2011/04/25

街道は敵にも開かれる──鎌倉古道、薬師池

2011.4.22

 4月22日に福島原発の20km圏内が警戒区域とされました。
 外野からは、なぜ早々に思い切った「退避命令」を出せなかったのか疑問に思います。言い訳的な「諸事情」があったにせよ、国民の安全は国家の最優先課題とされない、と受け止められても仕方ありません。
 避難住民への情報提供不足が「避難指示」を無視した、自主判断による一時帰宅の車列を生み出しました。
 該当地域の住民からは「どれくらい危ないのか分からない」の声が聞こえるということは、十分な説明責任を果たしていないことになり「テレビを見れば分かるだろ」では職務放棄となりますし、避難所で全員がテレビを見ているとも思えません。
 放射能汚染による避難者も保護・補償を受ける権利が認められたわけですから、避難所ではなく仮設住宅レベルの対応が求められます。
 外部から勝手な事を言って失礼ですが、(場所によりますが)「数年レベルの時間がかかる」との専門家の見解に対して、当事者たちは「何でそんなに時間がかかるの?」と、とまどうインタビューを見ました。
 「先が見通せない」状況は分かりますが、謝るだけでなくその旨をキチンと避難住民に説明する義務が東電や国にはあるはずです。
 それでも住民たちは「自主」ではなく「強制避難」とされたことにより、やっと国の保護下に置かれたわけで、苦難の道に変わりありませんが、ようやく再興への後ろ盾が得られたことになります……


2011.4.17
【東京都】


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薬師池公園

 お花見(国民の儀式)も終わったので、再び鶴見川流域を歩きます。
 薬師池公園は鶴見川本流(谷本川:やもとがわ)に流れ込む支流の源流域で、東京都町田市立の公園になります。
 以前は福王寺溜池とされ、名称の由来は寺の薬師堂によります。
 付近には、町田リス園、えびね(ランの仲間)苑、ダリア園、ボタン園等が隣接し人気もあり、駐車場に入る車で渋滞しています。
 ダリア園は障がい者の働く場としてまちだ福祉作業所が運営していて、花の時期に合わせた6月20日~11月3日だけ開園します。
 池の下流には蓮田(はすだ)があり、千葉市検見川の落合遺跡で発掘された2000年以上前の古代ハスの実から発芽した子孫を株分けしてもらい、群落となった姿を見ることができます。
 そんな環境整備を評価されたとの自負でしょうか、町田市は「観光地」と胸を張っているようです。
 後に紹介する里山風景との調和には落ち着きが感じられることもあり、リピーターを呼び込んでいます。

 秋の写真を間違えてアップしたわけではなく、若葉のころから葉の赤いモミジ・カエデ類があり、この時期としては目を引く存在です。
 古くから「ノムラ」「ショウジョウ」など、園芸品種として手が加えられたものは多種あるようです。
 中には葉の色が、赤(春)→緑(夏)→紅(秋)と変わる種もあるそうで、それを「いとをかし」とする道楽もあるようですが、木にすれば迷惑なだけという気もします。
 赤い葉でも光合成って行われるのだろうか?
 もしその活動が抑制されるのであれば、春に赤い葉を見られなくても結構ですから、光合成に励む木にしていもらいたいと思う近ごろです。


鎌倉古道

 鎌倉古道「上ノ道(高崎方面への道:記録では「下道」とされる)」がこの地を通り、峠付近には「鎌倉井戸」のなごりがあります。
 何も丘陵地の峠付近に井戸を掘らなくてもと思いますが、戦闘に際しての休息場所に見晴らしの良さは必須ですから、給水ポイントの立地条件には最適だったようです。

 鎌倉時代に幕府の所在地鎌倉から放射状に各地を継いだ道を「鎌倉街道」と呼んでいますが、当時の記録にはその名称は見当たらず「鎌倉へ通じる古くからある道」をひっくるめた総称のようで、由緒等も不明とのこと。
 そこに世界遺産登録でブームになった「熊野古道」にならい「古道」の表現が使われるようになったという気もします。

 幕府の御家人が有事の際に「いざ鎌倉」と鎌倉殿の元に馳せ参じた道なので、調べてみると数々の戦闘に街道名は登場しますが、われわれの記憶に残るのは、幕府を攻め滅ぼした新田義貞の名前だけです。
 ここもそうですが、他の場所でも案内板には同様に「新田義貞が鎌倉攻めの際に…」と書かれてあります。
 記録に残るとしても、義貞があちこちの道を攻め上れるわけもないので、「鎌倉攻めに加わった新田の軍勢が…」程度の理解でよさそうです。
 それにしても街道が「いざ鎌倉」ではなく、攻め込んできた敵勢の記憶として残されていることは、当時の庶民たちは鎌倉幕府(北条氏の支配)をこころよく思ってなかったのでは? という気もしてきます。


七国山(ななくにやま)

 以前は頂上から相模、甲斐、伊豆、駿河、信濃、上野、下野の七国を望めたことによります。
 ──映画『となりのトトロ』で、サツキ、メイのお母さんが入院していたのは七国山(しちこくやま)病院。

 丘の上の雑木林は残され、林〜農地〜住宅地への移り変わりが景色として違和感無く、調和の取れた土地利用という印象がありますが、歩いてみると結構急な斜面だったりします。
 息切れして歩くような場所に建てられた家々は、新興住宅街に見られるような外観ですが、その周囲には以前と変わらぬ「豊かな里山」に見られる雑木林や桜の大木が点在しています。
 七国山の斜面には「こころみ農園」(身体障害者がしいたけを栽培)や市民農園があり、この日も多くの方が手入れをしています。
 近くには、農業支援を目的とながらも散策者も休憩所にできる「ファーマーズセンター」があります。
 この町田市の注力の成果なのでしょう、里山の農地で人が多いわけでもないのに、何となく「ザワザワ」している印象を受けるのは、「里山の活気」と言えるかも知れません。
 花の季節という陽気の良さもありますが、町田市が「観光地」と胸を張る気持ちが理解できた気がしました。


 薬師池公園に隣接した谷戸の農地脇では、一本の桜の大木が満開を迎えています。
 近所の方々でしょう、農地に大きなシートを敷いてお花見をしています。春らんまん、極楽のようなひとときを過ごしたことでしょう。都会よりは少し不便でも、まるで別世界のような体験ができます。
 「ならばここを計画停電地域にしよう」とされたら、許されるものではありません。
 申し訳ないと思いますが、東京23区内が停電するとインターネットも止まってしまう恐れもありましたから(大動脈はどうしても大手町付近に置きたかったようです)、ご理解いただきたいところです……

 再び現状に戻りますが、東電及び原子力保安院の対応には常々、彼らは事態の収拾よりも「新たな研究材料」という視点で状況を観察しているように映り、腹立たしく感じる面があります。
 今後は、放射線の健康への影響について長期間にわたり調査をするそうですが、原爆投下後に米国が行った、被爆者の健康状態モニター(いわゆる人体実験)と同様の「データ収集」に思えてなりません。
 今回は、能動的に放射線をばらまいてないにしても、その対応は慎重に取り組まないと、幕末の会津藩のようなかたくなな姿勢を取られてしまうと、周囲も困るのではないでしょうか……


追記
 元キャンディーズのスーちゃん(田中好子)が亡くなりました。
 普段、有名人の悲報には驚かないのですが、まだ若く年代も近いこともあるせいか、声をあげてしまいました。
 特にキャンディーズのファンではないにしても「やせたね」の印象や、目にする度に好感度を上げていった時期から病気と闘っていたことを知ると、言葉が出てきません。
 特に印象に残るのは映画『黒い雨』(故今村昌平監督)ですが、TVドラマ『ちゅらさん』では、おばあ(平良とみさん)より先にお母さんが亡くなってしまっては、続編の芽も絶たれてしまいます。
 ラジオから流れる『微笑み返し』がこんなに悲しく響くとは……
 ご冥福をお祈りいたします。

2011/04/18

上を向いて歩く国民の儀式──震災後一ヶ月

2011.4.18

 近ごろ上を向いて歩く人が多いのは、リレーで『上を向いて歩こう』を歌うCMのせいではなく、満開の桜に表情がゆるむ時節によるものでしょう。
 活発な地震活動が続く日々の、つかの間の楽しみだからでしょうか、例年以上に明るさやまぶしさが感じられる気がします。

 大地震から一ヶ月が経過しても余震や誘発地震が多いことにウンザリさせられられますが、地震研究でも事の重大さ(千年に一度という大地震)に見直しが迫られています。
 情報収集・分析が進む中で、M(マグニチュード)9規模の地震を引き起こすメカニズムについては、研究どころか意識すらされてなかったことを思い知らされ、一から考え始めねばという状況のようです。
 これまでは耳なじみのある、東海(静岡〜愛知)・東南海(紀伊半島)・南海(高知)沖の海底で起こるとされる地震を、発生頻度・研究のしやすさからM8規模の地震発生域となる3ブロックと考えていました。
 それが連動した場合にはM9規模の地震も起こりうるという認識でしたが、それに匹敵する規模の地震が一度に起こったことになります。
 M8とM9の規模では地震発生エネルギーに約30倍の違いがあるので、これまで考えられてきた発生メカニズムモデルが当てはまらない事態に直面しています。
 不鮮明な古文書記録から推測するしかなかった大地震を、「こういうことだったのか」と初めて経験したことになります。
 今回の大災害で言い訳的に聞こえ嫌いなった「想定外」という言葉ですが、経験してないことを想定する「想像力」を養うことが研究だとすれば、人類は地球についてまだ何も知らない、という原点に立ち返って研究に取り組む必要性が証明されたことになります。

 その研究成果の市民への還元について防災の観点からは、現在鳴りっぱなしの「緊急地震速報」を、精度を向上させ信頼性を高め、実現可能な最大の防御とするしかない、というのが現状と思われます。
 「はずれ」は多くとも、心構えができるだけでも画期的なシステムだと思います。「はずれて良かった」と思っていただければ……


2011.4.10
【東京都】


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日比谷公園(Map)

 映画街は日比谷・有楽町か新宿という時代によく来ましたし、帰りにこの公園で一服した記憶があります(あこがれ的な場所だったのでしょう)。
 スキあらば寄りたいと思いながらも、近ごろでは機会は激減していますが、訪れる度に「都会のオアシス」を再確認させられます。
 部分的には変わっているのでしょうが(こんなに飲食店が多かった?)、公園内の「まったりムード」は昔と変わりません。
 日比谷見附跡の下に広がる心字池付近では「ここはむかし海だって『ブラタモリ』でやってたよ」の声が聞こえます。
 特に何の役にも立たない知識でも、その土地に関心を持てるのですから「見聞が広がる=新しい経験」となることが、わたしの歩き回る動機付けでもあります。


皇居前広場(Map)


 先日散髪屋で聞いた話しでは、自宅から徒歩15分程度の「等々力アリーナ:体育館施設」で福島県からの避難者を受け入れているものの、子どもが「放射能がうつる」等の差別を受けるため、小学児童の親には、菅直人(伊達直人ではない)からの手紙が配布されているそうです。
 ガキの時分を思い出し反省する面もありますが、これは根拠無き完全な風評・いじめですから、親がきちんと言い聞かせる必要があります。でも元を正すとそんな親が「福島の子と遊ぶな」と言ってるのかも知れません。
 自分の身の回りの事だけ考えて、買い占めにはしり、のうのうと生きている連中がいるから、メディアは「日に日に善意の輪が広がっています」と流す必要があるのかも知れません……


皇居東御苑(二の丸庭園)(Map)


 この施設の入園は無料ですが、普段は入園時に入園票を受け取り退園時に返却することで、人の出入りを管理しています。出入りには大手門・平川門・北桔橋門があり、どこからでも出ることができます。
 普段はとても静かで落ち着いた雰囲気の庭園ですが、さすがに桜の季節は人出も多く管理しきれないのでしょう、出入りはフリーとなっていました。

 下写真手前はシャクナゲでその名を聞くと、学生時代に海洋測量のアルバイトで行った屋久島で、ひと月以上お世話になった宿の母さんの「行ったわよ、シャクナゲ登山」の話を想起します。
 屋久島の小学校では、初夏のシャクナゲの季節に登山する行事があるそうで(山地で咲く時季なので5月辺りのイメージがある)、屋久島の険しい山肌に花が咲く様子が思い浮かびます(未経験です)。


 大手門付近の漆喰が地震の被害で何箇所かはがれ落ちています。
 門の下には、通路の部分だけ落下物を防ぐシェルターが設けてあります。
 屋根には瓦類がありますから、通行時にゆれがきたら確かに怖い状況です。
 まだ断続的に揺れが続くので修復の時期ではないでしょうが、現在の城主(?)は「城の修復は後でよい。市中で困る者を手助けいたせ!」という殿様のようで安堵します……

 城の城壁にはとても大きな石が使われますが、色の違いは(種類の違いか?)何らかの理由で修復が必要とされ、各時代に対処された姿なのでしょう。
 現在残される江戸城跡は400年程度の歴史としても、何度もの修復を繰り返し保存されてきました。
 この国の歴史を代表する京都の町並みも、何度となく再構築されたせいか「新旧のパッチワークは歴史がならしてくれる」という気の長さがあります。
 わたしたちも、そんなパッチワークの一部に「この時代をどう生きたのか」を、残せたらと思います。


 福島原発事故の国際原子力事象評価尺度を、最悪の「レベル7」と評価する発表がありました。
 評価への賛否はありますが、ようやく観測データの数値が(IAEAの視察で隠せず?)「素直に」公表されるようになった印象があります。
 関連組織も事の重大さをようやく理解し、それまで情報公開に必要だった「上司のハンコ」の数が少なくなったのか?
 「レベル7」の評価発表にも苦悩はあったでしょうが、それは本当の苦しみが幕を開けたことを意味します。

 自宅のある川崎市では、阪神・淡路大震災でがれき等の災害廃棄物を貨物列車で運び処理した実績から、福島県にその手法を活用した協力を申し出たところ、専門家や市民から「基準値以下でも放射線を浴びた物を集めて処理すると、その場に放射線だけ蓄積する」との猛反発を受けてしまいます。
 確かに専門家の意見には一理がありますが、それでは宮城・岩手県の手助けはできても、福島県には誰も手を貸すことができなくなります。

 近隣諸国からは、日本からの輸入農産物・飼料等に「放射性物質検査の証明書」「原産地証明書」が義務づけられたそうですし、遠いヨーロッパやアメリカからは、チェルノブイリ事故に際しわれわれが感じたような「汚れた国」のレッテルを貼られていることでしょう。
 原爆が投下された時分は、それでも勤勉に働くことで前に進めましたが、グローバル化された現代社会で世界から「放射能村八分」にされてしまうと、この国は生きていけません。
 温暖化防止に向けて原発を推進してきた趨勢もあり、世界的に放射能の危険性にふたをしてきた面もありますから、危険性の警鐘を鳴らした点では、大きな負の貢献と言えるかも知れません。
 おそらく長い期間にわたり閉鎖されるであろう、現在の「避難区域」で生活していた人々の声を忘れないためにも、繰り返し大きく取り上げて、全国民に印象づけておく必要があるかも知れません。
 時間の経過は、人の記憶を風化させてしまいます……

 わたしたちにできる復興活動に向け、上を向いて歩くためのきっかけとなるのが、皆が同じ方向を見上げてよろこびを実感できる「お花見」ではないかと思います。
 表情はゆるみちょっと「まったり」してますが、気持ちでは「さぁ、やらなきゃいけない」という思いでひとつになれる、国民的儀式という気がします……


追記
 プロ野球の東北楽天に気合いが入っています。
 被災地の仙台が本拠地ですから、地元復興に元気を与えるためにも、阪神・淡路大震災の年にオリックスが優勝したように、今年は何が何でも優勝を勝ち取ってもらいたいと応援しています。
 ──この先どうなるか分かりませんし、早すぎでも可能性のあるうちに書いておかねばと思い……

2011/03/14

節電の必要──2011.03.11

2011.3.11
【東京都】

 2011年3月11日東北地方を中心とした「東北関東大震災」が発生しました。
 阪神・淡路大震災(1995年)発生当時、地震研究をかじった者として、その認識の甘さを根底からひっくり返されるような衝撃を受けましたが、この東北関東大震災でも、これまで何度も津波被害に見舞われた土地柄ゆえ、ここまでやるかと思うほど巨大な津波防災用の防潮堤等が役に立たなかったことに、人類の英知の力不足を思い知り言葉を失います……

 「未曾有」「想定を越えた」と頻繁に耳にしますが、それは人間の生活を基準にしているわけで、お金と利便性のバランスから判断されるのでしょう。
 これまで以上の要塞のような施設建設にはお金が必要なわけで、住民の税負担も増えてしまいます。仮にそんな要塞を作り上げても、不便すぎて日常生活に支障をきたすようでは、住民に受け入れられません。
 現在の「想定」が、研究者の「○○○年に一度の災害に耐えられる」を採用したならば政府の人災と言えそうですが、お金と利便性のバランスから調整されたとすれば、「これ以上の事態は仕方ない」と判断した自治体の人災となるのかも知れません(そこには切り捨てやむなしの考えが存在します)。
 これは責任を追及するものではなく、被害を防ぐことができるのは「人の知恵」と考えれば、どこで、誰が、どんな知恵を出せばいいのかを、みんなで考える必要があるのではないか、という提案のつもりです。
 まだ被害の全貌は分からない状況ですが、被災された方々にはお見舞い申し上げます。

 その日の首都圏は、JRは終日全面運休、地下鉄・私鉄も夜遅くまで運転見合わせ、首都高通行止めで一般道は大渋滞という状況なので、都心で働く人たちの多くは「徒歩帰宅」を選択したようです。
 週末でもあり、会社にとどまるより大変な思いをしても、家に帰りたい気持ちはわたしも同じです。
 とは言え、アバウトな見積でも4時間コースか?(六本木〜川崎市)と思っていたので、その動機付けに六本木の町を歩いてみました。
 周囲からは「あぁ、やっと六本木だ〜。渋谷までの半分は来たよね」や、アベックか分かりませんが男性が気遣って「靴買ったら?」に女性「欲しいけど、買えないと思う…」(既に六本木ヒルズは閉館状態)等の、実感のこもった声が聞こえてきます。
 食事をするつもりがどこも混雑していて、タイミング良く入れた吉野屋でも「お持ち帰りは、60個のオーダーがあるので1時間ほどかかります」という状況です。
 そんな尋常ではない町の様子を目にすると、これは予行演習の意味を含めて一度経験しておくべきというスイッチが入り決断しました。


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 普段タクシーで帰るのは中原街道ですが、運転再開の情報を確認したいので、六本木〜目黒〜洗足からは目黒線沿いに歩きました(上ルートマップ)。
 都心の幹線道路の歩道には、防災用ヘルメットをかぶり(非常用持ち出し袋を背負う人もいる)、地図のプリントを手にした人が多いことに驚きますが、会社の災害時マニュアルに従い自分の身を守りながら実験要員となります(結果を再検討することで、さまざまなアイディアが生まれるかも知れません)。
 大阪で務めた会社では阪神・淡路大震災の教訓から、手の届く場所にヘルメットを常備することを義務化していました。
 地震が来たらまずヘルメットをかぶれとの指導は、従業員を守り会社の姿勢と体制を防御します。

 ある程度の情報を得て恐怖感が薄れた時間帯なのか、「集団下校」のような気分が徒歩帰宅の流れに感じられます。
 大規模な避難訓練のようですが、東京という都市全体で実践されたことはとても大切な事で、きっと首都が直撃された際には、この経験からの知恵が生かされることでしょう。

 わたしは、2時間半ほど歩いた東急目黒線奥沢駅付近で電車の運転再開となり(午後11時前)、そこから電車に乗りました。
 自宅まで、おおよそ3時間強で歩ける事を実感できたことが収穫と思っています。
 これを「飲み屋から出たらちょうど電車が動き出してた」とするやからがいたら、言い聞かせてやりたいと思ったりします。

 翌日夕方のスーパーが普段より混雑していると思ったら、食品の棚はどこも空っぽです。
 高速道路が閉鎖され物流システムがマヒしたことと、不安感から買いだめに走る人が多いようです。
 特に冷凍食品やカップ麺の売場からは、キレイに商品が消えています。
 在庫できない生鮮品もありますが、たった2日間入荷がないだけでこんな状況になるとは想像できませんでした。
 食糧備蓄というものは、災害に被災した場合を「想定」していましたが、被害を受けなくとも「食べるモノが手に入らない」実態を目にし、不安の連鎖に反応してしまう弱い心の持ち主にこそ(メディアが煽ってそうな気もします)、災害時の不便さを経験してもらいたいと思ったりします。
 でも食糧備蓄を実践するとなると、例えば保存可能なカップ麺を1ケース買っておいて、賞味期限前に食べ切ることを習慣にすると、週に何回か食べる事になりそうですし、冷凍食品は電気が止まり解凍できなければ食べられなくなります。
 きっと、真空パックのご飯と、宇宙食のようなレトルト系のおかずのバランスを考えながら、日々の食生活を送ることになるのでしょうが、食品保存料の摂取過多で体がおかしくなりそうです。
 週明けから首都圏では「計画停電」が始まるそうなので、冷凍食品は早めに食べた方がよさそうです。するとまたカップ麺が品薄になりそう……

 現代社会においては、まるで戦時下を想起させるような不自由さですが、徒歩帰宅で何時間歩かされても文句ひとつ聞こえなかったように、計画停電でも知恵を絞って乗り切っていけるのだと思います。
 それは、われわれよりも極めて過酷な状況に置かれている人たちの存在を知っているためで、こちらの頑張りを被災した方々へのエールとしたい気持ちから生まれるのだと思います。
 そんな国民全体が、ひとりでも多くの方を一刻でも早く助けて欲しいと願っているのに、自衛隊の災害救援人員が(その数の妥当性については判断できませんが)、結果的に2万人〜5万人〜10万人と増員されることになりました。
 災害救援には初動活動が大切であることは、国民は切実に理解していますから「だったら何で最初から10万人動員しないんだ」の文句は、みんなが思っているのではないでしょうか。
 指揮系統がしっかりしている集団であれば、臨機応変な対応が可能であると思いますし、隊員自身も助けに行きたいと思っていたに違いないと想像できるので、とても悔しく思えてなりません……


追記
 アップ時はタイトルを「食料備蓄の必要」としましたが、月曜日の経験から「節電の必要」に変更したいと実感しました。
 これまでも偉そうにしてきた電力会社には、停電通告や原発トラブルの対応など癪に障ることが多いのですが、鉄道会社や大手の工場が協力姿勢の手本を示してしまうと、庶民はお手上げ状態となります。
 せめて鉄道の平常運行だけは確保してもらいたい心情から、身の回りで可能な部分からでも節電をすることで、電車だけは普段通りに走らせてもらわないと、お父さんたちは疲弊してしまい、そこから二次的なトラブルが起きてしまうと思われます。
 ひとりの我慢には限界がありますが、みんなで少しずつ我慢すれば電車を普段通りに走らせることができるのではないか、と思っています。
 大災害には、立ち直るための結束を生み出す反作用的な力がありますが、それをうまく利用して日本全体が元気を取り戻せる「希望」を描けないかと、楽観的すぎる「夢」を抱きたい気持ちもあります。

2011/03/07

長期予報の憂鬱──小石川後楽園、新宿御苑

2011.2.26
【東京都】


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※以前の東京地図(Googleマップ)を利用するつもりが、動きがとろく旧世代のようなので新規作成しました。Googleも一時の勢いを失ったのか?

 東京では2月25日に春一番が観測されましたが、どうもコイツにはありがたみが感じられないので(初冬の木枯らし1号も同様)、本来の「季節便り」ではなく「だまされないぞ」と、気を引き締め直す指標とする面があります。
 結局一喜一憂するだけで、夕方の森田さんの天気予報に登場する子どもたちの「春はもう目の前まで来ていま〜す」と手を振る姿に、苦笑しながら春を待つことになります(残業夕食時のそば屋で見かけます)。
 それでは悔しいから、自分の足で「春の兆し」を探したくなるのです。


小石川後楽園(Map)


 前回の梅が消化不良だったので「梅を撮ろう」と、梅→水戸偕楽園→水戸黄門→小石川後楽園の連想でやってきましたが、特に梅の木が多いわけではないようです。古木のようですが、こんな写真ならどこでも撮れますわね。
 梅の花は派手ではないため、観察者側の受け止め方・伝え方によって表情が変わりますから、自分らしさを表現するには格好の題材かも知れません。
 とは思ったものの、今年はこんなところですか……(この庭園は柵越しになるので、撮影場所には向いてません)

 梅に限らず、草木や季節感の表現には木造の日本家屋がとても似合い、お互いの風情を引き立てることを京都で学んだのですが、東京近郊では昨春の横浜三渓園以外には、ピンと来る庭園が思い浮かんできません。
 「次回は梅の季節に訪れたいものです」などと書いてながら忘れていたら、自分の力では思い出せないようなのでご指摘下さい……

 ここは、水戸光圀(黄門)の代に完成(1629年)とされる水戸徳川家の庭園ですが、当時この全貌が完成していたとすれば、彼の見識の広さに驚く「さまざまな趣向」がちりばめられた庭園になります。
 当時の明国から訪れた知識人のアドバイスを取り入れたそうですが、書物や絵からの知見しかない時代でしたから、具現化された姿には感心しきりだったことでしょう。
 ですが、光圀は儒学思想に傾倒していて、その教えにもとずく築園だったと聞くと、きっと言いなりだったんだろう、と思ってしまいます……

 この橋は通天橋(京都東福寺の橋は紅葉の名所として有名。通天閣は大阪浪速区。通天:天に届くほど高い)とされますが、他にも渡月橋(京都嵐山が有名)、円月橋(旧神田上水跡に架かる)、西湖堤(中国の写真を見た覚えがある)などなど、さまざまな意味が込められた造形が箱庭的に散在しています。
 立ち入り制限や修復工事で入れない場所は仕方ないにせよ、周囲の構造物が背景に容赦なく入ってくるので、写真を撮るには制限の多い庭園になります。でも、そこで撮るのが工夫ってもんなんですがね……

 パンフレットに「明るく開放的な六義園(りくぎえん)と好対照をなす」とあります。
 「来年は六義園をめざします」。覚えていればですが……


 平べったい東京ドームの上空には、空が抜ける空間があるはずなのですが、この白い屋根に結構邪魔されます。
 よけられないなら撮ってやろうと思ったものの、中途半端に距離があるとマヌケな写真にしかなりません(反省材料です)。


新宿御苑(Map)

 飯田橋からの移動なので、めずらしく千駄ヶ谷門から入りましたが、圧倒的に人出の少ない門のためか、入園券売機の前に置き忘れた女性用の財布が、かなり冷えていました。
 ごつい財布で錠までついていますが、紛失しては意味がありません。拾ったわたしが開けられないようにということ?
 係員がすぐにアナウンスをしていたので、やはり飾りだったようです。

 門の係員に届けると、礼の言葉より先に「報奨金はどうしますか?」と詰め寄る声。
 財布を拾う機会などないので、一瞬「この人何を言ってるんだろう?」と困惑しました。
 入園券売場周辺では多い事例でしょうから、門番のおばさんはマニュアル通りの対応をしたのでしょう。その迫力に「いいえ結構です」と答えたものの、口座番号を伝えておけばとも……

 でも後で考えると「報償を求められないような対応」が、マニュアルに明記されているのかも知れない、と思ったりしました。
 善意とは、助け合いの精神から生まれるものですが、勘ぐられる態度を見せないようにしても、そこでゴネられ後々まで尾が引くと仕事に支障をきたしてしまいます。
 件数の多い場所柄なので「その場のニコニコ現金払いにて、一件落着!」と考えると、謝礼抜きでも経験してみたかった気がします……


 梅の次はモクレンの出番ですが、もう準備万端のようです。
 これからはそんなバトンタッチが連鎖していくので、そんな姿に春への期待感が膨らみます。
 年齢と共に、四季のうつろいを実感するようになる、というのは、暑さ寒さに体がついていけなくなるため、温暖な季節の到来を切実に待ち望んでいるだけ、との実感があります(暑さに弱くなったと同時に、寒さにも弱くなったと感じます)。

 気象庁の長期予報っていつもこんな時期の発表でしたっけ?
 「この冬は寒かった」とまだ震えている時期に、「今年の夏も暑くなりそうです」との予報を出されては、気象庁も「異常気象」と認めた昨夏の暑さを想起し、うんざりしてしまいます。
 これは、あの暑さが「平年並み」になることの序章なのだろうか?

 夏の暑さは景気を押し上げるとされるので、新手の景気浮揚策(?)であれば少しは我慢してみようと思いますが、先の見えないグローバル社会ですし(?)、いまは春の訪れだけを心待ちにしています……

2010/09/27

遊べるうちは遊ぶベシ!──青梅

2010.9.19
【東京都】


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 立川の次が青梅では、少し離れた印象もありますが、福生(ふっさ)や羽村付近は以前歩いたので、今回はスルーしました。


青梅交通公園(Map)

 この施設は、1962年 鉄道開業90年記念事業として旧国鉄により作られました。
 ガキの時分はよろこんで遊びに来たものですが、何で青梅という立地だったんでしょうね?
 当時、蒸気機関車にも興味はあったでしょうが、きっとそれよりも「模型鉄道パノラマ」(80分の1サイズのミニチュア)の模型が走り回る様子にくぎ付けだったことと思われます。この日も子どもたちの人気の的です。
 でもその実演時間が短いと大人でも感じるのですから、子どものころは「ケチ!」などと文句を言ったことでしょう。

 旧国鉄時代の横浜線でも走っていたと、懐かしく思える車両が保存されています(右写真)。
 板張りの床が何か油っぽく、ニオイもしたような記憶があります。そんなころは、新型車両のシートが貼られた平らな床がとてもカッコよく見えたことを思い出します。
 そんなことを懐かしく思う年ごろになってしまいました……


勝沼神社(Map)

 交通公園内まで聞こえたお囃子は、ほど近い勝沼神社の例大祭のものでした。
 9月はこの神社(地区)の例大祭ですが、5月には青梅の町を挙げた「青梅大祭」があり、各町内の山車(だし)が引き回され、勝沼町の山車を右の「勝沼囃子会」が盛り上げるそうです。
 お囃子会紹介のページに「ここ数年来女性会員及び準会員が増え…」とあるように、演奏者に若者が多い印象があり、組織の魅力がうまく伝えられているようです。
 その取り巻きというか、友だちの応援や、その姿に関心を持つ若者たちが群れている雰囲気には、活気に通じるような好印象を受けます。
 地域社会文化がその役割を果たし、世代交代がスムーズに進んでいるように思え、好循環社会(現在の日本にこんな表現できる場所があるのか?)を実現しているような印象を受けました(キツネを踊る子も若者です)。


旧青梅街道付近(Map)

 右写真は以前、繭蔵(かいこの養殖)に使われた建物を、飲食店舗に転用したものです。
 いくらオシャレにしても、この立地ではどうなのか? と思ったのですが、店内には人影が見えるので、流行っているのかも知れません。
 付近にはここと同様に大谷石(のような軽石)を使った蔵が点在しますが、流通を考えると、大谷石の産地である栃木県から運ぶのは大変そうに思います(JR八高線経由?)。
 付近にも産出地があったのか?

 近ごろ、女性のファッションカタログ誌的な仕事もしていて、こんなロケーションにモデルが立ったら絵になるんじゃないか? なんて思ったりしました。似合わないと思いますが、感じれられるようになってきたのか……

 右はテレビで何度か見かけたとんかつ屋で、評判までは覚えていませんが、店内はレトロという表現ではなく「きたなシュラン」に近かった気がします。
 それではあまりにも失礼なので評判を調べてみると、「味は○」「雰囲気は落ち着き過ぎちゃう」など、とても好評のようです。
 外見にも味がありますから、入ってないのに「星三つです!」としておきましょう……

 この辺りがよく知られている、昭和レトロをモチーフにした町おこしの中心になります。
 「昭和幻燈館」:手描きの映画看板や、昭和の生活を再現したジオラマの展示
 「昭和レトロ商品博物館」:昭和期の駄菓子、おもちゃなどの販売。コレクターによる商品デザインを展示
 「青梅赤塚不二夫会館」:赤塚不二夫の漫画ワールド
 そんな施設が旧青梅街道沿いに軒を連ねます。館内では様々な背景を知ることができたのでしょうが、どこも入りませんでした。

 青梅に何で赤塚不二夫かというと、手書きの映画看板で町おこしを目指した青梅市側が赤塚を口説いたそうです。
 彼は満州に生まれ、新潟で生活と絵の仕事にかかわりたいため、映画看板を描く仕事をして漫画家への夢を膨らませていたそうです。

 サザエさんストリートのように、キャラクターがいたるところに見られるのですが、その中にスッカリ忘れていたベシ(モチーフはカエルだそう)を見つけ、ガキの時分に、ニャロメとケムンパスのイラストは描けたのにベシだけはうまく描けなかったことを思い出しました。
 もちろん漫画家なんて目指しておりません(右の看板は『ローマの休日』)。

 青梅駅の駅メロは「ひみつのアッコちゃん」なんだそうですが、気付かないまま帰ってきました……


釜の淵公園(Map)

 多摩川の流れが大きく蛇行する一体を整備した施設で、水の公園と呼ばれ、青梅市郷土博物館、市民プール、かんぽの宿などがあります(下写真は郷土博物館脇に保存される古民家)。
 リゾートではなく、アウトドア的な野趣を楽しむ場所なので、食堂・売店類は無く、みんな自前のバーベキューを楽しんでいます。
 都市近郊のバーベキューサービスを利用するカジュアルなスタイルではなく、完全なアウトドアスタイルの方が「正しいバーベキュー」という気がします(確かに面倒ですがね)。


 この日は暑かったこともあり、子どもだけでなく、大学生くらいの若者たちも水遊びに興じていました。
 そんな光景を見たオッサンは「いくら暑くても、もう9月だぜ」と思うのですが、「まだ全然大丈夫。遊べるうちは遊ばなきゃ!」そんな声が聞こえた気がした瞬間、「遊びたい側の見解」ではなく、世間の親のような「一般概念」を押しつけようとしていることに気付かされました。
 暑さが続くので、営業を延長したプール施設が多いと聞きましたが、それでも足りないと思うほど暑さが続いたのは確かです。

 「遊べるうちは遊ぶべき!」と行動するあなた方は正しい! そこに込められた切実な意味を感じるころには、様々な障害に意欲をくじかれ、遊ぶことすらできなくなっているかも知れないのですから。
 どんな状況でも大切なのは「スキあらば遊んでやる」との意欲であると、虎視眈々と狙ってはいるのですが……

 それにしても近ごろ「飛びます、飛びます!」(坂上二郎さんの引用)という女性を見かけます。
 またの機会に書きたいと思いますが、社会進出した女性たちの「ストレス対策」って、もう商売になっているくらい一般的なんですよね……


金剛寺(Map)

 金剛寺の境内に、「青梅」という地名の由来とされる梅の木があります。
 梅の実は一般的に6月ごろ黄色く熟すそうですが、この木の実は秋になっても青々としているところから、「あお梅」→「青梅」とされたそうです。
 数は少なくも下写真のように、秋分前まで青い実がついているので、同様例が見られる突然変異に含まれるそうです。


 この木には「将門誓いの梅」という伝説があります。
 平将門(たいらのまさかど:9世紀末ころ〜37年の生涯)が、戦勝祈願に馬のむち代わりにしていた梅の枝を地面に突き立て、「わが願いが叶わないのならば、枯れてしまえ」としたものが、現在まで守られているそうです。
 神田明神に祭られるまでの将門には、怨念のようなものがつきまとう印象があるので、この木にも将門の無念さが込められているのかも知れませんが、好意的に扱うこの地には、そこに触れようとする説明文はありません。
 文化継承とは「伝えられてきたことを、そのまま後世に伝えていきましょう」という姿勢でいいんですものね……

 JR青梅線は青梅駅ひとつ手前の東青梅駅から単線となり、そのまま終着駅の奥多摩駅へと続きます。
 以前は、奥多摩地区で採掘される石灰石輸送にも使われましたが、1998年に廃止されます。
 しかし青梅線は現在も、在日米軍横田基地向けのジェット燃料輸送に利用されています(川崎の安善駅から南武線経由で拝島駅まで)。
 2008年に横田ラプコン(航空管制区域)の一部が、米軍から日本に一部返還されたことを調べていて、実家のある相模原市上空300m〜4500mは横田管制下にあると知りちょっとショックを受けました(返還後4501m〜300kmは日本の東京航空管制下に)。
 そりゃ、戦闘機が我がもの顔で低空を飛び回るわけです。事故が無ければいいというものではなく、他の基地周辺と同様の危険にさらされていることを認識すべきと思わされました。

 この先の奥多摩や、拝島駅から分岐する五日市線方面にも見るべき場所は多くあると思いますが、この先まで足を伸ばすと一日がかりになってしまうこともあり、今回の多摩川編はこのあたりで終了にしたいと思います(ここでも片道1時間半かかります)。

2010/09/20

切通しを抜けると……──百草園

2010.9.11
【東京都】


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 急に涼しくなると、衣替え前に押し入れの開け閉めが増える方も多いのではないでしょうか。
 今回訪問日の、坂を登るにも汗だくになる陽気から一転、週が明けるとフリーフォールのような気温低下があり、またサイトアップ日には再び真夏日がやってきました。
 この一週間の気温変化では、健康な体でも体調を崩してしまいそうですし、これでは何を話題にしていいのか困ってしまいます。
 それは、環境がわたしたちを試そうとする、自然淘汰(とうた)の試練ではないか? と思ったりします。
 とは言え、今週には秋分を迎えます。異常気象も、そこで終わりにしてもらいたいものです。


百草園(もぐさえん)(Map)

 ずっと意識にあった場所ですが、初めての訪問になります。
 足を運んでみると、これまで立ち寄らなかった理由を、身をもって理解できた気がします。
 施設は丘陵地の頂上付近にあり、最寄りの京王線百草園駅からのアプローチは急坂ですし、車を利用するにも駐車場がないので、目的意識がないと足が向かない立地になります。入口からまた階段を上りますしね……
 それにしても駅からの急坂は、雰囲気も何もない無粋な坂道です。

 後述の帰り道ルートからだと、一筋の谷戸(やと:丘陵地が浸食されてできた谷地形)を登り詰めた頂上付近に位置し、百草八幡神社に隣接するので、地域の象徴となる施設が求められる場所柄になります。
 鎌倉時代に建てられたお寺はさびれますが江戸時代に再建され、明治時代には庭園とされたことを、地域では新たなシンボルとしてよろこんだのではないでしょうか。


 上写真奧の左から続く尾根の裏側には京王線や幹線道路が通る、今どきの見慣れた光景が広がります。
 聖蹟桜ヶ丘の隣駅付近にこんな光景が残されているのですから、まだ守るべき多摩丘陵が残されていることに気付かされます。
 酔っぱらって帰ると心臓が破れそうな「駅からの無粋な急坂」周辺や、本施設のすぐ下まで宅地化されていますが、こんな(急傾斜地崩壊危険箇所とされるような)傾斜地に建てられた家でも欲しいのか? と思える場所まで開発が進められています。

 上写真の撮影場所は園内の展望台で、そこの案内が「新宿高層ビル、池袋サンシャインはこちら」だけなのには、ちょっとガッカリです。
 借景にはできなくとも、見えそうな高尾山くらいは紹介して欲しいと思ってしまいます。

 この庭園は「梅の大木:寿昌梅」が有名で、紅葉も売りとされますが、立地にふさわしい山野草的な花々が可愛らしい姿を見せてくれるようにも思います。
 暑い時期に見るべきモノはないだろうとは思いつつも、庭を管理するおばちゃんの「あら、こんにちは」のあいさつもやはり「花のない季節にようこそ」の意味に聞こえ、花以外の被写体を探す心構えができました。

 右上は池の水面を狙った時、偶然目にした魚(コイ?)が起こしたと思われる波の広がる様子です。
 その主の波の立て方が特殊なのか、狭い池のせいなのか、同心円状になる前にユニークな波が見られました。
 でも昔の歌人のように、こころ静かに周囲を観察できたなら、このような絵はいくらでも見つけられるのかも知れません……


 明治時代には文人が訪れるようになり(北村透谷、徳富蘆花など)、中でも若山牧水は恋人と訪れるほど気に入っていたようです。
 結局その恋は実らず、後にこの地をひとりで訪れ、歌集『独り歌へる』を発表します(未練がましく思えますが、失恋を肥やしとしたのでしょう)。

 この地の来客層は年齢的に高めと思いますが、皆さんあの急坂を登って来るのだろうか?
 施設自体も斜面に造られているため階段ばかりですから、「いい運動になった」と思える方ならいいのですが、歩くのはちょっと大変そうです。
 園内の主な施設付近はバリアフリーになっていますが、介添えの方が大変そうな傾斜地です。

 一方子ども向けのサービスとして(?)、展望台裏の雑木林には「おちばたき会場」とされる一画があります。
 一瞬大丈夫? と思いましたが、林の中でのたき火を許可するからには、防火設備が整っているのでしょう。
 開けた場所のたき火もいいですが、林の中で行われるたき火の合間に、現物を前にした雑木林のレクチャーができれば、生きた知識として伝わることでしょう。


 百草園の門を出た正面に「百草ファーム(牛舎)はこちら」との地図を見かけ、帰りも無粋な坂道を下るのはつまらないので、誘われるままに歩いていくと、来てよかったと思えるのんびりとした里山の光景が広がっています。
 しばらく宅地造成された住宅地を下りますが、傾斜地には栗林が、平地の広い場所には農家の建物があるなど、土地の利用が区分が見てとれ、その生活区域内にテニスコートほどの牛舎があります(家畜は人のそばで暮らします)。
 真夏日に牛たちはみなダラけて寝そべっているので、お腹や乳の様子が立ち姿とは違いダラーっと広がっている迫力には、ちょっと圧倒されました(舎内は暗いため写真は撮れません)。

 そんな里山の谷筋(谷戸)から「駅近道」とされる切り通しを抜けると、普段見慣れた光景が広がっているのですが、世界が変わったと感じるくらいのギャップを体感できます。
 わずかな時間でしたが、里山の空気を味わいながら気持ちよく歩いて汗をかけました。


立川公園付近(Map)

 河川敷のガラクタ置き場のような場所に、人が群れているので近づいてみると、ここはバイクトライアルの練習場で、子どもからオッサンまで幅広い年齢層が集まっています。
 バイクトライアルとは、自転車に乗って岩場等の障害物を足を着けずに越えられるかを競う競技で、常に立った姿勢でこいでいると思ったら、自転車にはサドルがありません。

 後輪で立ち上がる、犬の「チンチンの姿勢」のような姿を目にしたことがあると思いますが、あの姿勢でハンドル位置が高いとじゃまになるため、ハンドルの高さは極限まで低く設計されているそうです。
 脱線しますが、気になったので「チンチンの姿勢」の由来を調べると、「鎮座:どっしりと構えるさま」に由来するそうです。期待を裏切りました?

 基本的に障害物には高さがあると思うので、運転者が恐怖感を克服しいくら防具を付けていても、不安定な姿勢からコケたら痛かろう、と思ってしまいます。
 でも、コースをクリアした瞬間の快感が忘れられないのでしょうね……

2010/09/13

あきらめられないバブルの夢──東京競馬場

2010.9.4
【東京都】


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東京競馬場(Map)

 この夏、この手の屋外施設を管理する人たちには、大変な苦労があったことと思います。
 カンカン照りの猛暑続きで雨も降らず、この広大なグリーンの手入れを考えるだけで途方に暮れてしまいそうです。
 と思ったら台風の大雨では極端に降りました。本来地球のシステムは、もっと効率的に機能していたはずなのに。
 それを人類がコントロールすることは可能かも知れませんが、大変なお金、労力そして規制が必要となることでしょう。
 これまでも人類は困難にチャレンジしてきたのですから、次の世代のためにやってみませんか?


 駅名には「府中競馬」とありますが正式名は東京競馬場で、1907年(明治40年)に開設された目黒競馬場(バス停名に「元競馬場」が残されます)が初代で、1933年(昭和8年)府中に移転します。「目黒記念」とされるレースは目黒競馬場にちなむものです。

 2007年にリニューアルされたスタンドの内部は、アミューズメント施設を想起するような装飾がほどこされ「ここは一体どこ?」と驚かされます。
 子ども連れでも違和感がないばかりか、施設内で撮った写真を「ディズニーランド」と言われても納得してしまいそうな装飾です。
 とはいえ目についたのは、キレイな施設の中でも床に新聞紙を敷いて座り込んだり、寝ころんでいる人が多いことです。
 ベンチが空いていても床に陣取っているので、好きな場所やテリトリーがあるのかも知れません(○○の巣窟的な暗いイメージはありません)。

 ここでレースが開催されなくても、土・日は地方競馬の場外馬券売場として開場しているので、猛暑日の避暑地(暑さを避ける場所)としては、最適かも知れません。
 随時アナウンスは入りますが、図書館以上の真剣さで(?)新聞をにらむ人や、スタンドテーブルで熟慮を重ねる方々は、図書館のように静かです。
 でもモニタに食い入る人には、突然大きなかけ声を発する人がいるので、それも雑音と受け入れられれば、気持ちよく昼寝ができそうな施設です。


 ギャンブルには関心がないので、この手の施設を知らないためどこも珍しく見えてしまい、興味の尽きない子どものように施設内をポコポコ歩き回っていました(ワクワクと楽しんで歩けました)。
 一般人が立ち入れる最上階の指定席ゲートに立つ警備員のおばちゃんが、無線で何やらやり取りしています。
 そこでふと、大きなお金が動く施設ですからバッチリ監視されていて、「明らかに金を使おうとしないヤツがウロウロしている」と、いくつもの監視モニタでチェックされているかも知れない、と思ったりしました(近ごろの繁華街はどこでもそうなのでしょうね)。
 でもそんな映像は、捜査の際には利用されるわけですから、常に下を向いて歩かねば? イヤイヤ、上を向いてやましさのない、アホ面をさらして歩んでいきましょう。

 コースの内側(馬場内)には、入場無料の子ども向け遊戯施設等があり公園感覚で立ち寄れるのですが、見通しが求められる場所柄ゆえ木陰等はありません。
 親にすれば、こんな暑い日には遊びに来たくない場所でしょうね。
 右写真のロボットのような設備は、インフォメーションモニタで「日差しの下で、芝生に寝そべってご観戦下さい」との趣旨なのですが、この猛暑日にもモニタを独り占めにする、太陽がとっても好きな人がいました。
 外野からは、やけくそ? とも見えてしまいます。

 馬場内にも投票所(馬券の購入窓口)はちゃんとあり、季節がよければ芝生で昼寝しながらトイレに行く感覚で馬券が買えるというんですから、至れり尽くせりというか、とことん巻き上げてやろうという意図のように感じます。


 この日は地方競馬をモニタで観戦するだけなのに、画面に向かって叫ぶ人がいます。
 大きなレースが開催されれば、もの凄い数の人たちが押し寄せ「ウォ〜!」という地響きのような歓声を上げるのですから、一種のお祭りや宗教行事のようにも思われます。
 しかし、負け続けても決してあきらめないその原動力とは何なのでしょう?
 お小遣いを増やしたいお父さんたちの「バブリーな夢」がはじけた後の、「このままでは終われない」未練という気もします。
 よく「銀行に預けてある」と聞きますし、それを取り戻すまではあきらめられない、という気持ちは理解できるところですが、増えてもうれしくない預金残高もあると思うのですが……
 今回のこの豪勢な「夢の殿堂」の建設は、出資者であるをお父さんたちへの還元サービスといえるかも知れません。
 座席の数席分かは出資したかも? と嘆くなかれ。これは立派な(?)次世代への投資なのですから。
 「元本保証無し。ペイオフなんか当たり前」でも、列を作って人が集まる、最もつぶれにくい銀行かも知れません……

 現在、乗馬関連の雑誌制作をしていますが、そんな雑誌をシコシコ作ってる場合じゃないよね。ギャンブルは不滅です!? もの。


 天気はどうすることもできないので、動植物にはとにかく水分補給が必要になりますが、あれだけ日照りが続いても水不足にならないのは自治体のおかげと、少し持ち上げておきましょうね。
 でも先日の台風のような土砂降りの雨を、整然と排水してくれる施設整備にはちょっと時間とお金がかかりそうですから、可能な部分は自己防衛していくしかないのでしょう。

 訪問時にはまだ台風が来てなかったため(台風来襲前の週末)散水の写真を多く撮っていて、訪問時の願望が表れていると、昔を振り返るように感じています。


大國魂神社(おおくにたまじんじゃ)(Map)

 ここは競馬場近くにある大國魂神社で、特に格式の高い「東京五社」(東京大神宮、靖国神社、日枝神社、明治神宮とここ)のひとつとされます。
 他の四社は、天皇が東京に移った明治以降に造られたので、この神社だけ111年(景行天皇41年) 創建というのがどうもピンときませんが、素盞鳴尊(すさのおのみこと:アマテラスの弟で海の神)などを祭るとされます。
 卑弥呼(175年生?)が作ったとされる集権国家でさえ、限られた地方とされる歴史研究からは、ちょっと飛躍しすぎの感があります。
 伝説では、2世紀頃ヤマトタケル(日本武尊)が「東方の蛮族討伐」に訪れたことになっているので、それを神社側が引き受けたように思われます。


 ですがここの例大祭である「くらやみ祭り」では、関東三大奇祭のひとつとされる「淫靡(いんび)な風習」が江戸時代まで続いたとありますから、源流には土着的な信仰があったようです。
 その風習は「歌垣(うたがき)」とされ、決まった日時に若い男女が集い、求愛の歌を掛け合い気を引き合ってカップリングを目指すもので、同様の風習は中国沿岸部、インドシナ半島、フィリピンやインドネシアにも存在し、沖縄の毛遊び(もうあしび)も同じ流れとされるそうです。
 歌垣はその後日本の、歌合(うたあわせ:優劣を競う)、連歌(れんが:多人数による連作)のルーツとされ、和歌や俳句もその流から生まれたとされます。
 そんな背景を知ると、和歌に感じていた「愛憎の表現手段」との印象が、すんなり納得できる気がします。

 現代でも形は変われど、出会い系サイト等では、歌垣のようなコミュニケーションが求められています。
 そんな歴史を踏まえると、そこには現代の「淫靡なコミュニティ」という性格があっても、しかるべきという気がしてきます(金銭問題や犯罪が絡んだ活動の温床となるのは、現代の大きな問題です)。
 しかし昔の風習も、現代の風潮も、結局は人々が求めているわけですから、決してなくならない普遍的な欲求に違いありません。