2014/07/07

モヤモヤし続け数十年……──綾瀬

2014.6.28【東京都】──「隅田川を歩く_15」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

 近ごろ首都圏の私鉄各線では、地下鉄および反対側路線との相互乗り入れを戦略としますが、東急東横線〜地下鉄副都心線の乗り入れでは、2013年度JR渋谷駅の乗降客数が3位から5位に下がり収入も減少の発表に、その威力を思い知らされます。
 便利・不便は人それぞれでも、神奈川県育ちには見慣れた小田急線(地下鉄千代田線〜JR常磐線)や田園都市線(地下鉄半蔵門線〜東武伊勢崎線)の車両を、北千住駅付近で目にする違和感に「アウエー」を実感します。
 小田急線〜千代田線の直通運転は1978年に始まり、見慣れない「綾瀬行き」を目にした際、おそらく神奈川県綾瀬市(交通情報で耳にする「綾瀬バス停付近」の地)との混乱から「モヤモヤ」がはじまったようです。
 そんな数十年来の「モヤモヤ」を解消しようと、足を伸ばしました。


東京武道館〜東綾瀬公園(Map)


 上野発の常磐線快速は北千住まで各駅に停車し、その先は各駅停車との複々線となります(中央・総武線と同じ。場所的に近い総武線快速と各停に例えないところが神奈川育ち)。
 乗り換えで降りた北千住駅ホームの列車案内には各停が見当たらず、各停は当駅から乗り入れる千代田線が受け持つシステムを知らない初心者はオロオロしてしまいます。
 隣の綾瀬駅は各停停車駅ながら、地下鉄の終端(車両基地へ向かう支線に北綾瀬駅がある)のため印象に残ったようです。
 上の東京武道館は、裏側までいかつい姿です。


 駅に降り立った第一印象は、高い建物が少なく空が広い「練馬に近い?」というものでした。
 荒川をはさんで隣接する北千住に漂う下町の空気感とはまるで違う、新興住宅地が広がります。
 その理由は、1930年(昭和5年)に完成した荒川放水路(隅田川の氾濫を防ぐバイパス)のルートが、当時の市街地外側に引かれたと考えれば分かりやすそうです。
 湿地帯を整備した江戸期以来、昭和初期まで農地だったようで、時折歴史のありそうな農家の屋敷を見かけます。
 同じ農地でも高台の練馬とは違い、付近では水はけに頭を悩ませたことでしょう。
 雨上がりの野球場を整備する右の彼は、明日に備えるグラウンドキーパーとしたら、何と素晴らしい施設!

 本編の緑地や水路は東綾瀬公園の施設で、以前「日本一汚れた川」とされた綾瀬川近くに整備され、現在池ではカワセミも見かけられます(大きく撮れず不掲載)。
 水質浄化の成果にしても、都内で見かける場所が増えたのはカワセミのたくましさという気もします。

 北綾瀬駅付近の「しょうぶ沼公園:右」や堀切菖蒲園も近いことから、以前は水郷のような景色が広がっていた様が想像されます。
 時期が遅く花はほとんどありませんでした。
 
 右は以前の農業用水を整備した「八か村落し親水緑道」で、各家の玄関に架ける橋まで整備する姿勢から、本気さが伝わってきます(写真にはない)。
 いい施設ながら唐突に途切れてしまう(下水に流れ込む)のは、町中では仕方ないのか?
 以前暮らした武蔵小杉にも旧用水路を整備した緑道があり、どこまで続くのかと歩いてみれば、いつの間にか下水の中でした……



首都高速 加平インター(Map)


 近ごろ利用しないので忘れていましたが、首都高速の加平インター(上)は大橋ジャンクションのような構造物でした。地図上の2つの渦巻きは「バカボン」のようです……


 のどかな住宅地の玄関口である駅前で、エグい配色の飲屋街を見かけます。
 オヤジたちには、下町の下(しも)狙い的な品のない装飾が受けるのか?

 暮らしやすそうに見える綾瀬の町を生み出したのは、荒川ではないだろうか?
 川をはさんだ北千住の下町側と綾瀬の新興住宅地側が抱く、互いの「川向こう」意識のギャップを和らげる、緩衝地帯の役目を果たしているように思えます。
 そこには、皆が下町暮らしを好んでいるわけではない、の主張があるようにも感じました……


追記──ザッケローニ氏、離日

 前週まで「ザックジャパン」と応援した元監督が、大会期間中に日本を後にしました。
 結果がすべてのプロの世界ですから、早々の退散は当然とされるのでしょう。
 長谷部、内田選手が見送る姿には、指揮官ではなく同士と別れる「男の姿」が感じられ、響くものがありました。
 就任時から「日本にフィットしている指揮官」の印象があり、期待感を高めてもらったのですが…… お疲れ様でした!


追記──父が壊れました……

 先月、肺に水が溜まる症状改善のため入院したところ、暴れるため個室(独房)に移され拘束帯で縛られるも(その時点で「要介護申請をした方がいい」と)、映画『パピヨン』『大脱走』のスティーブ・マックイーンばりに、すり抜けようと闘志を燃やすため薬漬けにされてしまい(他に押さえようが無い)、家に戻ったら話も通じなくなりました。
 付き添う母のヘルプでわたしも一晩泊まりましたが、続けられるものではないと、病院に任せるしかありませんでした。
 テレビ等で目にする「食べたことを忘れる←ではなく、口を動かしてないと落ち着かないらしい」や、「行動目的を忘れる:衝動を落ち着かせると、その目的を忘れる」など、明らかに脳内の「線」が切れている印象です。
 改善の兆しもあるらしいが、経過観察という状況です……

2014/06/30

「川の手」暮らしの魅力──荒川土手

2014.6.21【東京都】──「隅田川を歩く_14」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

荒川土手(Map)

 荒川の両岸はスーパー堤防としてきっちり整備されますが、階段は利便性を無視した場所に設置されるため、必要な場所には道が開かれます(階段は100m程先)。
 設計された階段よりこちらの方が「ワクワク感」が高まるので、当然ここを歩きます。

 人によって土手に通された「けもの道」の、水平面との角度や土手の傾斜に対する比率などを調べると、地域文化の特徴が比較できるかも、と思ったりします。

 その土手上では「青空理髪店」が営業中です!
 切りくずを気にしなくていいし、切られる側も「サッパリ」できそうですが、鏡が無くて大丈夫?
 以前パーマ・カットのモデルをした際に、余計なことを言って失敗したことがありましたから(全部やり直し…)、相手を信じて任せましょう!
 成年男子のツーショットに、友情が芽生える際の「無垢」な素直さが見えた気がして、若い記憶をたどりうらやましく感じたりします(同性愛でないことを…)。

 腰掛けているのは荒川のキロポスト(河口からの距離表示)で、工事で使用される標柱と思われます。学生時代のバイトで、対岸にある標柱との間にワイヤーを張り川の横断測量(断面図作成)した際、ここもやったか? と。

 右写真対岸の建物は小菅の「東京拘置所」。
 元は巣鴨にあり、戦後米軍に接収され「巣鴨プリズン:現サンシャインシティ」とされ移転してきましたが、閉鎖後巣鴨に戻るも再移転してきます。

 死刑執行は拘置所で行われることから、江戸時代の小塚原刑場付近が選定されたなら、ちょっと迷惑な話です。
 拘置所の存在は「社会の問題」でも、近隣住民には「地域の問題」であり、子供たちは河川敷で汗を流す間にも死刑執行が行われることを、学ばねばなりません。
 拘置所近くに暮らさない者には考えることのない現実です……


 テレビドラマ『3年B組金八先生:1979〜2011年』のタイトルバックに使われた場所らしいも、あまりピンとこないのですが、伝わります?(堤防上は舗装された)
 都会周縁にあたる川の手には、何が起きても不思議ではない「混沌」とした空気を持つ地域がある、という舞台設定が時代の空気に合っていたのかも知れません。
 川沿いには、ロケ地とされた「足立区立第二中学校」の統廃合で誕生した「千寿桜堤中学校」があります(千住を千寿と表記)。
 当時「たのきんトリオって、楽しい金曜日のこと?」と言う娘がいたことも、はるかなる思い出です……


 上は「荒川で屋形船?」の桟橋ですが、準備をしているのでお客さんは集まるようです。

 右は荒川放水路の建設まで隅田川に流れ込んだ旧綾瀬川で、現在は荒川と隅田川の連絡水路とされ、洪水から隅田川を守るための水門があります。右奥の建物は南千住汐入付近の再開発地区。
 荒川放水路の名の通り、洪水の防御は「荒川にお任せ!」との都市計画で、川の手の命運は「荒川土手」に託されています。


堀切〜北千住(Map)

 海抜0m地帯ながら、室町時代から「堀切:城や屋敷周囲の地面を切り通した堀」の名があるらしく、当時から管理された水路等があったのかも知れません。(下は柳原千草園)


 右の千草通りから北千住に向かう道すがら、おばあさんの歯切れのいい口調(耳心地よく、スカッとする)や、台所で包丁がまな板を叩く音などを耳にします。
 癒されるというより「とけ込みそう」で、「ただいま」と口にした途端に「川の手」暮らしが始まりそう……
 でも心配なのは「川に挟まれている」ことです。
 何度も洪水を経験した地域なので、対策や準備もぬかりはないと思いますが、極端な天候が多い昨今ですから、これまで以上に気をつけられますよう。

 川の流れは存在理由が明快(水が海に流れる)なので、日常生活の「意識変化」を投影しやすいように感じます。
 荒川・隅田川も持ち合わせるそんな性格は、京都の川や、四万十川と同様の「なごみ」作用があるのでは、と思ったりします。

 「広い」「大きい」対象物をのびのび撮れた「川の手」では、小杉・丸子の多摩川より、蓮根・高島平で足を運んだ荒川の方に引かれることを確認できた気がします。


追記──W杯グループリーグ日本敗退

 世界に対して、日本が「攻撃的」とする姿勢で「殴り合い」を挑みますが、追いつくのが精一杯で、その先に活路が開けない現実は、差は縮まっているにしても「実力不足」とされても仕方ないところでしょう。
 戦術に手詰まり感を覚えたのは、日本人の「きまじめさ」のせいではないか?
 中継で「自由人 大久保」とあったが、彼が一番楽しそうに見えたし、常に工夫することが楽しさにつながるような気がしました。
 次回大会に向けて、選手たちには心身共に休養が必要です。
 お疲れ様でした……

2014/06/23

住民の愛着を感じる──北千住

2014.6.8【東京都】──「隅田川を歩く_13」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

 北千住に降り立つのは初めてで、メジャーな印象から大々的な再開発が進んでいると思いきや、下町の空気が漂う繁華街では、気取らない若者や若ぶるオヤジたちの活気が町をもり立てています。
 下町育ちが中央線沿線のように「モダンさ」を取り入れている、で伝わるだろうか? 住民が町に愛着を抱いている印象に、ちょっとファンになっちゃいました。


北千住駅周辺(Map)


 上は駅前のメインストリートにたたずむ「大橋眼科」の建物で、1982年老朽化した先代に近い姿で改築されます(比較的新しい)。
 通りの両側に続くアーケードも、ここだけは景観に配慮して作らないこと(ここだけ傘が必要)を、納得している住民も素晴らしい!

 ラーメン屋が目につく中で「みそラーメン」が多いのは、これから「みそ」が流行る前ぶれ? 付近には北海道出身者が多いのか?

 訪問者は右を「敷石が真っすぐじゃない」と感じるも、下町育ちは「どこが曲がってるんだ?」と反論しそうです。
 彼らは「曲がったことが嫌い」でなく、曲線を描けないだけで(怒られそう)、「角度の違う直線が続く」なんて言われたら、ごもっともと引き下がるしかありません……


氷川神社(Map)


 歩いたルートだけでも4つの氷川神社を見かけたように、本社が大宮にあるため付近も氷川信仰の中心地とされ、町内ごとに祭られた氷川神社が現在も守られています。
 祭神はスサノオなので、南千住の素盞雄(すさのお)神社も同じ流れのようです。
 平坦地が広がる「川の手」(山の手に対する表現)ゆえか、富士山(山岳)信仰である富士講の富士塚を多く目にします。


名倉(なぐら)医院(Map)


 江戸時代から「骨接ぎの名倉」と各地に知られ、最盛期には夜が明けると門前の道が患者の行列で埋まったとされます。
 いまも現役の門(上)や門の脇に建つ倉(下)など、古くからの施設が残されており、門が開いていれば見学したかったのですが、日曜なのでそれは無理……

 土曜日は土砂降りで、日曜のこの日はかろうじて歩けましたが日差しは無く暗いため、どの写真も明るく撮ろうと露出オーバー気味になっています。



長圓(ちょうえん)寺(Map)


 上は、長圓寺門前にある「めやみ地蔵」に掛けられた絵馬。
 「め」の字をひっくり返すデザインは、春日のこんにゃくえんまさまでも目にします。 絵柄的には両目の様を想起させますが、実際の両目では同じように「め」「め」と見えるはずで、このデザインには「ちゃんと見えない」の意味が込められているとも……


お化け煙突モニュメント(Map)


 以前この地にあった千住火力発電所(1926年〜63年 石炭→重油)に立つ4本の煙突は、見る角度により本数が変化するため「お化け煙突」と呼ばれました。
 老朽化や豊洲の新東京火力発電所建設(1956年〜2000年 現在の新豊洲変電所:ビッグドラム周辺)により役目を終えます。
 当時は浅草(蔵前)にも火力発電所があったと知り、煙害のため繁華街や住宅地近い場所から埋め立て地に追いやられたことは、首都圏では危険とされ遠い福島に原子力発電所が建設された経緯につながるように感じます。

 稼働当時は近代化に欠かせない電力供給のシンボルであるも、映画『東京物語:1953年』にも登場し、近代化を危惧する側にもシンボリックとされる存在でした。
 下側の円弧は、展示される煙突断面の一部。

 神奈川で育った時分は、東京の反対側を「ひとくくり」にイメージしていたため、そんな町をひとつひとつ確認しながら歩く行程は、ガキ時分の「冒険」のようでとても楽しく、ツッコミどころばかりの「愛すべき(?)」下町育ちを、身近に感じられたような気がします……

2014/06/16

旧街道が住民のより所──千住大橋

2014.5.31【東京都】──「隅田川を歩く_12」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

 毎年突然発表される「梅雨入り」は、時節柄仕方ないとあきらめ気分でも、豪雨による幕開けには気分が重くなります。
 この日は梅雨入り前ながら熱中症搬送者が多数出る陽気で、歩きながら今年初めて膝裏など足の汗を自覚しました。


千住大橋(Map)


 徳川家康の手で隅田川に最初に架けられた橋が「大橋:千住大橋」とのこと。幾度もの改修により、江戸期300年間一度も流されなかったとは見事(明治18年流出)。
 当時の江戸は爆発的に人口が増え、住宅需要の高まりから橋のたもとには材木商が軒を連ねたそうで、現在でも名残が感じられる場所です(芭蕉もこの橋を渡った)。


中央卸売市場足立市場(Map)


 北千住側にある足立市場は都内唯一の水産物専門市場ですが、マグロや鮮魚の扱いは少なく、半分以上は冷凍品や加工品という品目からその性格が理解できます。
 築地はそう遠くないにしても、みんなで押し掛けたらパンクしてしまうので、保存可能な商品は各地の市場で売りましょう、という場のようです。
 われわれが寝ている間は活況でしょうが、昼過ぎには食堂も閉店しその後は閑散とする空間を、何かに活用できないか? と思ったりします。


旧日光街道周辺(Map)


 市街地で現役の「竹材店(さおだけ〜、の声を思い出す)」や、竹の若葉(上は源長寺)を見かけ、竹つながりで「尾竹橋」の由来を調べてみると、ルーツは以前あった「尾竹の渡し」で、その「お竹」とは付近にあった茶屋の看板娘の名前、とあります。
 そんな由来でいいの? と思うも、「これホント!」と言いそうな土地柄なので納得しちゃいます……(竹材の縁は見当たらない)


 派手なのれんと目が止まったものの、周辺の銭湯にも同じものが下がっています(サッパリできそう)。
 付近の銭湯に牛乳石鹸が配ったらしいので、今後のれんの分布域をチェックしながら歩こうと思います。

 「ゆ」の字は銭湯の顔なのに、以前お世話になった浴場に下がるのれんを思い出せません。
 その一方で、統一戦略である黄色い風呂桶の「ケロリン」には、イコール銭湯の郷愁をすりこまれました……

 右は氷川神社境内にある弁天様で「江嶌神社」とあるのは、江ノ島の弁天様を祭ることによります。
 まだ北千住の中心部ではないためか緑を多く目にします。旧日光街道沿いに寺社が多いこともありますが、現在でも「旧街道ありき」と、街道を中心とした町づくりを受け継ぐ姿勢に拍手を送りたくなります。
 それは裏通りも同様で、「町の形」を継承しようとする取り組みのようにも感じられます。
 お年寄りが暮らしやすい町に必須の介護施設も狭い裏路地にあり、右の「散歩がてら」気軽に立ち寄れそうな立地には、さすが下町の配慮! と、勉強させられます。

 そんな町中に、魔が差したかのような東京芸術センター(足立区と日本芸術センター)の高層ビルには、「黒澤明 シネマシティ:シネマ ブルースタジオ」(黒澤さんの名は冠だけ)との映画館があり、現在ルイ・マル監督特集で『死刑台のエレベーター』を上映中。
 いわゆる名画座でも、ニュープリントフィルムをスクリーンで観られる施設で(DVDのデジタルリマスターもスゴイが)、「1本 1,000円」です(以前の名画座は3本立 300円)。
 ガツガツ観たい時分と、ゆったり観たい気分は違うが、「映画は劇場で観て楽しむもの」には変わりないはずです……


追記──2014 FIFAワールドカップ(ブラジル大会)開幕

 開幕戦のネイマールのゴールは決して美しくないも、開催国の意欲が込められたもので、乗ってしまうとブラジルの勢いを止められないのでは? と、盛り上がります。
 6月15日、日本初戦後の山手線で「青い服」が目についたのは、「負けても渋谷は大騒ぎ」の連中だったのか?
 負けても「お祭り」の意識ならまだしも、ただ「騒ぎたい」連中が集まるのでは迷惑な「集会」へ苦情が殺到しそうです……

 個人的提言──テストマッチのように、3点取られても「4点取ることを目指そう!」。
 4点取って負けたなら仕方ないと、選手もサポーターも納得できるのではないか?
 それくらい思い切ってやって欲しい! と期待します。

2014/06/09

のびのび「リバーサイド」──旧汐入地区

2014.5.24【東京都】──「隅田川を歩く_11」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

南千住駅東口 旧汐入地区(Mapは上)


 知名度で北千住に水をあけられた南千住には、現存のJR隅田川貨物駅や東京メトロ車両基地に加え、以前は広大な大日本紡績、鐘淵紡績の工場が広がっていました。
 工場移転後の1987年に始まった一部貨物駅を含む大規模な再開発により、高層マンション群や公園が整備され、現在は若いファミリーが集まる地域となります。
 上のショッピングモール正面には、不動産案内写真ではカットされる貨物駅の施設があります。
 都内の貨物駅(汐留・飯田橋等)廃止の影響から稼働率が高まっており、右の地下鉄車両基地移転も見込めない中で、いびつな形状の再開発となりました。
 アクセスは山手線日暮里駅から常磐線で2駅と文句無く、水質に目をつぶれば隅田川のリバーサイドで空も広いので、立地の人気は高いようです。


 物輸の主力が船舶であった明治期より隅田川沿いに工場が建ち並びますが、今どきでは大型船が航行できない隅田川沿いの立地がネックになりそうです。
 そんな地域ゆえ、仮に上写真の施設が移転した際は、下写真のような堤防に作りかえるチャンスかも知れませんし(そんな都の条例がありそう)、そこに「都会のオアシス」の夢を描けそうです。

 汐入とは「海水の混じる土地」の意味で、現在も海水が混じる汽水域のためか、多摩川のようなドブ臭さは感じません。


 汗ばむような陽気のせいか、堤防付近で日光浴をするオヤジたちを見かけます。
 「水辺好き」が集まると思うも歩くうちに、「ガキのいない静かな場所なんだ!」と気付きます。
 ガキどもが公園施設やグラウンドで遊ぶばかりで水辺に寄ってこないのは、ここでは水に入れない、ということのようです。
 そんな状況の理解から、棲み分けのためにも大切な施設なのか、と……


 川のほとりでは、岸辺に高い建物があっても川の上には空間が広がっているため、遊ぶ姿も「のびのび」しているように感じます(上は汐入タワー)。

 明治期に石炭集散地として開設された隅田川貨物駅の構内には、右写真奥の隅田川と行き来できる水路が通され、陸運と水運をつなぐターミナルの機能がありました(右は水路跡の公園で、背後に水門跡が残されます)。
 再開発後も残されたこの一画のおかげで、数百m先の貨物駅との関連が一目で分かりますし、水路跡がトラックの出入り口とされ、付近の線路間隔が離れている様子も、歴史の記憶として見て取ることができます。

 近ごろ目にする機会の減ったガスタンクに引かれましたが、これはTV版『あしたのジョー』の背景に登場したガスタンクなんだそう(未見なので不明)。
 ジョーの記憶がないためか、「山谷」が近いことも気付かずにいたので、近いうちに歩かねばと思っています。

 東京スカイツリーもかなり近くなってきました。
 近ごろ来場者は伸び悩みと耳にしますが、混雑しそうな夏休み前までにたどり着かねば……

 ここは貨物駅ですが線路が並ぶ光景から、「北海道から九州までつながっている」ロマンに思いを馳せ、TVドラマ『大いなる旅路』(1972年日本テレビ:国鉄に関わる人々が各地で苦悩・奮闘する姿を描いたオムニバスドラマ。個人的には竜雷太(ゴリさん)が印象に残る。主題歌は小椋佳) を想起しました……(リンク先動画は「これ、これっ!」の懐かしさ!)

 以前は「鉄道」の存在が国民の夢をけん引してくれましたが、現代では単発的な東京五輪などのイベントしか見当たりません。
 だからといって、ロシアや中国が求心力維持の手段とする旧時代的な「国力のアピール」に頼るようでは、「将来に希望を持てない国」の病状は重くなるばかりです……


追記──「それでもSTAP細胞はあります!」と言えねば研究者ではない。

 共同研究者に批判されても、自分は信じると訴えながら論文を取り下げた人格には、もはや研究者を名乗る資格もない。
 理研がIPS細胞研究に対抗したいあせりから、奇妙な「キャンペーンガール」を祭り上げた、というところか。
 ガリレオの「それでも地球は動いている」には、宣伝ではなく「真理」を訴える信念がありました(彼の言葉の有無ではなく例えとして引用)。

2014/06/02

前途三千里のおもひ……──南千住

2014.5.10【東京都】──「隅田川を歩く_10」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

つくばエクスプレス(Map)

いい機会なので秋葉原から乗ってみましたが(南・北千住を通る)、第一印象は「シートが固い」です。
 シルバーの面構えが「強そう!」と鉄人28号(グリコのタイトル動画リンク)を想起するも、どうも鉄人はシルバーではないらしい…… 

 2005年に開業した第三セクター方式の鉄道で、巨額の投資を6両編成で回収可能? と思うも、資金はJR東日本に次ぐほど潤沢で、現在の秋葉原から東京駅まで延伸を目指すらしい。
 営業成績も右肩上がりの「イケイケ!」で、沿線開発は盛んなようです。


素盞雄神社(すさのおじんじゃ)(Map)

地元では天王様と呼ばれるため、神社脇の交番は「天王前交番」とされます。
 社も立派ですが、 南千住、三ノ輪、三河島、町屋など61町の総鎮守とされ、例祭「天王祭」の盛り上がりは迫力ありそうです(今年は6月3日)。
 写真左はたたまれた野点傘(のだてがさ)。

 母乳の出ないお母さんが、皮を煎じて飲んだとされる「子育てのイチョウ」には、現在も子育て祈願の絵馬が鈴なりにかけられます。
 神話でスサノオはアマテラスの弟。
松尾芭蕉『奥の細道』の「矢立ての初め:旅日記の書きはじめ」に「千じゆ」の名が登場することから、旅立ちの地とされます。
 江戸時代「大江戸八百八町」の外れとされ、奥州・日光・水戸道が分岐する最初の宿場「千住宿」で、江戸を離れる寂しさを感じたのでしょう。
 そこに記された「前途三千里のおもひ胸にふさがりて…」の思いは、「母をたずねて…」など「果てしない旅」のルーツ? と調べると、中国の唐時代には「三千里流罪の刑」があったことから、「今生の別れ」との覚悟が込められていたようです。右は碑の前に飾られる笠。


東京スタジアム(東京球場)跡(Map)


 ここは以前、東京スタジアム(毎日大映オリオンズ:後のロッテの本拠地。1962年〜72年)があった場所で、現在は上のグラウンドと背後にある荒川区スポーツセンターとされます。
 球場オープニングゲーム「大毎オリオンズ 対 南海ホークス」で、第1号ホームランを打ったのは南海の野村克也氏とのこと。ホント、昔はヒーローだったんですから!(パ・リーグの……) ボヤキたくなるのも分かります……
 この地(朝鮮半島出身者が多く暮らす)が本拠地ゆえに、球団譲渡先がロッテ(韓国系)の理由がよく分かった気がします。
 球団オーナーの永田雅一(大映社長当時『羅生門:監督 黒澤明』がヴェネツィア国際映画祭グランプリ受賞)は、娯楽や芸術を生み出すことより「自分を売りたい」人物で、黒澤の賞を大映本社に飾り「黒澤明はグランプリ、永田雅一はシランプリ」(語呂の古くささに懐かしさを覚えます)の批判通りに会社をつぶします。


小塚原刑場跡(Map)


江戸玄関口付近の街道筋には、上京する者への犯罪防止の見せしめに、仕置場が設置されます(東海道:鈴ヶ森刑場、甲州街道:大和田刑場(八王子))。
 奥州街道など北の玄関口に置かれた小塚原刑場では、吉田松陰など20万人以上が処刑されたとのこと。
 回向院(両国)の住職が刑場隣接地に死者を弔う施設を設けたものが、その後の回向院(南千住)と刑場跡の延命寺(右写真)に至ります(現在その間を常磐線が分断)。

 右は処刑場跡に祭られた首切り地蔵。斬首による処刑のむごさを伝えるためとはいえ、残酷なネーミングです。
 東日本大震災で崩れ落ちるも、早々の再建を実現した寄付には、犯罪や死刑の無い世の中への祈りが込められていることでしょう。

 上は付近の跨線橋からJR隅田川貨物駅を眺めたもので、次回お伝えします。


追記──5月末日にエアコンのスイッチを入れるなんて……

 年々、暑さの到来が前倒しになり、今年は5月末にエアコンをつけました、と嘆くつもりが、以前には「5月26日前後に…」の記述があり、もう常態化しているのかと驚きです。
 ささいなことですが、記録に残すことの大切さと「温暖化」を実感する次第です……
 


2014/05/26

下町になじむアジアの庶民──三河島

2014.5.3【東京都】──「隅田川を歩く_9」


より大きな地図で 隅田川を歩く を表示

三河島(みかわしま)(Map)

 駅周辺に残る「未踏の空白域」に一度降り立ちたいと思っていました。
 日暮里の隣駅らしく(?)華はないが、駅前には再開発の「のろし的?」な高層マンションが完成間近です。

 駅前の商店街で、韓国語が当たり前のように飛び交う様子には戸惑いますが、近所の方と日本語で世間話する姿には、確固たるアイデンティティを盾に異国で生きるたくましさがあふれています。
 周辺に済州島出身者が多いのは、戦前に移り住んだ若者が軍需関連の仕事で日本当局に顔がきいたため、そのコネで故郷の知り合いを呼び寄せたとされます。
 明治期の周辺は、畜産会社の工場、屠殺場、皮革工場、肥料工場、油脂工場が作られ地場産業として栄えました。
 屠殺場から出回る豚の耳、しっぽ、内臓等は、当時の日本人に食習慣がなく、韓国出身者が食材に利用したのが、近隣韓国料理店のルーツとのこと。

 荒川区に暮らす朝鮮半島出身者(南北含む)の数は、23区内では大久保が属す新宿区に次ぐ多さで、韓国キリスト教会や韓国仏教寺院も見かけます。
 中でも東京朝鮮第一初中級学校は存在感あるが、日本の「学校教育法」に当てはまらない各種学校とされます。

 地域にはインターナショナルな「つて」で、アジアからの流入者が集まるらしく、右のアパートではフィリピンの言葉(?)を耳にします。
 この絵はどう見ても下町の光景ですから(突飛なものはない)、海外からの移住者も日本流の生活になじみつつ、近所付き合いをしているようです。

 訳ありだから、目立たぬように暮らすのか?(失礼) 最初の店舗写真は、竜の絵から中国系に見えますし、一帯はアジア系庶民の巣窟となっているかも知れません……
 1962年付近で発生した「国鉄戦後五大事故」の一つとされる三河島事故(力作のCG)の後、事故による地域のイメージ悪化防止のために地名を変更したとされます。
 そこには海外からの移住者の存在を隠したい意図があったようにも感じます(まだ民族差別意識が強い時代)。
 線路脇の狭い路地に軒が連なる一帯は、バラックがあった場所に家を建てたような窮屈さにも、他人には入る隙のない共同体的な結束力を感じます。
 右は事故現場に近い線路下の道路。

 右は「カンカン森通り」の桜並木で、その名は道沿いの「神々森猿田彦神社」に由来します。
 通りの三ノ輪側は正庭(まさにわ)通りにぶつかる丁字路で、正庭通りにも桜並木が続く様子から双方とも以前水路で、桜はその土手に植えられたように思えます(三河島駅近くの七五三通りにも桜並木がある)。
 以前町屋付近で水路跡に見えた両岸にも並木が続いたと考えると、以前の隅田川沿いにはのんびりとした田園風景が広がっていた様子が想像されます。
 都電三ノ輪橋の駅名は、現在は暗きょとされた王子から分流した石神井川の支流に架けられた橋に由来。

浄閑寺(Map)


 上は浄閑寺(じょうかんじ)にある「新吉原総霊塔」の供え物。
 吉原は江戸時代に設置された幕府公認遊郭で「新」とされるのは、元は現在の人形町付近にあったが大火で焼失後、この付近に移転したことを指します。
 安政の大地震(1855年)で多くの遊女が死亡した際、亡がらが寺に投げ込まれたことから「投げ込み寺」と呼ばれ、「生まれては苦界、死しては浄閑寺」と粗末な扱いが伝えられ、総霊塔が建てられます。
 現代の化粧品が供えられるのは、つけさせてあげたかった、という理由だけなのか?


2014.5.10【東京都】

「栄西と建仁寺展」──東京国立博物館(展示会ホームページ)


 国宝に指定された美術品「風神雷神図屏風:江戸時代作」などは博物館で保管されるため、所蔵の寺にはレプリカが置かれたりします(上は尾形光琳の模写。周囲がパシャパシャやるので、カメラ持参も遠慮がちにiPhoneで撮影)。
 対面して思い出した「建仁寺ではなく東京で観た?」の薄い印象を調べると、2008年11月「大琳派展」(同博物館)で出会っていました。
 前回同様この日も「ピンと来なくてちょっとガッカリ」の感想なので、見る目は変わらないというか、成長していないようです。

 栄西(NHKは「ようさい」と読むが、教科書で習った「えいさい」も可らしい)が建立(1202年)した建仁寺独特の禅文化、様式や水墨画に代表される「質素さ」の美学は、ぜひ京都で体感してください! 江戸時代の絵には感じられない存在感があります。
 調べていて三十三間堂の風神・雷神像に至り、2度見たことを忘れない国宝像と、2度見てもモヤモヤする国宝屏風絵の違いを、自分の価値観として明確にしておくべきと思い始めました……


追記
 New Macから見える景色_4──美学を失わないApple

 昨年あたりから目にする新規格の「Thunderbolt」(周辺機器接続用規格)では、同一ポートからディスプレイ、DVD等外部機器やネットワークまで接続可能となりました(現在Thunderbolt→Ethernetケーブルを使用中)。
 しかし画像を扱う必要のないWindowsでは不要なため、近いところではFirewire(USBのライバル的存在)のように、Mac周辺の「方言規格」となりそうです。
 そんなルーツとして思い浮かぶのが「AppleTalk」で、Ethernet(パソコンネットワーク)が一般に普及する以前に、Appleが独自に画像データ通信を実現したシステムです。
 初代パーソナルコンピュータとして日本で爆発的に売れたNECのPC98シリーズには、一人で黙々と遊ぶゲームしかなかったのですが、MacではそのAppleTalkネットワークを利用した4人麻雀(4台で対戦)ができました(だから何だ? でも楽しかった!)。
 Appleは当初から「ビジュアル系」を目指したので、Windows陣営とは一線を画すため「独り相撲」に見えましたが、大衆に「楽しさ」を気付かせたのがiPhoneと言えます。
 現在もAppleのフロンティア精神(ジョブズの精神)は健在、と感じられる技術はよろこばしいのですが、Thunderboltケーブルの値段の高さは何とかならないか?
 それは「高級ではなく、高い要求」であるのがAppleらしさと感じますが、iPhone景気に浮かれた瞬間に転げ落ちてしまうような高みに上ってしまいました。
 「ビジュアル系」が大衆に受け入れられた現在、ライバルはWindowsではなくさまざまな切り口から参入してくるニューカマーと思われ、そんなライバルたちを味方に引き込めるだけの「Appleの美学」を保てるかが、ジョブズ不在の今後のテーマと思われます。

 本連載は今回で終了です。また何か気付いたことがあれば掲載します。


追記2──厚木基地騒音訴訟で「自衛隊機の夜間・早朝の飛行差し止め判決」(5月21日)

 基地騒音訴訟の損害賠償で過去最高額「約70億円」が命じられるも、近隣住民が求めているのは賠償ではありません(実家も「住宅防音工事助成区域」に含まれる)。
 裁判所も「現状の夜間・早朝飛行騒音の大半は米軍機」と認めた上で、「支配の及ばない第三者の行為の差し止めを国に求めるもので、棄却を免れない」とした、米軍機訓練を止めさせたいのです。
 国も司法も認識しながら動こうとしない現状を変えるには、基地移転要求しかないが、それは沖縄の普天間基地移転と同じで、移転先探しが求められます。
 首都防衛のため横須賀を母港とする空母艦載機の訓練場は近くに必要だからと、房総・伊豆半島沖を埋め立てられるものではない(沖縄はあれでよし、の意見ではない)。
 そのような成り立たない議論ではなく、考え方を変えなければ解決の糸口も見つからない、と思うところです……