本は力勝負なので、力で勝る相手に意地を見せたい気持ちは伝わってきたが、すべての面で格が上でした。日本中がこれだけ熱狂する大会に盛り上げてくれたのは選手たちの奮闘のおかげですから、汗が似合うナイスガイたちに拍手を送りたい! 
 プロ野球 日本シリーズが裏番組だったように、スポーツ観戦が多様化したことは素晴らしいことと……