2019/02/18

発展を願って──東陽町

2019.2.2【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_13

 かなり前に見聞のため、わざわざ江東運転免許試験場まで免許更新に来たことがあり、遠かったせいかここではないと感じた記憶があります。ですが引越しの際に、江戸川区の警察署ではゴールド免許の更新もしていないため、江東で更新しろと指定されました……



 仙台堀川は江戸〜明治期に開削され、1982年の埋め立てまで船が往来したため水道管は旧運河上を通され、現在も遊歩道の上空を横断しています(付近は幹線道との立体交差のため高度差がある)。
 自治体は埋め立てた運河を緑地帯とし、ところどころに広場を整備することが自分たちの仕事と考えるようですが、子供達は遊び場が無いためか、付近の遊歩道の傾斜を利用してスケートボードをしてます。
 目の前の環境を工夫して楽しもうとする想像力が、手すり等を滑る競技を生み出したように、どんな場所からも可能性は見出せるとしても、サポートがなければ環境が整備された場所へと若者たちは去ってしまいます。
 年配者でも歩きやすい散歩道は、町のインフラとして重要な施設に違いありませんが……

 植物には詳しくないので、幹がスッとまっすぐに伸び、枝が上方に向き、樹形が円錐形で赤茶に紅葉する木をメタセコイアと思っていましたが、右のように根元から呼吸根(膝根:しっこん)が出てくるのは、ラクウショウ(落羽松←この漢字読めなかった)という杉の仲間(松ではない)なのだそう。
 湿地や沼地を好むくせに、水分があると呼吸できないため地上に根を出すらしい(マングローブと同じ)。新宿御苑で目にした立派な呼吸根を持つ木の樹齢は100年を超えるとのこと。
 旧運河の面影を残すために整備された人工的な水路やせせらぎには、冬場は寒々しさしか感じないが、暖かい季節になるとそのありがたみが実感できそうです。



 ここは旧仙台堀川と旧横十間川の合流地点で(以前水門があった)、付近の中州にアオサギが営巣している絵は以前も撮った記憶があります。
 周辺で目にする鳥の種類も多そうで(ツグミ、コガモ、ダイサギ等々)、バードウォッチングで人気になったのは、周辺の住民に静かに見守る共存生活が浸透したおかげかと。マンションに囲まれた地が、何年も変わらず鳥たちの楽園であり続ける環境は、都心部のお手本にすべきではないかと。
 横十間川は東京スカイツリー近くで北十間川から分岐し南下する運河で、その名称は、江戸城に向かわず城に対して横に流れ、川幅が十間(18m)あったことに由来するそう。




 東陽町という響きに下町らしさが感じられないのは、1967年「発展を願って名づけられた」ためで、現在の東陽町駅付近には72年に廃止された城東電車洲崎線(路面電車)の洲崎停留所があり、遊郭で知られた名ではなく明るいイメージの名称にしたかったようです。
 上は東京イースト21として建設された複合商業施設(ショッピングモール、ホテル、イベントスペース、オフィスビル:1992年)のシンボルとされる太陽と月で、以前の水路に挟まれた資材置き場の記憶を消し去り、区役所に近い江東区のランドマークとしてアピールする姿は(鹿島建設による)、東から昇る太陽をイメージしたものか。
 女性専用の喫煙所を見かけたが、これは発展的な取り組みなのか、地域特有の問題なのか?

 右は距離を合わせられなかったので比較できませんが、荒川を挟んだ江東区(左:区役所前)と江戸川区(右:西葛西駅前)に設置される水位標を並べた絵。
 キティ台風は1949年関東地方に上陸した台風で、通過が満潮時と重なった東京湾では、A.P.+3.15mの高潮により江東区や江戸川区など広い範囲が浸水被害に遭い、行徳塩田では製塩業が廃業に追い込まれたそう。
[A.P.(Arakawa Peil):東京湾霊岸島量水標を基準とする基本水準面]
 どうすることもできない境遇で通じるため慰め合うような面もあり、無事だった方は隣人への応援を忘れてはならないと思うも、災害時は双方共に水没しそうなので、お互い逃げるだけで精一杯という気がします……


追記──恩師である中学の先生が亡くなられました

 恩師という響きには、年齢差を内包した遠い存在のイメージがありますが、年齢差がひと回り程度でいとこのお兄さん的な存在ながらも、恩師と思い続けています。
 20代半ばだった立場を自分に置き換えてみると、そんな時分に含蓄のある話などできないと思うし、中学生に語りかけても通じるわけないので、ごくありふれた言葉だったんだと思います。意見に耳を傾け「やってみればいいじゃないか!」と背中を押してくれる言葉に勇気をもらった記憶が残ります。それはわたしに限らず、不安定で自信の持てない年代全般に対する接し方だったため、人気があったのかも知れません。
 人を励ます気持ちを持ち続けたいと……
 ありがとうございました!

2019/02/11

外国人旅行者にも伝わる──砂町

2019.1.11【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_12

 江戸時代に周辺を開拓した砂村氏の名から砂村とされ、後に砂町〜現在も北砂、南砂、新砂、東砂と砂の名が受け継がれるように、砂や泥の湿地が広がっていたことと。




 江戸期に耕地とされ江戸の台所を支えましたが、明治期から小名木川沿いに水運を利用する工場が立ち並びます。東京大空襲で焼け野原となった地に砂町銀座商店街が生まれ、交通は不便な場所ながらも地域の暮らしに活気を与えてきました。
 5m程度の道幅が下町の商店街には丁度いいらしく、ちょっとした人だかりで流れが滞留した時が、モノを売るチャンスと考えているようにも。
 近頃の外国人旅行者にはマニアックな場面が受けるようで、ガイドが焼き鳥屋の前で日本酒を勧めています。昼間っから焼き鳥で一杯が最高の贅沢との説明は、外国人にもきっちり伝わっているように見えますし、お茶屋で試飲する姿には、お茶の味を気に入ってくれたらうれしいだろうとも。

 商店街の総菜店に並ぶ品々はどれもおいしそうで、晩のつまみにしたいものばかり。いまどきは中華系やインド系の店もあり目先が変わって楽しそうですが、じいさん、ばあさんは手を出さないだろうなぁ〜。魚屋はどこも威勢がよく、昼から売り出しのようなにぎわいで、昭和期の商店街の情景を想起します(パチンコ屋も客が入っている)。
 右は独り身と思われるじいさんが、「これ!」と指差しておでんの具をひとつずつ取ってもらう様子。自分が気に入ったモノを買えるシステム(?)こそ買い物の醍醐味なのに、いつしか「おまかせ」を粋と思い込むようになったのは、単に横着になっただけかも知れないと。
 昔はおでんをチビ太のように串に刺してましたが、落っことすヤツは必ずいました(自分を含め)。
 1枚目は近くにある旧質屋の蔵? 下は仙台堀川公園。




 貨物線の踏切=臨海地区というイメージ通り、付近はかつて工場地帯で港湾施設に近い場所柄でした(現在も右の葛西橋通りと永代通りに踏切が残る)。
 以前は沿線工場の製品輸送や、豊洲・晴海(へ伸びていた)で陸揚げされた原料輸送に利用されましたが、現在は越中島貨物駅にある東京レールセンターからの鉄道用レール輸送だけとされます(1日3往復)。
 それだけなら整理できそうだし、南北方向の交通網が心細い江東区ですから、亀戸〜東陽町間に旅客線を走らせればと思うも、豊洲〜住吉間には地下鉄建設計画があるとのことで、この線には何か別の計画があるのかも。
 下は以前、亀戸〜洲崎(現東陽町)間を通された城東電車(路面電車)がくぐる貨物線の鉄橋(廃線後は遊歩道)。路面電車は交通渋滞等を理由に次々廃止されましたが、付近には都市づくりのビジョンから切り捨てられたような不便さを感じます。





 巨大な建物がギュッと集まる共同住宅で、東京都が主体ながらも規模が大きいため分割管理されるらしく、賃貸・分譲等を含め線引きがよく分かりません。
 以前この広大な敷地には旧汽車製造の工場(1972年川崎重工業に吸収合併)があり、旧国鉄、私鉄、地下鉄の車両や、新幹線0系(初代新幹線)車両も製造され、完成車両は隣接の貨物線をD51に牽引され運ばれたそう。
 江戸時代には長州藩主の屋敷があり、ペリー来航(1853年)翌年に、三浦半島の砲台に設置する大砲を鋳造したそうで、後の下関戦争(長州藩 vs. イギリス・フランス・オランダ・アメリカ)で使用するも歯が立たず、下関を占領したフランスが戦利品として持ち帰り保存しているらしい。
 以前は、物輸の主力であった水運、鉄道の便利な臨海地区で物作りが行われましたが、工場地帯としての役割を終え市街地としての再開発が盛んになると、いたるところで土壌汚染問題に直面することになります。敗戦からの「奇跡の復興」を優先(優遇)した後ろめたさか、国や都は土壌汚染問題に砂をかけて隠そうとしているように感じます。

2019/01/21

低い土地の苦悩──南砂町

2018.12.24【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_11

 南砂町にはショッピングモールSUNAMO(スナモ)やニトリ(PCテーブルを購入)があり、比較的大きなものを買う際に足を運びます。


城東公園

 最初に目に入ったのがロケットや人工衛星のレプリカで、「下町ロケット」に関係する場所か? と思ったら、物語はフィクションでドラマロケも主に大田区で行われたとのこと(本もTVも未見でトンチンカンなことを)。
 ですが案内には「当公園は、宇宙を主題として「太陽系の集い」をテーマに、太陽系9つの惑星広場に、それぞれ特色ある施設を配置しています」(1967年開園)とありますから、以前付近に宇宙に関わる部品工場等があったのではないかと(しつこいね…)。
 メインは交通公園で自転車の貸し出しがあり、スポーツセンター、幼稚園、区民農園等が隣接します。
 近くに元貴乃花部屋があったそうで、ようやく芸能レポーターも姿を消し静けさを取り戻したことと。



 以前、北側の小名木川方面から歩いた際の砂町釣魚場旧大石家住宅(右)の記憶や、にぎやかそうなショッピングセンターはトピレックプラザだったらしいと、南側の南砂町駅との位置関係がつながりました。
 公園に保存される旧大石家住宅(右:江戸時代)は、安政の大地震、大正の大津波、関東大震災、戦災等の被害をまぬがれた建物で、その囲炉裏火で地域の安寧を祈るようにも。
 仙台堀川は江戸時代に作られた運河で、隅田川との合流地点にあった仙台藩の深川蔵屋敷に、水路を経由して仙台から米が送られたことに由来します。
 付近では、大正期に始まり特に戦後の工業化により急速に進んだ地盤沈下が著しいため(地下水、水溶性天然ガス採取が原因)、水害対策として仙台堀川は埋め立てられ公園とされました(1982年)。


南砂町駅 2a出入口

 人物との比較でも地盤から2m近い高さに防水扉があり、初めて見たときはシェルターの入口かとギョッとしました。
 この背後に残る直線的な構造物は、洲崎川(旧海岸線沿いに残された運河で現在は埋め立てられた:1982年)の堤防跡で、当初の駅は運河地下に作られました。埋立地には沈下分を補正した基準高に土が盛られますが、地盤が沈下した陸側では出入口だけがかさ上げされています。
 都心でも古い地下鉄の出入口は、水の流入を防ぐため数段高くなっているが、高低差がこれだけ必要な駅付近に暮らすのはちょっと……
 現在、駅の大規模な改良工事が行われているので、この出入口は廃止されるかも知れません(いい印象にはならない)。


新砂地区(駅海側の埋立地)


 砂町水再生センターは先立って島のように埋め立てられ、残された入江を埋め立てた地に並ぶマンション群、ショッピングモールSUNAMO等は工場に囲まれる格好となるため、もう少し緩衝地帯が欲しかったように。
 付近の水路にある東京湾マリーナを楽しみにしていたが、IHIが運営する会員制施設のため追い返されます。夢の島マリーナが近いことから、以前造船所等で使用した水路をリニューアルしたように。
 上は隣接のセメント工場に整列するミキサー車。他にもセメント工場があるので、砂町運河を大きめの運搬船が航行するようです。




 ここは都内で2番目に古い施設(1930年:昭和5年 運用開始)で、もっとも古いのは三河島水再生センター
 下水処理場には、時間をかけてゴミを沈殿させるプール設置に広大な敷地が必要で(森ヶ崎水再生センターも広い)、沈殿した汚泥はここに送られ(三河島等からも)、東部スラッジプラント(前回の荒川沿いの高い煙突のある施設)で炭化・焼却されます。
 有害物質がほとんど取り除かれていても、それを焼却するのは目立たない場所(?)の川のほとりとされます。川は風の通り道ですから、上流側の自宅方面にも流れてくる可能性があるということに……
 地中からそそり立つ巨大煙突は、下の赤白煙突の根元。


 上は、海側施設の屋上にある新砂運動場(サッカー場、テニスコート、グラウンド等)へのアプローチ道路からの光景。運動場のリンク先に撮影利用料金表があるように、周囲の建造物が映り込まないため撮影に適していそう。
 訪問の目的として、海側に広がる砂町運河(対岸は夢の島)を眺めたかったのですが、周辺には重要な施設があるためか、端まで立ち入れないよう遮断されており運河を見ることはできません。排水口を見せたくないため? 森ヶ崎水再生センター排水口のように海鳥は集まらず(魚がいないということ)、見るものもないということか。


2019.1.14

 会場の総合文化センターにはバス利用が必要ですが、バス停の時刻表には運行遅延の張り紙があります。交通が不便なため、晴れ着女性の送り迎えで道路が混雑することも年中行事らしい。
 会場には足を運んだことがあり、前の広場でゆっくり撮れると思っていたら、そこが出席者たちの溜まり場となっているため入り込めません。懐かしい顔との再会の場には適していても、周辺に散策する場所がないのはちとかわいそう(こちらも残念)。

 駐車場入り口で交通整理をする警官が急に走り出した先には、高い場所が好きらしく自販機の上で酒をがぶ飲みする輩がいます(その前に登っていた振袖姿の女子は、降りるのに難渋していた)。駆けつけた警官(失笑を抑えている雰囲気)が10名以上いるのは、昨年までの「実績?」から人数を決めたように。
 印象のよかった千代田区、港区、浦安市では、警官の姿は見かけなかったが(気づかなかっただけ?)、新宿区では部隊並みの警官が配置されていましたから、警官の数で地域での問題の深刻さが計れるようにも。

2019/01/14

橋は立派になっても──荒川

2018.12.15【東京都】──地下鉄 東西線を歩く_10

 今回から「東西線を歩く」の後編として、西葛西駅から都心方面を歩こうと思います。
 東西線は西葛西駅を出ると中川〜荒川(放水路)を渡り、南砂町駅の手前で地下に潜ります。対岸の江東区は江東ゼロメートル地帯ともされますが、江戸川区も境遇は同じです。


荒川河川敷(江東区側)


 荒川放水路は、関東大水害(1910年:明治43年)で大きな被害を受けた首都の水害対策として、岩淵水門から中川河口までを開削した人工河川(1930年:昭和5年)で、その際上写真付近に旧葛西橋が架けられました。
 当時は江東区南砂、江戸川区西葛西は埋め立て前のため付近が河口で、ハゼ釣りの名所だった時分からの釣具店や桟橋(釣り船や屋形船等が係留される)が健在です。
 木製の旧葛西橋の老朽化により、1963年右の葛西橋(当初は都内最長の橋:727.4m)が建設されます。
 川幅が広いため風の影響をまともに受けますが、近隣の女子高生は制服の下にジャージを履き、力強く自転車をこいで風に向かっていきます。
 黄色の花は菜の花に似ている(葉もシワシワしてる)ように見えたが、まだ季節には早いので別の花かと。


 上の江東変電所は、発電所からの電気を都心(新宿、城南変電所)に中継する施設で、ここから電線を地中に通すためスッキリした外観になっています(都心側には鉄塔や送電線はない)。
 変電所建設当時の江東区側は埋め立てられいたが、江戸川区側は埋め立て前のため海上に送電線が通されます(リンク先の絵は印象的で、この海に町が作られ人が暮らしているのかと、何度見ても感心させられます)。

 この下流側で砂町運河を渡り、夢の島東京ゲートブリッジにつながる道路計画があるらしいが、付近にはまだ気配は感じられません。埋立て地は水路を渡る道路(橋)が限られているので、完成すれば便利になりそうですが、トラックの交通量も増えそうと。

 荒川を挟んだ江東区側と江戸川区側の埋め立て地には、造成年代と目的の違いがハッキリ見て取れます。
 江東区側は、明治〜大正期の埋め立てにより多くの工場が立ち並び、1958年(昭和33年)貨物線が通され越中島貨物駅が開業します。上の砂町水再生センターは1923年(大正12年)完成。
 江戸川区側は1972年から土地区画整理(地盤沈下による水没民有地の区画整理)や都市整備(住宅建設、流通センター建設)など、生活系インフラ整備目的で埋め立てられます。
 その間には川の隔たりだけでなく、人工河川のルートを選定した時代の線引き(東京市内と隣接郡部の境界)が、現在も残っているように感じられます。
 ですが、江戸川区側にある(右写真手前から)首都高速中央環状線(1983年)、葛西水再生センター煙突(1981年)、葛西臨海公園 ダイヤと花の大観覧車(2001年)は、新しい土地に作られた新しい施設として、その立地条件を生かしているように。


 上の清砂大橋(2004年)は、災害時の東京都 一般緊急輸送道路(重要施設)のため、路面が非常に高い場所を通ります(上のように、東西線 荒川中川橋梁(1969年)の上部より高い)。そのため葛西橋以上に風当たりが強く、歩いて渡ると風にあおられ真っ直ぐ歩けないので、緊急時以外には歩いて渡らないことに(高所も苦手だし)。
 ですが、洪水・高潮等の際には、両岸のゼロメートル地帯を結ぶ立派な橋だけが水面上に浮かんでいても、そこまでたどり着けないようにも。失礼に聞こえるかも知れませんが、洪水時の都心側は水浸しと思われるので、西船橋や市川方面の高台を目指して避難すべきと考えています。

2019/01/07

2年目の西葛西

2018.12.29【東京都】

 西葛西での生活も1年4ヶ月となり、生活の中で感じた町の特徴について少し伝えられるのではないかと、雑感を拾いながら歩きました。


ビジネスホテルが成長産業?


 西葛西駅周辺では、大きなキャリーバッグを引きずる外国人観光客をよく見かけますが、朝の混雑する電車に「それ持って乗るんかい?」とおかまいなしに挑むグループも。
 駅周辺には8軒のホテルがあり(ベストウェスタンは2軒)、この1年で3軒が開業する盛況ぶりに驚きます。TOKYO 2020に向け右肩上がりの外国人観光客の受け皿として、都心にも多くのホテルが開業していますが、近頃のトレンドとされる個人旅行客(エコノミークラス)をターゲットとしたビジネスホテルの立地に向いているようです。
 送迎バスが東京駅(50分)、舞浜駅(30分)方面に出ていますし、東西線で大手町駅(東京駅)まで20分ですから、ビジネス客+国内観光客にも利用しやすい場所のように。
 電車を降りれば人混みも無く静かな町なので、印象も悪くないのではと。


専門学校の立地にふさわしい?


 上は専門学校の看板で、これら全部を学校法人滋慶学園が運営しています。分野は多岐に及ぶことから(ウエディング、美容、調理、スポーツメディカル、福祉、アート、放送 等)、総合専門学校の運営を目指しているように。本部は大阪にあり、東京の足場として悪い場所ではないと思うが、学生たちは「都心じゃないのかよ」「ディズニーランドは近いけど何度も行けない…」とか言ってそう。

 また付近にはプロが技術を磨くパン科学会館(一般社団法人 日本パン技術研究所)があります。ここでは、製パン・製菓教育、フードセーフティ(食品安全衛生管理)等の指導が行われ、製パン技術教育コースでは本科100日間という本格的な指導を受けられるそう。ここで修行したパン職人は多いようで、年始挨拶に訪れる人々を何組も見かけました。

 以前は副都心化を目指し企業を誘致したものの、都心回帰の流れで大企業の事務所は移転・廃止とされましたが、教育機関にとっては居心地のいい場所のように映ります。


インド人コミュニティのおかげ?


 インド人システムエンジニア等へのビザ発給が緩和された2000年頃から東京で働く方が飛躍的に増え、特に江戸川区(西葛西)に集中したのは、インド人コミュニティが立ち上げたインターナショナルスクールの評判によるそうです。
 付近に暮らすインド人ファミリーでは英語教育が必須とされ、近隣で刺激を受けた日本人ファミリーから入学希望が増えたため、東葛西にキャンパスを新設したそう。身近なインターナショナル教育に関心を持つ島国人の姿勢は理解できますし、近所のインド料理店で開かれるイベントでは、日本人親子が一緒になって楽しむ様子が見られます。
 付近にはインド系以上に中華系住人が多く、日本語学校があるため東南アジア系の方も見かけるように、近隣国に偏ってはいるがインターナショナルな町と言えそうで、西葛西ならではの新しい文化が生まれそうな気もします。
 田町の方が多様でしたが、こちらは「圧」が違います……


川(がわ)を取れば胸を張れる?


 上は現在改修工事中の江戸川区球場で、昨夏の甲子園大会時分に耳にした若いお母さんたちの、「エドキューで負けちゃったから…」「うちの高校もエドキューが最後だった」の呼び方が可愛らしく響きました。出身の神奈川では、保土ヶ谷、追浜(おっぱま)とそのまま呼んでいたが、いまどきはどんな呼び方をしているのだろうかと。
 また江戸川区には、商店街ヒーロー「商売繁盛 エドレンジャー」がいます。商店街連合会が生み出したヒーローがシャッター軍団と戦うという設定で、リアル過ぎて身につまされる大人たちの方が応援していそうですが、子供たちには人気で近所の催しは大盛況!
 東京近郊で育った者には、江戸に川(がわ)が付くとガクンと下がるイメージがあるため、それを取ればイケると考えたようですが、その時点で認めてしまっているようにも…… 江戸川区のみなさんゴメンナサイ!


2018.12.31

「勝手にシンドバッド」な夢

 今回のNHK紅白歌合戦の最後には、新しい年を迎えるカウントダウンイベント「平成打ち上げライブ」のような盛り上がりがありました。
 サザンオールスターズはデビュー40周年ですから、楽曲にそそのかされた同年代も60代前後の「じぃじ」「ばぁば」となり、紅白のトリは「演歌や嵐じゃないだろう」とくすぶっていたのではないか。
 発売当初の評判は「歌詞が聞き取れず、やかましいだけ」でしたが、若者には盛り上がれる曲として受け入れられ、コンパでは替え歌に声を張り上げていました。
 デビュー当時、音楽番組「ザ・ベストテン」にランニング+短パンで登場した姿を目にした黒柳徹子さんが、「洋服買ってあげましょうか」と心配した連中が時代のトリを務めることを、彼らも夢は見ても実現するとは想像しなかったでしょう。
 われわれがそんなチャンスを手にできないのは、「勝手にシンドバッドな夢」をどこかで見失ったためかと……

 松任谷由実の「物語性のある楽曲」は、ジブリ映画の世界観に置き換えられ広く浸透したように、ニューミュージックとされた音楽が60代前後の「懐メロ」であることを認識させられます。サザン同様、昭和の懐古であっても、パフォーマンスにはこれまでの積み重ねが感じられたように。

 右は、大晦日の鶴岡八幡宮で神職のアルバイトに向かう若者たち。

2018/12/24

もう終わりだねぇ──皇居 乾通り

2018.12.8【東京都】

 前週東京駅で、皇居 乾通り一般公開の出口案内を耳にし、まだ公開されていたら是非にと誘われたのですが……



 右写真左側の行幸通り(皇居前 和田倉門交差点〜東京駅中央口交差点)は普段歩道として解放されますが、天皇の行幸と外国大使の信任状捧呈式馬車列が通行する際には専用道路とされます。皇居へ向かうシンボリックな道は日本の中心にふさわしく、外国大使にも喜んでもらえることと。
 街路樹のイチョウが新緑や紅葉の季節(右はちと遅い)には、馬車の駆け抜ける姿が絵になりそうなので、一度見てみたいと。
 イチョウの木はまだ背丈が低く(整備されて日が浅い?)、両脇に建てられた高層ビルに圧倒されますが、背が高くなったらいいロケーションになりそうです(何年先になるのか?)。



 乾通りは2度目で、ニュース等で混雑の様子を目にするも、午後だと並んでもダラダラ動いた記憶をあてに向かったところ、今回も並ぶのは15分程度で済みました。
 乾通りの紅葉は桜の季節同様、城壁や建造物とのコントラストが売りと思われますが、「もう終わりだねぇ〜」の声が聞こえるような状況で、限られた場所の狭い絵だけに。
 場所柄「平成も、もう終わりだねぇ〜」とも聞こえたように、年が明けるとそんな話題が増えそうです。
 天皇制云々は別として、平成天皇は新しい天皇像構築のために腐心されてきたと感じますし、健康の問題としている退位についての考えも、社会への影響を考慮したものと受け止めます(皇后への配慮も)。

 天皇即位を目前にした皇太子が発言できない時期の、秋篠宮発言(大嘗祭(だいじょうさい:天皇即位の儀式)費用について、「宗教色が強いものについて、それを国費で賄うことが適当かどうか」)の役割分担は見事というか、彼らは平成天皇の姿勢からもう一歩踏み込んだ皇室改革を考えているように感じられます。
 祭り上げようとする国の姿勢(軍国主義時代に通じる)よりも、天皇家による見識の方が現代人の感覚に近しいと感じられることは、おそらく平成天皇・皇后の影響によるものと思われ、今後も内側から皇室が変わる可能性がありそうと。

 下の乾門(出口)から見える北の丸公園のイチョウに誘われ直進します。




 「こっちの方がキレイ!」の声のように、まだ紅葉の見頃な場所が残っています。
 皇居内は植生のバランスが考えられているようですが、北の丸公園は千鳥ヶ淵の桜並木のように見て楽しむことを念頭に木々が配置され、緑の多さだけでなく植生のメリハリによる季節感が楽しめる公園に整備されています。
 この季節に訪れるのは初めてで、来年からは紅葉の名所としてチェックしに来たいと。

 武道館ではK-POPのコンサートがあるようで、関連グッズを買いに来たおばさんが、袋入りの写真を開けてはガッカリを繰り返しています(いくつ買ったのか?)。その空気感から、ガキ時分に駄菓子屋のくじが外れた気分がよみがえりますが、あれは10円じゃないでしょうから、かなりの出費かと……




 転居後は近くなったので何かのついでにと思っていたが、一年が過ぎてしまいました。
 帰りがけに半蔵門線で立ち寄るが、ここも紅葉はもう終わりの様子。品があり落ち着ける庭園で、今回で3・4度目程度の訪問と思うが、いちいち細かな部分まで記憶にあり、気に入っていたことを改めて納得しています(変わってない様子)。

 清澄白河駅前は幹線道の交差点にありますが、集合住宅 清洲寮(昭和8年)も健在など町の空気は変わらないように。帰りに門前仲町まで歩きながら(小津安二郎さん生誕地を通る)、以前は「ゼロメートル地帯はNG」にこだわったが、現在暮らす西葛西(ゼロメートル地帯)も同様の環境ですから、これまで以上に愛着を感じそうと……

 上は、大きなミミズを捕まえても動き回るためか、一気に飲み込めないサギの様子。


追記──平成天皇最後の誕生日会見

 「平成が戦争のない時代として終わろうとしていることに、心から安堵しています。」
 「自らも国民の一人であった皇后が、私の人生の旅に加わり、60年という長い年月、皇室と国民の双方への献身を、真心を持って果たしてきたことを、心から労いたく思います。」

 聞きたかった心情をキチッと語る言葉は、責任の重さとともに国民に響いたことと。
 一般参賀に最多の8万2850人が皇居を訪れたことは、その御礼の気持ちであるように……

2018/12/17

のぞいてみたい願望──上野公園

2018.12.1【東京都】

 今年二度目の訪問(花見以来)となるのは、転居後は新宿・渋谷等 山手線西側方面が圏外となったため、下町圏に引っかかりやすくなったせいかも……




 上は、京成線 旧博物館動物園駅(1933年〜1997年)がアートスペース(「アナウサギを追いかけて」の展示)として21年ぶりに一般公開された様子で、ボードを持ったお姉さんが「本日の入場整理券配布は午前中に終了のため、入場できません」と説明するように、見学はかないません。
 少しくらい見せてやろうとの、おこぼれとして(?)脇の門が開かれています(上の白い物体は右のウサギのお腹)。見てもらうことに意味がある展示会を開くために、見せられるよう整備し直す取り組みは、芸術の森、東京藝術大学の隣接地ゆえ実現したように。
 都の歴史的建造物とされる開かずの門の中を、のぞいてみたい願望を抱く人は多いので、イベント終了後に改めて公開されますことを。



 江戸時代は寛永寺の敷地でしたが、1873年(明治6)芝、浅草、深川、飛鳥山と共に日本で初めて公園に指定されます。関東大震災(大正期)の後には西郷隆盛像がたずねびとの張り紙で覆われ、東京大空襲後には臨時の火葬場があったそう。東京で迷子になった際など、もしもの時の待ち合わせ場所とされる知名度の高いランドマークでした。
 東北方面の玄関口のため駅周辺には途方にくれる人も多く、溜まり場付近にアメ横(闇市)が生まれたように、現在もホームレスには居心地がいい場所のようです。
 以前からホームレスに食事を提供し布教活動する宗教団体を見かけたが、現在は数が増えたそうでこの日も賛美歌(?)が聞こえてきます。日々の練習の成果か、結構聞けるレベルだったりします(右の方は無関係)。

 グズグズせずに次なる目標へ! なんて二の次との考えでお目にかかれる相手ではありません。ご察しの通りパンダのシャンシャンを目指しますが……
 公開当初の熱狂はだいぶ静まったように見えても、もう少し時間が必要らしい。パンダ情報は様々公開されており、ライブ映像や、ニュース映像アーカイブス等を見てしまうと、会いたくなっちゃうのはわたしも同じです。それでもこちらは、到着30分前に整理券配布終了ですから、旧博物館動物園駅よりは手が届きそうな感触を受けます。
 天気のいい日に散歩するには格好の場所柄で、人出が多いと分かっていても誘われてしまう、庶民のランドマーク人気は衰えません。
 右の「時の鐘」は6時、12時、18時につかれます。

 右は、手前の少女が拍子木を打つと、台上の演じ手が踊り始める大道芸で、外国人観光客からは「ブラボー」の声が掛かります。
 子供を使った出し物からは、日本が貧しい時代の、教育より生きることを優先した状況(目にしたことはない)を想起してしまうが、現在は寺山修司が語った時代(口減らし等)とは違います。
 いまどきでは、少女が師匠に弟子入りし、大道芸人の修行をしていると受け止めた方が理解しやすそうな気がします。
 自分で生き方を選択できる時代ですから、外国人のようにありのままを受け止めて、素直に反応すべきでなのだろうと。

 近頃は上野に限らず人が集まる雑踏では、あちこちから中華系(中国+台湾 等)の言葉が聞こえてきます。
 上野界隈で商売をする方々は、観光地・繁華街の認識を持つため異論はないと思うが、はたから見るとどこの観光地も中華系観光客に養われているように感じます。
 今年各地で発生した自然災害等(今年の漢字は「災」)で観光収入が大きく落ち込んだ際に、中華系観光客の減少が取り上げられました。特に中国人観光客をお得意様としているようですが、依存しすぎると別の理由から「死活問題」が発生する恐れがありそうに。
 現在の米・中間の貿易戦争は、体面を気にしないガキのケンカのようで、将来は不安だらけです。
 右は不忍池の枯れたハス。


 NHK大河ドラマ「西郷どん」終了

 当初、西郷役の鈴木亮平に感じた違和感はほどなく薄れ、次第に「太か」人物像と重なり存在感が大きく見えてきたのは、役作りで体型が太くなっただけではないと。
 西郷さんらしさとは、国民のための国づくりを目指し奔走する姿や、武士を束ねて明治新政府に異を唱え反乱を起こすこと以上に、2008年「篤姫」で描かれた、薩摩藩主 島津斉彬から篤姫と共に命を受け敵対する立場となっても、国・人を愛する気持ち(無用な戦いは避けたい)に従い、江戸城無血開城を実現させた決断にこそ表れていると。
 それこそ「太か人物」ならではの英断と思うが、本作では明治維新達成に向けた葛藤を描きたかったらしい。
 
 近頃の大河ドラマで不満だったタイトルバックのCG合成を、全部実写(に見えた)としたことに拍手です(実写の方が格段に迫力がある!)。


追記──ブラタモリ「豊洲」に落胆
 
 「豊洲市場も無事開場したので、早い時期に豊洲をアピールしてもらいましょうよ!」との、小池都知事の声が聞こえるような企画に驚きました。
 豊洲市場に触れないところがブラタモリらしいとは、評判を利用したカモフラージュで、見せられないものを隠すためでは? と勘ぐりたくなります。
 この番組は地面を掘り下げようとする探求姿勢が売りなのに、旧工場地帯の「盛り土」(そのキーワードが墓穴を掘る)の上に市場や住宅が立ち並ぶ「新しい町」との説明(都の宣伝)で、「めでたし…」と終わらせたいとの意図が感じられます。
 将来、市場移転時に騒がれた汚染土壌や、汚染地下水の流出(東大島)のような問題が発生しないことを願いたいが、タモリの「すごいとこですねぇ〜」の締め言葉にも、「本当に大丈夫なの?」が込められていたように……