2017/07/24

空気が変わった──二子玉川

2017.7.8【東京都】──「丸子川を歩く_2」

 二子玉川駅東側の再開発地区は、下北沢や三軒茶屋をしのぐ世田谷No.1商業地を目指そうと、広く底辺を支えてくれる庶民層をターゲットとするようです。


二子玉川駅ホームからの眺め

 下流側に見える真っすぐな白い道はスマートになりましたが、左の土手から降りた付近にあった食堂は跡形もありません(スーパー堤防整備事業で撤去)。
 オヤジの溜まり場的な雰囲気でしたが、町の個性が失われたようにも(登戸のボート屋はまだ健在か?)。
 堤防内に居座る連中を退去させ、町のカラーを整えたいようですが、対岸の川崎側にあるバーベキュー広場からは、バカ騒ぎの奇声が響いてきます。

 川の上にあるホームからの眺めは、ひと息つけるロケーションですが、混雑時には線路ではなく川まで落ちそうな怖さがあります。



 1922年〜85年二子玉川園(遊園地)、後の二子玉川タイムスパーク跡地を含めた再開発により、2011年街開きしたホテル、オフィスビル、映画館等を併設する複合施設。
 二子玉川ブランドの高級感ではなく、映画館に人を集めるための、庶民価格商品を扱う店舗が集まります。
 その取り組みにより、髙島屋だけの町をスルーした人々の取り込みに成功しますが、ざわざわする人種が増えたため、周辺の空気が変わったような印象を受けます。
 そんなことで髙島屋の価値は変わらないにしても、地域ブランドの質は下がったのではないかとも……

 屋上には多摩川の環境をイメージした「ルーフガーデン」があり、右はそこに広がる「めだかの池」。子どもたちが走り回れる施設の重要さは、ガキどもの開放された姿からよくわかります。

 近ごろの再開発で目にする遺構を残す取り組みは、ぜひ義務化してもらいたいと(下の多摩川旧堤は健在)。
 水が堤防を越えても被害を最小限に抑える設計の、スーパー堤防完成で無用な存在となりますが、じゃまと思われるくらいの方が、防災意識を根付かせられるようにも。


 新しい町では、道路と歩道が立体的に配置されるように、奥の遊具は歩道や背後にあるマンションのエントランスの高さで、つづら折れの下が車道になります。
 おそらく斜面の裏には駐車場等の構造物があるのではないか(こんなに盛り土はしないでしょう)。
 いくらスーパー堤防を築いても、岸辺には洪水の危険性があるため、道路が冠水しても徒歩による避難路の確保は重要です。

 以前の広告で、富士山眺望のイメージを目にしたが、完成後に実際の眺望イメージが見当たらないのは、誇張がバレてしまうためか?

2017/07/17

自然の恵みで遊んだ記憶──玉川

2017.7.1【東京都】──「丸子川を歩く_1」

 元の丸子川は仙川に流れ込む短い支流でしたが、六郷用水(世田谷区狛江〜大田区大森・蒲田方面に分流)に仙川の水が流されるようになり、丸子川とされました。




 ここは、三菱財閥2代総帥 岩崎弥之助・4代総帥 小弥太父子の、古典・古美術コレクションを収蔵・展示する施設で、年配女性の見学者が途切れません。
 弥之助墓地の隣接地に建設されたもので、財力を得た者は、展望のいい(富士山を臨む)国分寺崖線の縁に墓を建て、古墳のような権威を示したいと考えたのか?
 ですが、そのおかげで一帯の森が維持され、現在も斜面から湧水が見られるので、地域の財産が守られているともいえそうです。
 付近で、前回までの谷戸川が丸子川に合流します。




 実業家・政治家であった小坂順造の別邸で、国分寺崖線沿いに並んだ近代別邸建築の中で、唯一現存するものらしい。
 現在も崖上からの眺めは人気らしく、いまどき大邸宅は無理でも、崖にへばりつくような建物が多く見受けられます。眺めはよくても傾斜が急なので、暮らしやすそうには見えません……



 1980年丸子川沿いに開設された施設で、崖上の住宅足下に位置するも、湧水に恵まれた場所柄こそふさわしいと。
 古民家では七夕飾りを作る催しが開かれており、子どもたちが行事に親しむには絶好の環境に思えます。
 今年の七夕はめずらしく晴天でしたから、多摩川沿いなら星も見えそう(?)ですし、願いは届いたのではないか。
 老人会? のようにお年寄りが集まるのは、古民家周辺の情緒が落ち着ける場所なのだろうと。

 以前竹は生活に身近な存在で、食用の竹の子や、細工しやすい木材として欠かせないものでした。雨樋は腐りやすくても、成長の早い竹が身近にあればすぐに修繕できます。

 敷地内でU字型の瓦をつないだ排水路を目にし、父の実家でも庭の井戸をそんな排水路で流しており、笹舟を浮かべ追いかけた情景を思い出しました。
 井戸水は自然の恵みとの認識のためか、遊びでいくら流しても文句を言われない時代でした。




 1969年横浜髙島屋の支店として開店し、日本で初めての郊外型デパートとして注目されます。地元は冒険的な出店を歓迎するも、とまどったのではないか? 現在も庶民の住宅地に身近すぎる高級店に、ギャップを感じる場所があります。
 以前入った際の印象は、飲食店を含めてオヤジの居場所はない、とのものでした。


 以前耕地だった周辺の宅地開発は活発なれど、道路は現在も狭いままです。
 それでも、自家用車で買い物へ行くこと=渋滞に参加することは、ステータスとして譲れない心情があるようです。
 現在も丸子川沿いの道は「すれ違えない抜け道」のため、歩行者が渋滞する車の隙間を抜けるなど気を使ったりします。
 髙島屋裏を通る東名高速ギリギリまで駐車場が建設されても(上)、入場渋滞がネックとなるため周辺に車があふれますし、わたしには辛抱できないだろうと……


追記──カビが生える間もない季節に……

 以前は、ジトジト降る雨と、どんよりとした空模様によって「カビが生えそう」な、湿潤な空気が停滞していましたが、近ごろは局地的な豪雨が多発するため、対策どころではなく試練の季節と化しました。
 急な豪雨に対抗する術はありませんが、予報技術は格段に高まっているので、ちゅうちょせず早めに逃げるしかありません。
 都市部でも、逃げ場や手段をシュミレーションしておく必要がありそうです。

2017/07/10

Let's Play ! ──砧公園

2017.6.17【東京都】──「谷戸川を歩く_2」

 近ごろ砧公園の訪問は花見シーズンに限られていましたが(大木を身近で見られる)、梅雨の晴れ間に思いっきり汗を流す場としても、絶好の場所です。




 右は、谷戸川に架かる吊り橋で、揺れるモノは揺らして楽しむ子ども向け施設のようにも。
 そんな揺れる橋の印象が残り、吊り橋への感心が芽生えたなら、目標達成と言えそうです。

 上流の地下には谷戸川浄化施設が設けられ、付近には処理後の水が流されるそう。
 一般的に浄化施設の下流側には、水遊びできる場所がありますが、そこまで浄化できてない、もしくは管理上の問題か、立ち入れない水路が無表情に続きます。
 そんなせいか、緑に覆われる公園でも乾燥したイメージがあります。


 上は、仲間全員でローラー作戦のように野球ボールを探す様子。草の丈はそれほど長くないも、原っぱで探すのは容易ではなさそうです。
 遊びであっても楽しさが高じると、ヒートアップしてしまうのではないか?

 右写真の写りはよくないも、ガキ時分に目にした、外国の幼い兄妹が描かれた絵を想起しました。こんな時分が、親にとっても子にとっても、もっとも楽しい年ごろと思ったりします。




 体育館では、地域の女子バレー大会が開かれています。
 ある程度年齢を重ねた方たちが、きびきび動き回る姿は見ていて気持ちいいので、ケガのないようにと、声援を送りたくなります(上手い下手ではない)。
 「もう一度やろう!」の気持ちを高めるには仲間が必要ですが、身近な練習施設も大切で、スポーツ施設の整備は健康促進に欠かせないものと、改めて感じさせられます。


 いまどきの少年野球部員たちは、見知らぬ人にもあいさつするするのかと感心したが、われわれも、ユニフォームを着ている間はあいさつしていたようにも。あいさつを交わせば相手はちゃんと自分を意識してくれますから、やはり社会活動での基本に違いありません。
 少年野球時分に神奈川から遠征し、ここで試合した覚えがあります。アウエーながらも勝つつもりでいましたが、東京の連中は大人びて見えた印象がありました。

 右は、テレビドラマ「俺たちの旅」に登場した、岡本の坂道。年月が景色を変えるように心情も変化しますから、見え方が変わるのは当然かと……


 周囲がいくら開発されようとも、維持義務が課せられている生産緑地では、毎年ひまわりが咲いているようです。
 近所はホコリっぽいかも知れませんが、家が並ぶ景色に土色や緑が目に入ると、ひと息つけるのではないかとも。

2017/07/03

世田谷のヒルトップ──砧(きぬた)

2017.6.10【東京都】──「谷戸川を歩く_1」

 谷戸川は、世田谷区最高標高地 砧の丘(小田急線 千歳船橋〜祖師ケ谷大蔵駅間にある56mの丘)北側に始まり、江戸時代に開削された六郷用水(現 丸子川)へと流れます。





 「スミレの咲く原っぱに」との願いを込めた名称で、2003年個人の邸宅・庭園跡地に開設され、市民や一般財団法人 世田谷トラストまちづくりが管理運営する区立公園。
 子どもたちが自然とふれあえる場は、広さよりも身近にあることの大切さを感じますが、スミレの開花時期(3月下旬~5月上旬)にはちと遅かった。



 小田急線から見上げていた、世田谷のヒルトップには給水場があります(以前実相寺の看板が見えた付近)。
 1932年(昭和7年)大東京市への大合併(東京35区)の際、町営・組合・民間水道は東京市水道と合併し(駒沢給水所は渋谷町営水道)、本施設(日本水道(株))は、空襲被害による水不足の際、緊急的に買収されますが、都内全体の漏水率は約80%にも及んだそう。

 大学の同級生が付近のアパートで半同棲的な生活をしていたこと、中村雅俊邸や植木等邸があったなど、当時にすれば刺激的な地域だった印象があります(五十嵐淳子さんも暮らす…)。


 上の小田急線と環状八号線の立体交差(1972年)は、車が急増した時代の踏切渋滞解消が目的でしたが、ガキの目には立体交差がめずらしいため、キョロキョロ眺めていた記憶があります。
 車を運転し始めた時分の、踏切(関所)だらけだった環八を振り返るとゾッとしますが(西武線の対応の遅さはヒンシュクものでした)、立体交差が実現した現在も車の列が続くように見えます。渋滞はどれくらい解消されたのだろうか?

 付近が谷戸川水源地で、線路沿いに水路があった記憶も(経堂方面の勘違い?)




 2005年まで付近に円谷プロダクションがあったことから、商店街の名称とされます。
 駅前広場のウルトラマン像を撮るつもりが、「宇宙のパトロール中で不在(改修中)」の貼り紙が。電線には気をつけてね……
 街灯などのデザインには、ウルトラマン関連キャラクターが隠れており、バルタン星人の目が光る町では治安がよくなりそう、とも。
 ウルトラセブンだったか、クレジットの「キヌタ ラボラトリー:映画『七人の侍』の現像所だったそう」の名称から、この付近をイメージしましたが、東宝撮影所の城下町だったようです。「コメットさん:九重佑三子(リンク先YouTube)」等は、周辺の商店街で撮影されたそう。




 1972年開設の青果市場周辺には生産緑地が多く残るので、地場産野菜せたがやそだちなどの扱いは売りですし、地産地消の人気がありそうと。
 上は市場前にある、現在も食を支えている業者の事務所。
 テレビCMをよく目にし、ガキ時分はフレーズを口ずさみましたが、近ごろ見ないのは主婦向けに昼間流されるためで、その時間帯にテレビを見ないためかと。



 美術館併設レストランの結婚披露パーティーのため、屋外に椅子が並べられています(室内にドレス姿が見える)。虫も少なくベストな新緑の季節を選んだことと。

 砧の地名は、7世紀頃から上納する布のつやを出すため、衣板(きぬいた)で打った、道具や行為に由来するそう。
 丘陵地なので開墾しやすいも、谷戸川の水だけでは作物も限られたのではないか。
 ガキの感性では「砧≒タヌキ?」が関の山でも、記憶に残っているんだから認めてもらいたいとも……(きっと現在のガキも同じでしょう)

 一般的に、集客を目指す施設はアクセスを重視しますが、ここは最寄りの東急田園都市線 用賀駅から徒歩17分の案内があります。
 1986年開館以来、用賀プロムナード「いらか道」や砧公園を含め「美術館を散策する」イメージを定着させたことは、見事な成果と。
 近くを歩きながらスルーしてしまった、向井潤吉アトリエ館(分館)を含め、都心近くに残る郊外の風景をアピールする姿勢こそ、世田谷らしさと。


追記──父の、危篤から臨終

危篤:脳が機能していない状態
 意識は無いが、体の機能だけで命が保たれる状態。
臨終:死を迎える瞬間
 体の機能が停止する(呼吸が止まる)瞬間。
を、初めて間近にしました。
 人が死にゆく姿を、先達である父を直視し学ばせてもらいました。
 お疲れ様でした……
 

2017/06/19

別世界への誘い──等々力

2017.6.3【東京都】──「谷沢川を歩く_3」

 この日は、一度終点まで乗りたかった「等々力操車場」行きのバス(東急)で向かいますが、慶応義塾東門から所要時間50分って結構な長旅です。





 上下線の線路に挟まれた島状ホームに改札もあるため、ホーム両側に踏切があります。いまどきは平面交差も少なくなりましたが、効率を求めないのんびりとした空気が駅周辺の地域文化とも。
 東急は危険性回避(左端の警備員配置を止めたい)を含め、地下化を目指すようですが、ほど近い等々力渓谷を深く浸食した地下水への影響が心配になります。



 橋の脇で谷底に誘う別世界への入口のような階段は、足を踏み入れる者の期待を裏切りません。
 入り込んだ瞬間の、日常とのギャップがもたらす「快感」は、何度来ても色あせないので、変わらないでもらいたいと。
 上流から歩いてきたため、キレイな水ではないと知っていますが、渓谷周辺の環境が保全されるおかげで「森林浴してる〜」の声が聞こえるような、癒しの空間となっています。
 以前付近にゴルフ場があったことから、奥の赤い橋は「ゴルフ橋」とされます。

 下の等々力不動を建立する時分は、「山には雲が漂い、谷には清い泉が吹き出していた」らしいが、現在右の不動の滝は申しわけ程度の水がしたたるばかりです(季節差がありそう)。
 ビルの建設が増え、その影響が地下水に及ぶため都市部では飲用不可となり、湧水はそのまま下水に流されます。
 飲用は不可でも、湧水の潤いを感じたいとのわがままを(現在はマンホールから響く水音だけ)、水と闘い暮らしてきたこの国の英知で、何とかできないかとも……



 ここは、駅北側にある満願寺の別院で、ちょうど五月の春季大祭(弘法大師ら先人を祝う大護摩)の、茅の輪念珠潜り(右)が設置されています。京都 赤山禅院でも念珠の輪をくぐったが、茅の輪くぐりは神社の厄払い行事では?
 神社にくぐり方の作法案内が立てられるのは、ご利益があれば何でも受け入れる日本人の無作法を、しきたりで掌握しようとする戦略に思えます(ここにはない)。
 形式へのこだわりは日本的なので文句はないにしても、それゆえ窮屈さを覚えることもありそうと……




 ここは、下の野毛大塚古墳より新しい、5世紀中ごろ(約1,550年前)に造られた大型の帆立貝形古墳とされます(非公開)。
 保存を決定した時分の姿を守ることも大切だが、地上部くらいは公開してもよさそうと思うも、近隣の苦情に配慮が必要な住宅地なのかも。
 後の時代に立てられた石仏が並ぶ様子は、時代劇等で目にする街道筋の無縁仏のようにも……



 この古墳(5世紀初頭の帆立貝式古墳で、写真手前がちょうつがい部分)は、ゴルフ場跡地に公園やグラウンドが併設されたオープンな場所なので、ガキ時分に「東京の古墳で遊んだ」は自慢になりそう(以前、斜面がソリで削られた姿を目にした記憶がある)。
 周辺の野毛古墳群では最大規模で、中央(畿内王権)と結びつきを持つ大首長墓とされ、当時から多摩川を見下ろす高台は一等地だったらしい。

 隣接する国の公務員等々力宿舎は閉鎖され、今後世田谷区の公園に生まれ変わるそうで、完成後に是非。



 学生時代、三浦半島へ向かう際(地質調査? 遊び?)よく利用しましたが、スカッと走れるのはここだけなのに(日本初の6車線自動車専用道路)、渋滞続きの環状八号線やこの先の横浜新道をよく辛抱したと……
 少し前、同年代の車好きから「第三京浜(16.6km)を『ホテル・カリフォルニア:イーグルス』(6分30秒)が終わるまでに走り切れるか競った(153km/h) 」と聞き、知らなかったがやってそうな時代の空気感がよみがえり、不思議な時代だったと(高度成長後の個の目覚め?)。
 当時ここでは速度取り締まりをやってない、との都市伝説を耳にしました(どの車もガンガン飛ばしていた)。


多摩川との合流地点


 久しぶりの多摩川対岸には、ギョッとするような武蔵小杉のビル群がそびえています。機を待っていたようなビルも建設中で、まだニョキニョキと生えてきそうです。
 転居後も通った理髪店が閉店し(困ってます)、居住アパートの閉鎖まで1年を切り、希望転居先の以前暮らした小杉御殿も難しいようで、付近との縁も切れそうと。
 理髪店のおばちゃんとの「以前はハリガネのようだったけど、随分細くなった」なんて付き合いも思い出と……


追記──パンダの赤ちゃん誕生!

 騒ぎ過ぎとは思うも、無事育って欲しい願いは同じです。
 そんなニュースを受け、上野周辺店舗の株価がストップ高となりました。
 明るい話題が地域活性化の期待感を高め、ご祝儀(?)などのお金を動かす原動力になることが、相場の本来の姿ではないかと。
 まだ無事の成長を祈る段階ですが、パンダの威力のスゴさを改めて感じます……


追記──父が亡くなりました

 入院が長かったので覚悟はできており、不思議なくらい淡々と受け止めています。
 家族と見送るため、来週は休みます。

2017/06/12

点在する緑に誘われ──上野毛

2017.5.27【東京都】──「谷沢川を歩く_2」

 上野毛に抱く高級住宅地のイメージは、多摩川に面した見晴らしのいい場所だけのようで、谷沢川周辺に農地が点在する光景こそ世田谷らしさと……




 鳥居の外から、女性が木に手を伸ばし「反省」するように見えたのは、右のこぶに祈る姿だったようです。
 社殿前の目立つ場所にあるため、参拝者が触れながら祈るようになり、願いが成就した方々の声を受け「一福の松」と命名されます(踏み台も用意されている)。
 人の勝手な思い込みとしても、「パワー」が秘められていそうな特異なモノに、願掛けしたくなる気持ちは理解できます。
 触れていると穏やかな気持ちになるため、わたしも次第に「反省ポーズ」のように……(やってみれば分かると思います)



 ここは以前の屋敷林で、周囲の人からその名で親しまれます(高橋五郎衛門の名に由来)。
 地主と小作の関係(?)とすると、明るい農村ではないかも知れないが、右の姿となるまで樹木を維持し市民緑地に提供する姿勢は「五郎様」の尊称にふさわしく、先祖の思いを受け継いでいるようにも。
 隣接する不動産物件は売りとして(?)「フォレスト○○」の名称を使用しますが、いまどきは「虫が多そう」と敬遠されるのでは。
 以前の用賀は郊外でしたから、付近にあっても不思議はないが、森が丸ごと残される姿には驚きました。


田中橋付近

 谷沢川は、高速道下の田中橋から開きょ(OPEN)となりますが、以前よく足を運んだ瀬田温泉 山河の湯(2013年閉館)への道ながら、♨︎気分だったようで記憶にございません。
 元々流れは小川程度で水量が少ないため、水質悪化防止策として仙川からの送水が右付近で合流します。
 下流の等々力渓谷は観光地のため、イメージアップに向けた水質改善は、サクサク進んだのでは?

 高速道からの音は一定ではないため、車が飛んでこないかと……(想像を超える事故でした)



 点在する高い木を目印に歩いていると、気になる緑に誘われ川から離れてしまい、なかなか前に進めません。ですが、そんな高木や生産緑地が多く残る様子を確認できたことが、今回の収穫と言えそうです。
 付近は、野原を開墾した耕作地から野良田とされますが、田舎っぽい響きが嫌われ玉川仲町〜中町の名称に。
 以前訪問した、兎々呂城(とどろじょう)跡にある東京都立園芸高校に近く、水路は確認できないも湧水が点在したらしく、日当り抜群の土地は耕作に適したようです。




 公道上に装飾の屋根をかけて文句言われないの? 当駅最寄りの多摩美術大学関係者のデザインかと思ったら、安藤忠雄氏によるそう(彼の学歴は高卒)。
 2008年急行運用の際に上り通過線が新設され(各駅停車を追い抜く地点は旗の台駅だけだった)、09年(通勤に利用したくない)田園都市線との直通運転が始まります。混雑緩和策として等々力駅を地下化し追い抜き地点を拡充する計画らしく、目蒲線→目黒線(東横線のバイパス)のように、田園都市線のバイパスとなる通勤線を目指すようです。


 谷沢川は上野毛駅近くからのどかな田園の流れが一転し、急傾斜となり等々力渓谷へとなだれ込みます。以前の谷沢川は、現在の等々力駅近くに始まる流れでしたが、湧水の力による谷頭侵食により上野毛駅方面まで浸食を進めたとされます。
 部外者は、浸食の進み方をもっと観察したいと思うも、宅地を浸食されては困る自治体が川岸をコンクリートで固める様子に、「住民の暮らしを守る取り組み」が見えます。
 上は渓谷近くの建物。


追記──2017世界卓球選手権ドイツ大会 混合ダブルス優勝で抱き合う二人

 日本勢48年ぶりの金メダル獲得の快挙は見事で、男女ペアの日本人選手がハグする姿(って記憶にない)にすがすがしい印象を受けました(吉村真晴選手 23歳・石川佳純選手 24歳で、佳純ちゃんの方がお姉さん…)。
 これから流行りそうだし、あの姿を目指して頑張るアスリートが増えれば、きっと強くなれそう? とも 。
 今大会の若手躍進は長期的な強化・育成の成果とされ、ここまで牽引してくれた福原 愛ちゃん(28歳)に、「お幸せに!」と引導を渡すタイミングを、若手は狙っていたに違いない! 下克上的な世代交代が実現する競技は、将来に期待できそうです。

2017/06/05

道が町を生む──用賀

2017.5.20【東京都】──「谷沢川を歩く_1」

 今回から、東京農業大学(世田谷区桜丘)付近を水源とし、等々力渓谷に流れ込む谷沢川を歩きます(用賀までほとんど暗きょ)。





 ここは、JRA馬事公苑門前にある東京農業大学の施設(大学も隣接)。両者はベストマッチな関係に思えますが、馬事公苑は1934年(昭和9年)帝国競馬協会が土地を購入したもので、一方農大は現青山学院大学の地から、戦後の46年(昭和21年)陸軍機甲整備学校跡地への移転なので、共通するのは「田舎に引っ込んだ」というあたりか。
 上は、温室のバイオリウム(生きもの空間)で放し飼いにされるイグアナ。
 現在、馬事公苑は東京五輪に向け改修工事中です。


桜丘(さくらがおか)、上用賀

 付近の高台は、目黒川支流の烏山川蛇崩川や、呑川との分水嶺ですが、谷沢川方面の湧水は少ないため、付近の品川用水(玉川上水の分水)から分水を受けていました。
 後の水利権争いにより分水は止められますが、漏れ出す水をいくつもの溜池に集め農耕に利用したそうで、ざるで水を管理することで黙認していた、大らかな時代だったようです。

 現在も生産緑地保護のおかげで、地域の原風景を思い描くことができます(右は農家の屋敷林)。


 関東大震災の後、被害が少なかった高台への人口流入増を受け、当時の玉川村では耕地整理が行われ、その事業費捻出のため馬事公苑の土地が売却されたそう。
 おかげで世田谷とは思えない碁盤状の区画に整備されますが、整然と並ぶ住宅街には目印がないため、用賀条通り(一〜十条)として道案内するようになります。
 大山街道と世田谷通りの間を、京都とは逆に北に向かって数を重ねるのは、地域の中心は大山街道との思いによりそうです。上はファミリー農園。




 東急田園都市線 用賀駅から砧(きぬた)公園内にある世田谷美術館への道は、いらか道として整備され一部が谷沢川暗きょ上を飾ります。テーマロードとしては長く、装飾が淡路瓦(グレー)で統一される姿にはシックな印象を受けます。
 道沿いに点在する店舗にも、イメージ活用を工夫する姿勢があるため、道が町を生み出した街道筋のようで、町づくりの参考になりそうと。


用賀一条通

 用賀は、江戸時代まで大山街道(矢倉沢往還:旧東海道本道 )の宿場町(眞福寺の門前町)で、江戸期盛んになった大山講(大山阿夫利神社詣り)でにぎわいます。
 その先の矢倉沢(箱根)を越えれば富士山に通じるが、富士講は富士みち(甲州街道)を利用したらしい。
 土地柄からすれば大山講支持派が多そうですが、多摩川を見下ろす高台からの景色では、どうしたって富士山が目に入るため、両方拝んでいたのでは?

 山号の「瑜伽(ゆが)山」が地名由来とされる眞福寺前の道が、用賀一条通とされます(右は通りに面した無量寺:用賀観音)。




 旧玉電車庫跡地に、1993年世田谷ビジネススクエア(東急による28階建てのオフィスビル)が開業します。
 いくら意気込んでもバブル乗り遅れ組の郊外ビルなので、当初掲げられたサン・マイクロシステムズのロゴ(スマホ等で利用されるJavaを生み出した→現在Oracle)を目にし、相当家賃を叩かれたのでは? と感じたことも。

 三軒茶屋キャロットタワーと共にランドマークと認識するのは、「世田谷に高層ビルは似合わない」と感じるためではないか(ビジネス拠点の広がりは悪いことではない)。上は用賀駅の階段。右はビル地下の水辺。


追記──ビール値上げ?

 「安売り禁止令」は、日々同じ商品なら安い店を探す消費者に対し、インフレ(高い)商品を買えと強制されるようで、気に食いません。免許制の酒屋保護は分かるが、他の業種を守らずシャッター街で酒屋だけが元気ってのは、おかしな光景になりそうです。
 ビールの値段は3%程度高くなり、これで消費税が上がったらどうなるのか?
 輸入ウイスキー価格が変わらない店の誠実さ(?)を、応援したいとも……