2015/03/30

「いいお彼岸だ……」──高円寺

2015.3.21【東京都】──「神田川を歩く_12」



高円寺 純情商店街


 高円寺駅に降り立つのは初めてという気がします。
 名の知られる純情商店街の人通りには活気を感じますが、気安くても「特に安くはない?」ように見えました。
 現在の田町(都内)で日々感じる物価の高さは、比較対象の神奈川県川崎市から越した際に「2〜3割高い!」と感じてから、とても敏感になりました。
 安さばかりを要求すべきでないと思うも、物価を上げようとする政策の中で、賃金が上がらない労働者には切実な問題として迫ってきます……


高円寺(曹洞宗)


 江戸幕府将軍 徳川家光が鷹狩りで雨宿りに立ち寄った際、住職が一般の雨宿り客と同等に接したことが気に入られ、広く知られるようになります。
 参道が道路で分断され、駐車場の無い場所柄ゆえ参道が人・車共用となっても保たれる秩序は、寺の揺るぎない包容力によるのでしょう。

 周辺が寺町とされたのは、明治末期〜大正期の東京市内整備計画による中心地からの移転によるもので、実施が関東大震災の後となった烏山寺町の形成も同じ理由。
 付近に曹洞宗寺院が多いのは高円寺の求心力か? 現在も求心力を持つ町に見えます。


カトリック高円寺教会

 東京最初の教会設立(1873年:明治6年)から55年後に、10番目の本教会設立(1928年:昭和3年)と知り、都市部の布教活動には手こずったように感じます。
 先祖の墓がお寺にある家が多いのは地方も同じながら、文明開化の恩恵を最も受けた都市部で障害になったのは、「江戸っ子気質の自負」だったりしそうです。
 寺町に乗り込み現在まで存続できたのは、移転してきた寺と地域住民のつながりの浅さという、エアポケット的な隙間に入り込めたためかも知れません……




 大学生のバスケットボールの試合でも、野球にはないラグビー的な接触プレー「肉体の触感:00番の筋肉ハンパねえ! 等」が核となる、格闘技系スポーツの印象を受けます。
 以前、技術ではなく相手を驚かせたい一心で肉体改造を目指すヤツがいましたが、近ごろではサッカー選手のクリスティアーノ・ロナウドのような体を目指すのか? だったら、同時に収入も目指さねば!
 小体育館は幼児デーらしく大騒ぎでした。少々遠くても、幼児連れのピクニック気分で遊びに来られるキレイな施設です。


慶安寺

 普段、有名どころ以外のお寺は閑散としていますが、春分の日にはどの寺も墓参りの方々でザワつく空気感があります。
 先祖に感謝する「季節の慣習」とは、「無事に冬を越し、春をむかえられた」報告であり、季節感を身近に感じる民族ゆえ広く受け入れられたのではないか(806年 崇道天皇が開いた彼岸会(ひがんえ)をルーツとする日本独自の慣習)。
 右の手水鉢(ちょうずばち)に浮かぶ花は、寺から墓参者への心遣いに違いなく、こんな「おもてなし」を介し相手を思う感性こそが、「日本の美意識」という気がします……




 うちは父・母方とも祖父母が東京に移り住み、付近に縁ある寺もなく墓は霊園にあるため、寺にある墓でのしきたりを経験したことがありません。
 お寺では、本堂で「彼岸会」法要の後、各墓ごとに用意された卒塔婆(そとば:供養のための板)を持って墓に向かいます(卒塔婆を用いない宗派もあるらしい)。
 墓地分譲で目にする永代供養料が「ポッキリ」のわけもなく(追加料金なしと解釈する方が間違い)、法要+モノの提供に求められる「お礼」は、特約(?)ということらしい。
 そりゃお寺も張り切って、花のひとつも水に浮かべますよね……

 上の「鉄門」は国の重要文化財で、ジョサイア・コンドル(鹿鳴館、ニコライ堂旧岩崎邸庭園洋館 等)の設計とあるが、帰って調べると「確認されていない」とのこと。
 ここは「やくよけ祖師(そし)」とされる日蓮宗の大きなお寺(初訪問)。


真盛寺(しんせいじ)

 穏やかな陽気に「いいお彼岸だ…」などと、笠智衆さんのような印象を抱く齢(よわい)となりました。
 墓参りというのは、家族・親戚などの顔見知りが集まり和やかながらも、亡き方々への思いの共有から、祝いの席とは違う一体感を再確認します。
 その後の席で、懐かしむ話から世間話へと花を咲かせ、ほろ酔い気分ながら互いの健康と再会を祈る慣習というのは、見事な文化であると感じ入ります……


蚕糸(さんし)の森公園


 蚕糸試験場(輸出産業の主力とされた時代の生糸研究所:1911〜80年)跡地に、防災機能を持つ公園、小学校、備蓄倉庫が整備されます。
 小学校の夏休みの宿題だったか、蚕を育て繭になるもそのまま変色して死んでしまった記憶があります。その際、虫類は苦手な母も蚕だけは平気だったことに、以前の暮らしを垣間みたような印象が思い出されます(母方の祖父母の出身は川越)。
 上は、貯水タンクを再利用したジャングルジム&滑り台で、区では蒸気機関車をイメージして作ったとのこと。

 帰りに寄った環七沿いの「らーめん てつや」は、いまどきの背脂醤油ながらおいしくいただきました。札幌ラーメンのためかワカメがおいしく、環七ラーメンバトルのレベルの高さを実感しました。


追記──プロ野球開幕 2015.03.27

 開幕前に優勝できるのは阪神だけと思っていましたが、「広島、お前もか!」……
 黒田復帰に酔う気持ちは理解できますし、わたしも「男 黒田」を応援したい気持ちで盛り上がっているのも確かです(大谷クンも)!


追記──NHK連続テレビ小説『マッサン』終了! 2015.3.28

 本作の題名は『エリーの大冒険』こそふさわしいと、ヒロインのエリー(シャーロット・ケイト・フォックス)応援団は思ったのではないか?
 当初のおぼつかない日本語に「ダイジョウブ?」と危惧するも、間をつかんでからは泉ピン子のいびりにも耐え、日本にこびない「異文化の演技」に魅了されましたし、相手を癒すような包容力を感じるハグは、決して日本人には演じられないものでした。
 戦時中「鬼畜」呼ばわりされ、石を投げられた敵国(スコットランド:イギリス)出身者が日本で暮らす苦悩を描く視点は、初めて突きつけられた思いがします。
 モデルとされたリタさん同様、何も知らない異国に乗り込み大役を果たし、日本人の心をつかんだシャーロットの奮闘を讃えたい!
 「愛の物語」を素直に受け止められたのは、彼女の功績に違いありません。
 また、小池栄子が「何で可愛く見えるの?」と驚かされる存在感も見事でした。

 初めてウイスキーに接した際は、サントリーの宣伝の術中でしたが(太陽ワインのポスターはインパクトある)、そんな時代にもいた「ニッカ信奉者」の理由を理解しました。
 先日「竹鶴ピュアモルト17年」が2年連続、3回目の世界最高賞を受賞したように、マッサンの精神は、確実に受け継がれています!(現在スコッチを飲むが未経験…)


追記──春! 2015.03.28


 開花宣言から数日気温の低い日が続きましたが、カウントダウン状態のつぼみは20度気温に誘われ、一気に満開となりました。
  この瞬間一斉に「春!」を感じる日本人の感性を、外国人に納得させるのは難しいが、この光景を目にすれば彼らも「日本の春」の幸福感を理解できるはずです!

 浮かれているようで、長くなりました……

2015/03/23

西の鎌倉、東の荻窪──荻窪

2015.3.8【東京都】──「神田川を歩く_11」



青梅街道付近(荻窪駅南口)

 荻窪駅前を通る青梅街道は、江戸城の漆喰に必要な石灰を青梅から運ぶために整備され、大正期から新宿〜荻窪間の街道上を路面電車が走りましたが、その地下に丸ノ内線が開通し役目を終えます。
 大正・昭和初期には、「西の鎌倉、東の荻窪」とされる近郊の別荘地だったらしいも、鎌倉に比べインパクトが弱いため「別邸」的なニュアンスだったのではないか?

 右の西郊ロッヂングは賃貸アパートで、関東大震災で被害を受けた本郷から移転し、高級下宿洋館として1938年(昭和13年)に開業。本館の旅館とともに国の登録有形文化財とされます。

 お金がかかったと思われる奥の杉並区立中央図書館は黒川紀章の設計で、脇にマハトマ・ガンジー像が立ちます。
 像は、友好交流協定を結ぶインドのガンジー修養所再建トラストへの募金に対するお礼として贈られたもの。
 教科書だけでなく身近に像があれば、関心を持つ子どもが増えるかも知れません。
 杉並区には教育に一言ある方が多い印象があり、スタンドプレーにいい印象はないも、改革に取り組もうとする土壌を持つならば、魅力的なアピールになります。




 初めての訪問ですが、門から70m続く石畳脇のイチョウ並木、右・下写真洋館のゆとりが生み出す「文化の香り」と、落ち着いた日本庭園の取り合わせに、はまりました!
 大田黒元雄(西洋作曲家の紹介著書で名を馳せる)の屋敷跡地につくられますが、杉並区が周囲の敷地と統合し公園にしたおかげで、洋館が引き立つように感じます。
 洋館や音楽評論家活動には財力の背景が感じられ、戦後のNHKラジオ番組『話の泉』に出演した、ダンディを気取るオヤジとは、ひがみ過ぎか?
 ですが、道楽人の手によるからこそ、洋館の味わいが深まったに違いありません。
 上は、休憩棟の釣り飾り。下は、旧軽井沢に並ぶ別荘のような洋館。



幻戯山房(げんぎさんぼう):すぎなみ詩歌館

 角川書店(現KADOKAWA)創業者である角川源義(げんよし:俳人)邸が整備され、2009年に開園します。
 句会や俳句愛好会は日常的に開かれても、関心無い者の目には止まりませんが、この庭からはガラス越しに、2組の集まりと茶会の様子がうかがえます。
 若い時分は、風流という世界に対して「ジジ臭い」印象が持ちましたが、これが「枯淡の世界」かと垣根の低さを実感することに、年齢の積み重ねを感じてしまいます。
 右は、水を注ぐと地中から水滴音が響く水琴窟


善福寺川緑地

 川が蛇行する周辺の氾濫原は公園とされ、現在河川改修+地下洪水調整池の建設工事が行なわれています。
 以前歩いた晩秋は紅葉に目を奪われ気付かなかったが、川沿いの桜並木の立派さは「花見の名所」として記憶しておかねばと……(もうじきです!)

 右は道路脇の境界柵に並べられたドングリで、時間を忘れ夢中で飾った様子が目に浮かびます。
 単純作業(日常の仕事)は「忍の一字」ですが、それを「おもしろきこともなき世をおもしろく──高杉晋作」のように取り組めれば、克服できそうな気がしてきます……


追記──地下鉄サリン事件から20年 2015.03.20

 大震災被害のように区切りをつけられるものではなく、犯行に関わった連中の刑が執行されても、この国が背負い続ける課題として残ります。
 また、国際社会へのアピールのために「非人間的行為」を繰り返す組織の動機と思われる、「力を持つ側からの押しつけ:格差」への不平は、われわれ庶民の間にも根付き始めており、「不満分子」予備軍が世界に広がる状況を止めることもできません……


追記──選抜高等学校野球大会開会 2015.03.21

 以前は毎年、わたしの誕生日(27日)に開会していましたが、春分の日に開会するのは「春の到来宣言」のようで、気候に加え気持ちも一気に「春モード」に切り替わる見事な演出です!

2015/03/16

平和利用から生まれた夢──西荻窪周辺

2015.2.28【東京都】──「神田川を歩く_10」



東京女子大学

 塀の外から礼拝堂(リンク先の内部がキレイ)を目にし守衛さんに尋ねると、庭は見学可とのことで女子大に潜入します!(男って何でこういう表現になるのか?)
 国の登録有形文化財なので公開すべきと思うも、聞いてみるもんだ……


 本学は、北米プロテスタント諸教派の援助で1918年に開設され、初代学長の新渡戸稲造(旧五千円札肖像)は、国際連盟の事務次官を務めたプロテスタント。
 彼が札幌農学校(現北海道大学)入学の際、すれ違いとなったクラーク博士もプロテスタントでした。
 カトリックとプロテスタントの違いを学んでも、宗教に無頓着な日本人は同じキリスト教と受け止めそうですが、イスラム教とそれを詐称する過激派組織の違いは理解できます。

 教室から聞こえる発声練習から、映画『ふたりのベロニカ(YouTube:タイトルバックの歌声)』を想起し、女学生たちのまぶしい姿を勝手に膨らませます。
 以前同僚だった卒業生が、吉祥寺のやきとり屋「いせや」を懐かしそうに語ったのは、「東女(とんじょ)の学生がいせやに?」と、チヤホヤされた時分を振り返っていたのではないかと……

 女子大を調べるうちに、実家に近い相模女子大学が、日本で4番目に古い女子大学と知り驚きました(1900年設立の日本女学校がルーツとのこと)。


荻窪八幡神社


 本神社も井草八幡宮同様、源頼朝が奥州討伐の際、各地古来の神社に八幡神を祭った経緯を持ちます。
 遺跡が残る縄文期から人が暮らし始め、室町時代末には集落のまとまりがあるも、京の都から「荒くれ者の地」とさげすまれた関東に、源氏の守護神である八幡神を広め、地盤を固めていった様子が見て取れます。
 上は祓門(はらいもん)で、6月30日と12月31日に行われる除災行事の大祓(おおはらえ)で設置される茅の輪の常設版。




 「杉並アニメ資料館:2003年」から発展した、日本初のアニメーション博物館とのこと。
 上井草駅前のガンダム像は制作会社の所在によるが、ここはアニメーション全般を扱うそうで、この日は「赤塚不二夫展」を開催中。
 上はSONY製テレビ(トリニトロン? 暗くて分からない)に映される『北斗の拳』。
 館長の鈴木伸一さんは、藤子不二雄漫画に登場する「(ラーメン好き)小池さん」のモデルとのこと。

 本施設のある「杉並会館」は区営の宴会施設で、結婚披露宴では右の螺旋階段から新郎新婦が登場するのか?
 古いながらも、しゃれた印象を受けます。


桃井原っぱ公園 & プロムナード荻窪(デザイナーズ賃貸住宅)

 防災公園&集合住宅として再開発された広大な土地には、戦時中まで中島飛行機東京工場(戦闘機工場)がありました(後の日産自動車荻窪工場)。
 戦後、中島飛行機解体後の富士精密工業時代に、東大生産研究所と共同でペンシルロケットが開発され、ロケット発祥地の碑が残ります。
 この地で産声を上げた国産のロケット技術は、現在の「H-IIAロケット:はやぶさ2等」に受け継がれます。
 以前『科学朝日』→『サイアス』(休刊)連載「リフトオフ! 国産ロケットをつくった男」の、五代富文さんの奮闘史を夢中で読んだことを思い出します。
 この地で育った子どもたちが、経緯を理解し宇宙への夢を抱けるように、アピールいていくべきと感じました。

 右は、集合住宅から公園に向かう歩道入口にある、「宣伝して!」と訴えるようなオブジェ。
 都市再生機構(UR)にしては高級感を演出すると思えば、「デザイナーズ賃貸住宅」が売りのようです。
 これまでいくつもの公団(UR賃貸:旧日本住宅公団)にお世話になりながら、その使命が時代とともに変わる様子を実感してきました。
 「設備は最低限でも家賃の安い」物件は、うばすてやまの評判と共に消されゆく運命のようです……


 道すがら点在する水草を目にし、もっと育てれば水質も良くなると思っていましたが。付近では全面に水草が根付いています(ゴミ掃除の必要が無いよう暮らしたい)。
 神田川より水がキレイと感じるのは、源泉以外からの湧水が多いためかも知れません。


追記──東日本大震災から4年 2015.03.11

 ニュース報道等の印象からは、被災地に「笑顔」が増えてきたように感じますが、復興は道半ばながら「希望」を見いだせる方々が増えることを祈るばかりです。
 あまりにも広範囲でハードルの高い復興事業が、計画通りに進まないのは当然で、来年までの5年間の成果を判断する際も、「予算を付けたのに何やってるんだ」ではなく、時間のかかる事業を見守り、サポートするべきです。


追記──北陸新幹線開業 2015.03.14

 開業前の石川県では、時刻表が普段の3倍以上売れたというのですから、地元での盛り上がる様子がうかがえます。
 東京〜金沢間が2時間半となれば、航空路線の強力なライバルとなります。
 整備新幹線計画(1973年)の夢が実現したことは大きな成果ですが、「開国」による便利さはライバルの活性化や、地元からの流出も促進させるため、これまで以上に綿密な戦略が必要とされるのではないか(京都に次ぐ魅力があれば大丈夫?)。
 JRの「ウフフ! 北陸新幹線」ポスターには思わず顔もほころび、地元の人々の心情が表れるようで見事! と、応援したい気持ちにさせられます。

2015/03/09

善き心で福の到来を祈る──善福寺池

2015.2.21【東京都】──「神田川を歩く_9」

 今回から神田川支流の善福寺川をたどります。
 これまで水源である善福寺池には吉祥寺駅から歩きましたが、今回は西武新宿線方面から向かいます(吉祥寺より近い上石神井駅からも20分以上かかる立地)。


上井草スポーツセンター

 ならばと上井草駅で下車し上井草スポーツセンターへ。
 以前、プロ野球を開催した「東京球場(上井草球場):1936〜59年」があり(南千住は「東京スタジアム」)、神宮球場が米軍に接収され、戦後の東京六大学野球はここで再開されました(早稲田大学のグラウンドが隣接)。
 跡地に建設された水道貯水池の屋上に運動施設が整備され、現在は杉並区営とされます。
 子どもから大人までが賑わう様子は、設備の良さ+運営の工夫による成果と感じます。
 右は、鏡面を切り抜いたオブジェ。


東京都立農芸高等学校の農場

 スポーツセンター周辺には東京都立農芸高等学校の農場が点在し、果樹園ではナシ、ブドウ、ブルーベーリー等を育てるそうです。
 生産農地とは違い実習場のゆとりある光景は、田舎の田園風景のようです(門から撮影)。
 近所に農地があることを「田舎だから」と表現しますが、ここでは「田舎のような農地がある!」と自慢すべきと思ったりします。
 卒業生に原田泰造の名を目にし、大河ドラマ『花燃ゆ』の地に足をつけた演技の根っこはここにあったかと……


井草八幡宮


 青梅街道沿いの巨大な鳥居と灯籠を目にした記憶がありますが、なるほど立派な神社と納得させられました。
 古くからの神社に、源頼朝が奥州討伐の際に八幡神を祭り、室町時代に太田道灌が豊島氏との戦い前に祈願し勝利するなど、戦いの神とされました。
 右の参道で流鏑馬(BGMあり)が行なわれるのか?

 善福寺池や川への南斜面は耕地に適したため、太古から人が根付き縄文時代の遺跡も残ります。
 そんな地で神社とともに続く人々の営みは、この国のあり様を物語るようです。


善福寺公園


 善福寺という響きから「善き心を持ち、福の到来を祈る」精神を受け止め、「郷に入っては郷に従え」を心掛ければ、穏やかな気持ちになれそうと思うのは、単なる幻想か?
 ですが、歴史を感じさせる農家が、巨木に囲まれた敷地の構えを維持する姿は(日当り悪そう)、土地に対する信仰・忠誠心を示すディスプレイのようです(写真なし)。

 上はコブシのつぼみで、梅→モクレン→桜と移り変わる印象から、以前、容姿が似ているモクレンと紹介したかも知れません(失礼…)。
 コブシの花は桜より少し早いか同じ頃か? いずれにしてもカウントダウン開始です!


 上の母・息子の姿には、あふれる愛情を感じますが、この後ろを歩く別の父・娘の姿は、どうしてもオヤジが付き合ってるように見えてしまいます。
 子どもは「母に育てられ、父の姿に学ぶ」と考えると、成長につれ娘とふれあう機会が限られるオヤジが背負う「悲哀」の重さは、想像以上と思えてきます。
 イクメンとして母に重宝がられる父は、将来娘に重宝がられても「ホイホイ」面倒見ちゃうんでしょうね……

 右はひなたぼっこするカモ(?)。


 池の名称は、以前ほとりにあった善福寺(廃寺)に由来しますが、現在付近にある善福寺(曹洞宗)は後の改名とされ、麻布十番の善福寺は無関係との見方もあるらしい。
 ですがいずれも、こころが暖まる名の元で祈りたい思いによるのでは?

 ほとりの高台には、東京都区部で唯一地下水を利用する杉並浄水所(不定期利用)があり、公園付近にも古い建造物を目にします。


追記──首都高速中央環状線が全線開通

 大橋ジャンクション〜大井ジャンクション間が3月7日に開通しました。
 新宿方面から羽田空港への所要時間は短縮されそうですが(40分→20分)、舛添都知事の「渋滞のない都市」が実現するのか、経過を楽しみに注視しましょう。

 大橋ジャンクション開業前に続き、今回もテレビ朝日『タモリ倶楽部』の収録に協力した首都高速道路(株)の好感度はアップしたことでしょう。
 狭い分野でも「マニア:オタク」を味方に付けることは、企業側にとってもプラスになる! と、タモリ倶楽部は訴え続け、NHK『ブラタモリ』で市民権を得た、という気がします……(前週は、初めてJR東日本の協力を取り付けた)

2015/03/02

記憶に残る文様──永福町〜中野富士見町

2015.2.14【東京都】──「神田川を歩く_8」



永福寺

 永福町といえば駅前の「京王バス 永福町営業所:現在のボディカラーはシックでいい」、「大勝軒:東池袋のつけ麺店とは別系統」や、「アルク:語学系出版社(人のつながりは多い)」でしたが、新名所が誕生したようです。
 2011年開店のイタリアン「マッシモッタヴィオ」はピザが人気らしく、テラスでおしくらまんじゅうのように群れる人の数が、大勝軒の行列より多いことに驚きました。

 右の永福寺(曹洞宗)は、戦国時代末期に小田原城落城後の北条氏家臣が檀家となり、その尽力で地域が発展したことから、寺の名が地名とされました。


龍光寺


 「永福」に隣接する「和泉」の地名は貴船神社(水神・雨の神)に由来し、本寺に隣接する熊野神社(山岳・土地の神)に加え、井の頭池(いのかしら)に棲む龍が昇天したと伝わるこの付近は、水に恵まれた豊かな土地だったようです。
 上はしだれ桜の枝か? 花を待ち望む思いが、寒い季節を乗り切る力になります。

 右はアパートの屋根に設置された、太陽光を室内照明に利用するHimawariシステム。どれほどのものか一度体験してみたい気がします。


神田川環状七号線地下調節池


 付近の環状七号線地下約50mには、神田川中流域(同水系の善福寺川、妙正寺川)を集中豪雨から守るための神田川環状七号線地下調節池があります。
 住宅密集地には、地下に調節池を作れるような公共施設やグラウンド等(横浜国際総合競技場下部は鶴見川の遊水地)がないため、絞り出した苦肉の策です。
 都市部らしい発想で、2005年の集中豪雨で成果があったとはいえ、同一水系地域に雨を降らせる雨雲は同じなのに、それを一カ所に集めて大丈夫なのだろうか?
 神田川の取水口(上)と、杉並区和泉の神田川取水施設(下:手前は環七)。



地下鉄丸ノ内線車両基地

 「ほら、やっぱり地下鉄の入れるとこ隠してますよ!」
 春日三球・照代の「地下鉄漫才」(1970年代ですって…)にかけたつもりですが、知らない人も多そう……
 「垣根の奥で、掘り出した地下鉄を洗ってるんじゃないですか?」
 市街地で人通りの多い場所柄、脇の歩道橋にも遮蔽版があり迷惑行為防止に懸命なので、木々の合間からのぞきました。
 大江戸線木場車庫では地下までクレーンで下ろすらしい等、実際に見ていない認識のあいまいな部分へのツッコミが受けたようです(照代さんは1987年亡くなられた)。
 車体文様だけで丸ノ内線と伝わるデザインは1996年に姿を消しますが、多くの要望により2010年に復活します。
 やはり「これが丸ノ内線」ですよね……


善福寺川合流地点


 神田川(上写真上)は車両基地脇で善福寺川(同右)と合流します。
 川の合流地には、京都鴨川(高野川・賀茂川の合流地)で感じた「出会いの楽しさ」を期待するも、防災堤防の高さはそのまま「出会いのハードルの高さ」と感じたりします……(堤防の制約から斜めの絵に)

 次回から、支流の善福寺川源流からこの合流地をめざします。


追記──不人気NHK大河ドラマ『花燃ゆ』のお楽しみはこれから!

 吉田松陰は幕末期の重要なキーマンでも、唯一のアクションである「黒船乗船」の挑戦も追い返されては絵になりませんし、彼の妹を主人公とした物語が苦戦することは見る側も予測できました。
 『龍馬伝:2010年』で高杉晋作を演じた伊勢谷友介は松陰の方が適役と思うし、大沢たかおの男前ぶりや、井上真央ちゃんの頑張りだけでは大河を支えられません(お年をめされた檀ふみさんが素敵! でも…)。
 そんな物語にようやく「時代をひっくり返す看板役者、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、桂小五郎 等」が登場し、奇跡的&痛快に新たな「大河の流れ」を生み出します。
 今年の大河、ワクワクはこれからです!