2013/05/27

水都江戸をたどる──小名木川、仙台堀川

2013.4.28【東京都】──大江戸線から、ちょいと(?)寄り道

 門前仲町〜清澄白河付近の人工水路「小名木川」と「仙台堀川」を歩きたく、連休中に「荒川ロックゲート」からブラブラですが、結構歩きました……


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荒川ロックゲート(Map)

 ロックゲート閘門(こうもん)とされる二つの門を持つ施設で、水位が異なる荒川(奧)と旧中川(手前)の水の高さを調整し船を航行させます。
 手前の海抜ゼロメートル地帯の水害を防ぐ要の施設で、
この日の水位差は陸地側-2.1mとのこと。

 相互航行可能な一方通行で、1サイクル20分程度を目指すため、水の出し入れはかなり速いようです。
 門内はエンジン停止のため、右の小舟はロープにつかまっても流れに翻弄されますが、その後反対側から入ってきたシーカヤックのオール使用はOKらしい。
 独り占めとは言え両側は観覧席のようで、舞台でひとり踊る「さらし者」的な心境かも知れません……


水陸両用バスのスプラッシュポイント(Map)


 一般道でも見かけた奇妙なバスは、都内初とされる水陸両用バス「SKY Duck」で、船首に車両ナンバープレートが見えます(2013年運行開始)。
 現在「東京スカイツリーコース」「亀戸コース」があり、どちらも「旧中川・川の駅」付近の「スプラッシュポイント」から川へダイブします。
 遠い場所でも「ズドーン」の音と、水しぶきの迫力が感じられます(撮れなかった)。
 このまま荒川ロックゲートへ向かうと思ったら、この水路でじゃぶじゃぶするだけらしい(確かにゲート往復だけで40分かかります)。

 足を運ぶ機会の少ない東大島付近ですが、アトラクション的な楽しさがあり、水辺から経験してみたい気持ちが高まります。


小名木川 クローバー橋(Map)


 1590年秀吉の命で駿河から関東に国替えさせられた徳川家康は、江戸城を中心としたインフラ整備に着手します。
 現在千葉県行徳付近の塩田から塩を運ぶ際、当時の東京湾には浅瀬が広がり座礁する船が多いため、小名木四郎兵衛に建設を命じた運河が小名木川の由来となります。
 後に年貢米の運搬路として栄え「スプラッシュポイント」付近に船番所が置かれます。

 上は小名木川と横十間川交差地に架けられるクローバー橋で、船舶用の交差点ミラーが設置されています。
 歩行者・自転車には非常に便利な橋で、同じ道を戻りたくないと考えると、元の場所に戻るには遠回り&迷いそうで、架橋前は不便以前に川向こうを知らなかったのでは?


小名木川 扇橋閘門(Map)

 高度成長期以前は、物輸主力の船舶で水路はにぎわいますが、地盤沈下による1976年荒川側の水門閉鎖から、2005年荒川ロックゲート完成まで水路は閉鎖されます。
 荒川ロックゲートは、海水流入を防ぐ施設ですが、この扇橋閘門(PDF)は、西の隅田川と東の荒川側で最大3mある高低差を調整するための閘門になります。
 ゼロメートル地帯の中にも高低差があり、その間を行き来するために水位調整が必要とは驚きました。考えてみれば、全体が一様に沈下するわけもありません。


旧仙台堀川(Map)


 小名木川の海側に平行する仙台堀川(付近にあった仙台藩邸に由来)も利用されなくなりますが、高潮被害のため1982年埋め立て〜仙台堀川親水公園とされます。
 江東区マップ(PDF)の、水路を埋め立てたと思われる公園施設は、不要のためではなく防災対策のようです。

 公園内「野鳥の島」には、サギの姿が見られます。
 清澄庭園では毎回目にするので、住み着いているのかと思いましたが、水路沿いに多く見かけます。
 人間には分からないも、鳥には「干潟の断片」として暮らせる環境が、数多く残されているのかも知れません。


東京都現代美術館・木場公園(Map)


 東京都現代美術館(上)は新緑とも違和感なく、季節感を取り込む日本家屋がコンセプト? とても好きです。
 
 右は木場公園付近の仙台堀川ですが、このすぐ先から埋め立てられています。
 川の埋立とはいえ、3枚上の旧堤防から見える公園の高さまで埋め立てるのはかなり大変な工事と思われます。

 自分が暮らす地域と変わらないように見えても、地域全体が水面下に置かれる実態を目にし、「危機に囲まれて暮らす」様の一端を理解できたような気がします。
 そこに暮らす人々が、他の地域と変わらない日常を過ごす様子には、政府・自治体の注力を感じます。

 若葉の隣で真っ赤な葉をつける木があります。
 「春もみじ」という園芸品種のようで、さまざまに改良された品種があるらしいと知り、切りがなさそうと調べる手が止まりました……

2013/05/20

過去に学ぶべき震災復興の意識──下谷

2013.5.12【東京都】──大江戸線を歩く スピンオフ企画 「最後の同潤会アパート」


 先日の清澄白河付近で目にした、関東大震災直後に建設された鉄筋コンクリート住宅の文章を書くさなか、テレビで「最後の同潤会アパートが今月末に取り壊される」と知り、急ぎその週末に足を運びました。


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下谷神社(Map)

 上野駅正面玄関口に整備された高架歩道の昭和通りを渡った先で、裏道へ下るエスカレーターに誘われ、そのまま進むうちに祭礼の町に出くわしました。
 下町で最も早い夏祭り「下谷神社大祭」ですが、今年は本社神輿渡御(みこしとぎょ:町内巡行)が行われない「陰祭り」とのこと。
 とはいえ氏子衆が「陰」のわけもなく、神輿の休憩所や車が通る路上の二次会会場(?)では、道路で寝るやからもいる始末。
 周囲の目には危なっかしいも、それが「この日のために働いている」人たちの祭りなのでしょう。

 以前暮らした新丸子(川崎市)でも目にしましたが、参加表明である祭り提灯をつるす習慣には、子どもにも伝わるかわいらしさがあります。

 出店のメニューでは、少し前にトレンドだった牛串焼きの次を狙う(?)「チキンソテー」が目につきます。
 祭りの高揚感でガブッと、男を草食から肉食に豹変させる手助けになったりして?
 でも、鉄板の上で売れ残るとパサパサになりそう……




 上は現在もレトロな雰囲気が漂う、地下鉄銀座線稲荷町駅入口。
 稲荷町の由来は、元は伏見稲荷を勧請した下谷稲荷(現下谷神社)によります。

 関東大震災(1923年:大正12年)を受け、付近の都市計画は大きく揺らぎました。
 そのさなか、日本最初の地下鉄銀座線(浅草〜上野間)開業(1927年:昭和2年)、下谷小学校(1928年:昭和3年)や同潤会アパート(1929年:昭和4年)が竣工します。
 当時、地下鉄の先行開業区間とされた上野〜浅草間は、現在の銀座のような人気スポットだったため、復興のシンボルとすべく注力されたようです。


震災復興施設──同潤会「上野下アパート」(Map)

 ここは、関東大震災の復興事業で建設された同潤会アパートの中で、最後まで残された建物になります。
 当時の震災復興義援金などを元手とし、東京や横浜に16棟が建設されるも多くが戦禍で焼失しただけに、戦禍を乗り越え80年以上利用された姿は、当時託された「希望の大きさ」をしっかと後世に伝えたように見えます……

 テレビで5月末の取り壊しを知り、急ぎ足を運ぶと、同様の動機で集まったと思われる人だかりがあります(タクシーで乗り付けるお年寄りもいる)。






 防火・耐震対策や、再開発が求められることも理解できますが、右写真のように下町の景観になじむ姿は「下町文化遺産」ではないかと思ったりします。
 カメラ位置の道路に、祭り後の氏子衆が横たわる「今日だけは勘弁してくれ!」の醜態を、大目に見ようと「ゆるさ」が芽ばえるのは、文化への理解かも知れません。
 この日は「しょうがねぇなぁ〜」と許すも「明日からしゃんと働けよ!」が、下町気質なのでしょう。
 自分にもそれでいいと思う気持ちがあります……



 下の旧下谷小学校の建設は1928年(昭和3年)で、中央区明石小学校(1926年:大正15年)などと共に、震災復興小学校として建てられました。
 1990年統合による廃校後は、使い道が決まらず廃虚のような姿ですが、現在も校庭は区の駐車場とされ人の出入りもあるので、建物も利用されているようです。
 このような存続を目指す扱いは珍しく、何とか再利用の道が見つかりますよう。


 関東大震災復興の際は、震災4年後に日本最初の地下鉄が開通し、小学校再建に+1年、アパート建設には+2年を要しました。
 時代や環境は違えど、復興の優先順位は変わらないでしょうから、過去の経験から学ぶ姿勢があれば、今回の復興も時間を要する認識と、その間必要となる避難民のケアを予測できたのではないか、という気がしてなりません。

 一方で、いまも古い建造物が残される上野付近には、行政力が及ばない地域があった? 「におい」がします。
 調べてみると、空襲で焼け野原とされた後、現在の東京メトロ車庫付近の旧下谷万年町周辺に、スラム街が広がっていたとあります。
 「におい」の元を探ろうとする気持ちは大切でも、知った途端に気分が沈むこともあります。
 教えてもらえないことは自分で学び、可能な限り正確な理解と発言を心がけねばなりません。
 右は合羽橋(かっぱばし)の顔。

追記──琉球? 程度の反応をされる「琉球民族独立総合研究学会」設立

 この学会は、琉球(沖縄)諸島に民族的ルーツを持つ人々が自治独立を目指し、学際的(分野を越えた)調査研究を進め「現在沖縄で繰り広げられる問題解決には独立しかない」と訴える団体で、わたしにも「やっときた!」の思いがあります。
 米軍の隣人として育った神奈川ですが、基地が減る度に「開放感」がありました。
 沖縄の米軍基地周辺を可能なだけ見て回りましたが、周辺には現在も改善の希望を見いだせない閉そく感が漂っています。
 本土人(やまとんちゅ)でさえ「沖縄をなめ過ぎ」と感じるも、その解決には沖縄人(うちなんちゅ)自身の行動が必要と思っていました。

 中国が沖縄に揺さぶりをかけるタイミングでの発足には、後ろにスポンサーが見え隠れする気もしますが、元もと琉球王国は大陸と大和の間に位置する島々に、外交処世術のバランス感覚によって成立した「非武装」の「知恵の国」でした。
 最大の課題は「経済力」ですが、両国との交渉で好条件を引き出せれば、独立国としての予算が組めるかも知れません(その際、米軍基地も優良収入に計上されるやも?)。
 「琉球は大陸との外交における『緩衝地域』だった」という、教科書には載っていないことを学習した政治家がどれだけいるのでしょう。
 これは沖縄の利益(立場)に立つ意見で、日本の不利益を含むため多くの日本人には受け入れられないことでしょう。それを裏返すと、沖縄の孤立が浮き彫りになります……

 それくらいの揺さぶりをかけないと、日本政府は本気で取り組もうとしないでしょうから、まさに「今でしょう!」の、いいタイミングと思えます。

2013/05/13

戦禍をくぐり抜けた建物たち──清澄白河

2013.4.27【東京都】──大江戸線を歩く_2


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清澄白河(Map)


 清澄通りと清澄庭園に挟まれた細長い土地に、関東大震災復興住宅の「東京市営店舗向住宅:1928年(昭和3年)建設」が現存し、営業中の店舗もあるので、現時点で85年現役ということになります。
 鉄筋コンクリート建築の少ない当時でも、外壁装飾(上写真右下)があることは、模様の意味は不明でも、装飾の意義を心得た人に作られた様子がうかがえます。

 上写真の階段構造は、狭い土地で踊り場を作れないためか?
 以前はこんな階段を見かけた印象もあり、防犯面では有効そうに思えます。


霊巌寺(Map)

 江戸時代霊岸島に名を残した霊巌寺は、大火で焼き出されこの地に移転します。8代将軍徳川吉宗の孫で、老中を務めた松平定信の墓があります。
 幕府の都市防火対策で多くの寺社が移転させられ、現在付近に残る寺町が生まれました。
 隣接する「深川江戸資料館」の一服処で、来館者のおばちゃんが近所の人にスーパーの場所を尋ねると、「この辺は寺町だから何もないけど、(隣駅)森下や門仲の店には歩いていけますよ」という意識で暮らしているようです。

 右は霊巌寺門前にある「深川の出世不動尊:長専院」で、霊岸島からの移転組です。
 出世不動と聞いても「自分には関係ない」と気持ちがなえるのですが、それじゃダメの忠告を思い出しました。
 宝くじの話しで、「買わなきゃ当たらないから買う」に対し、「当てるつもりで買わなきゃ当たらない!」の意見に、その通りと納得させられました。
 運(運命)は自分で切り開かねば! ですが、結局買いそびれました……



 ここは、1933年(昭和8年)に建設された鉄筋コンクリート4階建ての民間アパートです。→外部写真
 霊巌寺本堂裏手に見え、外壁は今風に塗装されるも一目で古さが伝わるため、要チェック物件と誘われます。

 空襲で火の海になったと聞く地域で、上述の市営店舗とこのアパートが焼け残ったのはコンクリート製のおかげと思いがちですが、地域の人は「ここを守りたい」の意識から、バケツリレーで延焼を防いだそうです。

 手のかかる配管補修は、露出配管(室内・外に下水管が通る邪魔な構造:現在の部屋も同じ)のおかげで繰り返し行えたことが、建造物長持ちのポイントとのこと。
 ってことは、1966年に完成した現在暮らす建物もまだまだ使えるということかも知れません……


清澄庭園(Map)


ここは江戸時代の豪商・紀伊國屋文左衛門屋敷(紀伊國屋書店とは無関係)〜武家屋敷だった敷地を、明治期に三菱創業者岩崎弥太郎が買い取り、二代目弥之助が手を入れ庭園を整備しました。

 右は、連休で繰り出したアマチュア(?)モデルとカメラウーマン2人組の撮影風景で、遠慮無く石橋を占領しています。
 図々しさは女の特権(?)と勘違いさせたのは先達に違いありませんが、それをけ散らしていくのもおばちゃんたちと決まっています……



 清澄公園隣接地には、1875年(明治8年)日本で初めてセメント製造に成功した官営の深川セメント製造所(現太平洋セメント)があります。
 当時外来語のセメントを「摂綿篤」と表記したそう。

 付近には思った以上に工場が多く、その様子から過剰な地下水くみ上げによる地盤沈下を想起します。
 取り返しのつかない状況なので、いまさら蒸し返さないにしても、住民の「産業不在は困る」要望に対する謝罪と、「共に生きる覚悟」の表れと受け止めるのは、美談的な解釈に過ぎるか?



 清洲橋は鉄骨構造の吊り橋で、遠くからの「優美さ」と、間近での「力強さ」のギャップに、不器用なオヤジが「ロマンを目指した成果」の印象があります。
 当時には、ワイヤーを利用した曲線を描く技術はなくとも、「曲線らしさ」に挑む武骨な力業が感じられ「お見事!」と、エールを送りたくなります。

 国の重要文化財とされますから、これからも「武骨な美しさ」を楽しませてもらいましょう……


 ここに掲載するつもりだった、最後の同潤会アパート「上野下アパート」は、思いのほか楽しく膨らんじゃったので、次回報告します。


 追記──錦織圭の躍進!

 テニスのムチュア・マドリッド・オープンで、錦織圭(世界ランク16位)が、元世界ランキング1位のロジャー・フェデラー(現在世界ランク2位)を破りました!
 素人目には「あんなヤツらに、どうやって勝つんだ?」と、勝機すら思い描けないくせに、「近いうちにやってくれる」という期待感を抱いていました。
 強化育成プログラムから力をつけ、身の丈にあったスタイルを磨くことで、世界トップと互角に戦う姿を見せてくれます。
 彼はもちろん、後進に開かれた夢にも期待が膨らみます(応援団長の松岡修造もはりきって〜!)

2013/04/29

「路地の魔法」に覚える郷愁──門前仲町

2013.4.14【東京都】──大江戸線を歩く_1

 今回から都営地下鉄「大江戸線」沿線を歩きます。
 以前越中島を歩いた際、付近は門前仲町の生活圏内と知り足を延ばそうとするも、またの機会にゆっくりと考え「ならば次は大江戸線沿いを歩く?」がきっかけです。
 自分も含め、新宿〜汐留間は乗ってもその先は…… という方への案内が目標です。

 本来は最寄りの大門駅からスタートですが、大門汐留築地市場勝どき月島は先日歩いたので、門前仲町駅からスタートします。


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門前仲町(Map)

 門前仲町の街灯上には「纒:まとい」が飾られます。
 派手ではないので、地元の人々が「祭りまであと○○日」と、街灯を見上げて発奮するための存在、という気がしてきます。

 先日歩いた永代橋の対岸に立つと、江戸市中からは隅田川の「川向う」ですが、自分には下町側の意識の方が理解しやすいようで、川向うから都心を見上げる方が「地に足が付く」ような印象を受けます。

 でもこの日を振り返ってみると、町に降り立った瞬間から「路地の魔法」に引き込まれていたようです……

 本日のメインである「名も無き路地」に足を踏み入れた途端、緊張が解き放たれ、またたく間に風景にとけ込むような感覚があります。

 住宅の建て替えはあるも、以前と変わらず間口の狭い土地で窮屈そうに並ぶ家並みに安どするようです。
 人の尺度の基本は「身の丈」ですから、家・敷地・道路のサイズが、両腕を広げた単位で採寸できそうな場所には親近感が持てる、という説明で伝わるだろうか?

 そんな心象は海外の人も同じようで、全国展開らしい「Sakura House:海外の方向けのシェアハウス─バス・トイレ共同」が立地します(右は別の建物)。
 また、「明るいうちは外出禁止!」のオカマが平然と歩く、下町の居心地のよさに甘える連中が群がる「猥雑な町」の印象は、江戸時代と変わりないようです……


 門仲らしい辰巳新道の横丁で想起したのが、映画『異人たちとの夏:1988年大林宣彦監督 山田太一原作』で、脇道から故人がひょっこり顔を出したら「久しぶり!」「飲もう!」の呼吸で、ちょいと一杯行けそうな幻想を抱きます。

 気軽そうな横丁でも個性があり、こちらも「横丁モード」にスイッチを切り替えます。
 最初は周囲の様子をうかがいながら、盛り上がっても飲み過ぎるな、程度のものですが、店・客共に「To be continued…」程度がころ合いなんでしょう……


深川不動堂(Map)


 上は2011年完成の本堂で、外壁に梵字(ぼんじ:不動明王御真言)の装飾があります。
 読めないせいでカッコイイと感じるにしても、金文字以外は文字が重なるため判別できず、カラスの羽が舞うように見えます(それが狙いだったりして?)。

 本堂内の護摩祈祷では、密教系(真言宗:空海)の派手なパフォーマンスで大太鼓が打ち鳴らされ、全身を揺るがす振動で邪気が払われるような心地よさがあります。
 読経もパーカッション付きの「音楽」と考えると、心の支えを求める方にはとても魅力的に響き、心をとらえるのでしょう。


富岡八幡宮(Map)


 富岡八幡宮の祭礼で、江戸三大祭りのひとつともされる深川祭ですが、江戸時代には見物客の重みで永代橋が崩れ落ちたとの記録があります。
 また近年では、日本最大の神輿を作ったものの大きすぎて表に出たのは一度きり(1991年)で、それ以後は展示品とされる大神輿があったりします。
 氏子衆は「粋ってのは、花火みたいに上げりゃ気が済むもんよ」と納得し、「ビジョンの欠如」などとは考えず、「日本一に、何か文句あるか?」なのでしょう……

 この地で思い浮かぶのが、東京大空襲後の焼け跡を訪れた昭和天皇の「これで東京もとうとう焦土になったね」の言葉です。
 その思いは、これからの天皇も心に留めてもらわねばなりません……

 注:ここはフジの花の名所ではありません(近くでは亀戸天神が有名)。


 上は、富岡八幡宮近くにある「弾正橋(だんじょうばし)」で、日本最古の鉄橋として国の重要文化財に指定されます。
 カメラの背後にはマンションが並びますが、八幡宮側(橋の奧)のこだわりがあるような日本家屋に、ホッとしたりします(店舗的な建物か?)。

 以前付近には、京都の三十三間堂を模した建造物があったそうですが、火事の多い江戸では灰に帰した後、再建されることはありませんでした。


 奧で大通りに接する路地で遊ぶ姿。
 広場と違い路地遊びでは近所仲間と遊ぶため、路地仲間とのつながりが強い地域ほど、将来の町内会活動が活性化しそうに思えます(少子化から女の子も実家に残りそう)。
 成長に伴い、この先に出会う仲間たちが世界を広げてくれたとしても、路地で近所の仲間と遊んだ記憶は「社会の原点」として忘れられません。
 「何が楽しい?」の問に「路地遊びが楽しい」の答えでしょうから、次の世代にも伝えたい思いは受け継がれることでしょう。

 さまざまな理由で以前の景色が失われてしまいますが、奇跡的に記憶と符合する景色と再会した際には、「残して欲しいなぁ」と思う年齢となりました……

2013/04/22

国境は越えて知るもの──羽田国際線ターミナル

2013.4.7【東京都】──「ベイエリアウォーク 27」

 この春は、冬と夏の気候のせめぎあいにいたぶられた印象がありますが、もうゴールデンウィークですし「いい加減にしろ!」と言いたくなります。
 これも温暖化による気候の極端化とすると、春と秋が無くなってしまうかも……


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整備場駅周辺(Map)

 テーマは前回に続き「初めての駅に降りる─Part 2」でもいいのですが、この駅では別の理由を見つけました。
 「日曜午後の駅に集う若い女性たちを追う!」ってありでしょ?
 リクルートスーツの女子大生と思われる集団が駅で待ち合わせをしています。
 スチュワーデス関連の採用窓口でもあるのかと……


 以前航空機の整備をしていた後輩の話しから「油臭い」イメージを持っていましたが、表向きは結構整然としている印象を受けました。
 空港拡張工事で格納庫は新整備場に移転するも、この駅の利用者数推移(ほとんど勤務者)からは、変わらず業務が行われるように見えます。

 上は気象用ドップラー・レーダー(ドップラー効果の測定から、空港付近のダウンバースト(下降噴流)を監視)。
 レーダー撮影で女性集団から離されるも(下)、ストーカーとされない距離感で……
 場所柄とミスマッチの女性は、隣の天空橋駅からも歩いてきます。


 彼女たちが向かうのは「パンダ・フライト・アカデミー」という、2011年設立の全日空系乗員訓練専門会社で、LCC(ローコストキャリア:格安航空会社)のパイロット訓練を行う施設(第一号としてピーチアビエーションの訓練が行われた)。
 メジャー2社のように自前の訓練施設を持てないLCC向けですが、海外にも売り込んでいるらしい。

 肝心のCA(キャビンアテンダント:客室乗務員)に関する記述はないので、パンダ…社への就活かも知れません(CA養成施設は以前から他に数多くあります)。
 やはりスチュワーデスは、入社後にいじりながら育てるんですよね「教官?」。


羽田国際線旅客ターミナル(Map)


 構内で目にとまったのが、カウンターの構造です。
 国際線では、さまざまな国の人と接し時間を要するため(荷物も多い)、成田方式の「島」構造で窓口を増やし、チェックイン業務をさばく対応策のようです。 
 でもそのためには、床に穴を開け立体的コンベアーを設置したり、増えた窓口の人員配置などを考えると運用費はけた違いとなるため、国内線では見られないのでしょう。

 利用機会の多い国内ローカル線では、出発ギリギリまで乗客を待たせ「まだぁ〜?」とじらせた後に、搭乗案内で「急いでください!」と詰め込むことで、少ない人員でさばく効率化を図っていました。

 ガキの時分、鉄道や飛行機を熱い視線で見つめるのは男子と決まっていましたが、いまどきは運転手やスチュワーデスを夢見る女子もフェンスにかじり付くようです。
 お父さんも「娘がスチュワーデスに?」なんて想像するとだらしない表情になりそうですが、応援はしっかりしてくれるでしょう!

 国際線ターミナル訪問は約20年ぶりで年齢とともに海外や国際空港に対する意識も変わったと気づかされます。
 20〜30代には「出・入国審査をパスすれば自由!」の勢いがあり、実態は見えなくも「国境は越えていく存在」でした。
 それが国外に出なくなった途端「入管、変なの入れるなよ!」と、関所の役割を期待する守りの姿勢になります。
 でも海外経験があれば、訪問先での厚意に対する感謝を忘れず、いつかお返しをと考えることでしょう(迷惑をかけた記憶ばかり……)。
 そんな草の根外交から芽ばえる「お互いさま」交流に、国際平和を期待するビジョンは失うべきではありません。
 これまで以上に、海外とのかかわりを強いられる現代の若い世代には、国境を越えた先に「何を描けるか?」が求められるのかも知れません……


新整備場駅周辺(Map)


 上は東京モノレール新整備場駅で、一般人も乗降可能で飛行機を間近に見学できます。
 空港内にある安全地帯のようで、目線の高さで撮りたい願望をかなえてくれます。
 わたしは航空機フェチでなく、乗ってどこかへ行きたい方なので「遠出はごぶさたでしょ?」と誘われたような気がして、気持ちがモヤモヤしてきます……

 3年ぶりのJAL入社式で新入社員が紙飛行機を投げていましたが、まずは希望を持てる「つばさ」として復活してもらいましょう。
 経営破綻に手を差し伸べたのは政治家ではなく、国民であることを踏まえた「サービス」に期待したいところです(敵対心はありませんが、わたしはANA派です)。


 東京ゲートブリッジから羽田空港までを、半年間かけて歩いた「ベイエリアウォーク」は今回で終了です。
 埋立地・再開発地には新しい施設がある一方で殺風景な場所もありますが、どこも「空が広い」の実感からリフレッシュできるので、足を運んでみてはいかがでしょうか……


追記──防犯カメラの威力と、それを無視する犯罪に対する無力さ

 アメリカのボストンマラソン爆弾事件の卑劣さには言葉を失いましたが、容疑者特定の早さは防犯カメラの威力によるのでしょう。
 近ごろ日本で起きた事件では、「繁華街や交通機関にある防犯カメラを避けた」と語るように、抑止力にはならずとも心理的に追い詰める効果があったと言えます。
 しかしボストンマラソン爆弾犯は、防犯カメラの存在を無視して犯行に及んだように見えました。犯罪行動が目的とされては防ぎようがありません。
 日本では早期逮捕は「防犯カメラのおかげ」と感じるも、アメリカでは「カメラでは犯罪を防げないから、銃は必要なんだ!」となると、銃携行の生活になってしまいます。
 ですが、銃弾を数百発と爆弾を所持する相手には太刀打ちできません……

2013/04/15

都市生活を下支えする──昭和島、京浜島

2013.3.16【東京都】──「ベイエリアウォーク 26」


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昭和島(Map)

 東京モノレール誕生は1964年東京オリンピックの年で、以来バスやタクシーをのぞく羽田空港へのアクセスを独占しました。
 空港拡張工事により、1993年ビッグバード(現在の国内線旅客ターミナル)がオープンすると、1998年に京浜急行線が乗り入れてきます。
 市場独占企業は競争に弱いとの通説通り(?)、2002年JR東日本傘下とされます。
 その成果なのでしょう、2007年昭和島駅に追い越し可能な待避線が完成し(乗り換え可能な施設でも通過していく)「快速」の運行でスピードという武器を手にします。
 ライバル京急もスピードを意識するあまり、「蒲田飛ばし:京急蒲田駅通過」のダイヤ改正では、地元大田区にこっぴどくたたかれました(現在停車本数は増加中)。


 現在羽田空港の利用者は空港 or 区間快速に乗るため(各停は3本に1本と少ない)、通過駅に目は向かないかも知れませんが、各駅停車だけの時代には「車両基地のある駅」程度の認識を持っていました。
 駅に隣接する引き込み線で目にした軌道分岐の記憶には、見慣れない遊園地の乗り物のような新鮮さがありました。
 一般鉄道のポイントに赤信号で進入すると、進路をふさいだ線路に「乗り上げ」ますが、ここでは「落ちる底」が迫るだけに、ストッパーの有無にかかわらず事故率は低そうに思えます。
 ヘビのような切り替え動作から(リンク動画で通過待ちと乗務員交代の様子が分かる)竹製のへびおもちゃの動きを想起するも、これって通じるだろうか?


 これまでスピードが速いと感じるのは、見下ろす景色とゴムタイヤの振動のせいと思っていましたが、最高時速100kmと聞き驚きました。
 どこでも目いっぱい走ろうとする京急線の同区間最高時速は110kmとされるので、モノレールの速さは本物のようです(踏切が無いので、運転手の脇見が多い気がします)。

 駅を認識しても、旅行に向かうウキウキ気分の目には「この駅に降りることはないだろう」と映った昭和島周辺を歩きました。が……


 駅では盛り上がったものの、この埋立島には羽田鉄工団地(中小鉄工所の集まり)と下水処理場しかなく、どちらも中をのぞけません。

 森ヶ崎水再生センターは日本最大規模とされ、大田・品川・目黒・世田谷・渋谷・杉並区など、23区面積の約4分の1に当たる地域の下水を処理しています。
 上は処理水の放流口に海鳥が群がる様子で、魚のエサが発生する→魚が集まる→鳥が群がるの連鎖と考えると、処理施設の放流水に理由があるのでしょう。
 放流水の温度が高ければ、プランクトンが局地的に繁殖する状況は説明できますが、妙な物質は流れ出ていませんよね?
 処理で生じたスラッジ(汚泥)は、城南島の南部スラッジプラントへ運ばれると知り、ここも放射線の影響があったと想像されます。


京浜島(Map)

 羽田空港の新・旧管制塔が重なる絵はここでしか撮れないと思ったものの、これでは輪郭が分からないと反省。
 手前の旧管制塔は1993年ビッグバードと同時に稼働しますが、2001年再拡張計画(D滑走路建設)において、滑走路全域を見渡す新管制塔が必要とされました。
 2010年新管制塔に業務が移され、実稼働17年程度で「遺産」となります(現在のバックアップ機能も大切です)。
 空港庁舎と一体化した旧施設には「練られたデザイン性」を感じますが、新管制塔には「高さだけが要件」の印象があります。
 116mの高さは世界で3番目、国内では最高層。


 京浜島北部には、大田清掃工場、不燃ごみ処理センターなどの施設があるため、周辺には産業廃棄物処理業者が並びます(上はクレーン車の駐車場)。
 人けや騒音は無いも工場は稼働しているようで、搬入待ちトラック運転手のうんざりした様子から、待ち時間の長さがうかがえます。

 羽田空港に近い場所柄、送迎付きの駐車場は人気があるようで、3〜4階建て立体駐車場への出入りをポチポチ見かけます。

 ここは工場島なのに2名の住民登録があるらしいが、郵便局だけでコンビニも無さそうな島は、生活の場という環境には思えません(登録だけか?)。


 前回城南島から撮った羽田空港進入灯の別アングルで、撮るモノが無く困った写真。
 ここには飛行機見学用のテラスもありますが、この日は風の影響かこちら側から離陸するため、はるか手前で空に上がってしまい迫力が感じられません。
 それでもパラパラと人出があるので、隠れた名所のようです。
 島内は立ち入り禁止の場所が多いのですが、海から臨めればいい絵が撮れそうな「レジャーボート造船所」などがあったりします。


追記──アウンサンスーチーさんの輝き

 先日訪日した彼女の姿に「うわっ、キレイな人:アジアンビューティ」と改めて驚きました。苦労されてきた方ですから、その輝きは内面から放たれるのでしょう(吉永小百合さんと同年代)。
 国際社会から民主化の進展が認められるようになったミャンマーですが、まだ山積する課題を平和的に改善しようとする彼女の視線は、軍政に後戻り不可能な「民主化の成果を示すこと」を見据えています。
 民衆の期待が彼女を奮い立たせ、その力を自分の活力に取り込むことから輝きが生まれるのでしょう。
 ミャンマーという国に関心が持てるようになったのも彼女の力によりますし、市街地に並ぶ金色に輝く寺院を、一度目にしたいと感じさせられます……

2013/04/08

進入灯を目にした安堵感と緊張感──城南島

2013.3.16【東京都】──「ベイエリアウォーク 25」


より大きな地図で ベイエリアウォーク を表示
地図下側は羽田空港



都立東京港野鳥公園(Map)


 野鳥カレンダーではアンダーらしいも(鳥の数は少ないように見える)暖かさのためか、バズーカ砲のような望遠レンズを構えるマニアが繰り出しています。
 生態観察に魅了されると、ベストショットを求めて装備が巨大化するようで、趣味とはいえどれくらい投資しているのか聞いて、あきれてみたい気がします……

 先代の一眼レフカメラを売った際、本体はわずか数千円でも、レンズはそれなりの値段で買ってくれましたから、元は高くても遊んだ分を差し引いた程度で買ってくれれば、納得できるのかも知れません。


 わたしのカメラではこれが限界です。
 レンズは無くとも楽しめる鳥のさえずりに耳を傾けますが、四方からトラックの騒音が押し寄せてきます。
 人間の耳では無理ですが、騒音から「敵の音」を聞き分ける能力があるので、こんな地でも羽を休められるのでしょう。
 中原街道に面した前の住まいの就寝時に、オートバイのエンジン音がギアチェンジで変わる様子を耳で追ってしまうわたしでは、とても休まりません……


 武器庫のようなこの施設は、トレーラーのシャーシパーキングです(コンテナを乗せる台車で、それぞれ右奧に後輪がある)。
 港湾施設周辺には広大な「シャーシプール:駐車場」が確保されますが、利用料金30分100円などとされると、大口利用者は空間利用を考えるのも当然でしょう。
 港に週末は無いようで、土曜日でも頻繁に出し入れが行われています。


城南島(Map)


 上は中防(中央防波堤埋立処分場)へと続く「臨海トンネル」の入口。
 羽田付近〜新木場の抜け道としてトラックは多いも、首都高ではないため都心を抜ける車は首都高湾岸線を利用するようですが、将来は高速道路を建設するのだろうか?
 でも下写真のゲートブリッジにはそのビジョンが感じられないため、新設するのはかなり大変そうに思えます。

 ベイエリア散歩スタートの新木場側から羽田側まで、半年以上も道草しました……


 東京港内で大型貨物船を砂浜越しに見られる場所は、珍しいのではあるまいか(右写真の対岸は中防)。
 映像で見たスエズ運河(エジプトにあり地中海と紅海を結ぶ)のようで、砂や泥の海底でもしゅんせつすれば目の前を大型貨物船が航行できるのかと、当然とは言え新鮮な印象がありました。

 臨海トンネル入口左側の城南島海浜公園に接する地に、南部スラッジプラント(下水汚泥を焼却・減量化する施設)があります。
 ご想像の通り原発事故後、付近で高い放射線が測定されるも、通常通り中防へと運ばれたのでしょう。
 各地焼却場の放射線騒ぎから、中防でブルーシートに覆われますが、もう「埋立ちゃいました」なのだろうか?
 将来への負の遺産とならねばいいのですが……
 

 飛行機内で目的地空港の進入灯を目にすると「着いた〜」の安堵感はありますが、その先に最も緊張する瞬間が待っています。
 趣旨は分かるも機内アナウンスの「最終着陸態勢:final approach」の響きから、「最期」を想起する人は多いのではあるまいか?
 いくら空の旅に慣れても、1982年「日航羽田沖墜落事故:逆噴射の衝撃」の数日後に搭乗し、客室の不安が破裂しそうなほど膨張する中(全員が落ちたら…と考えていた)、無事の着陸で機内から拍手がわき起こったことを、忘れることはありません……


追記──朝ドラ「あまちゃん」スタート!

 「吉本の番組?」のように軽快なテーマソングのおかげで、目覚めがよくなりました。
 序盤なのでまだ主人公(アキ役:能年(のうねん)玲奈)は輝けないも、「実体験?」の説得力がある母親役キョン2の貫録に注目!
 「若き新人よ、伝説のアイドルから盗めるモノがあったら、何でも持ってけっ〜!」のような、スカッとする演技が見事です。
 別のトーク番組でも、言葉に自信が感じられ「いい女になったなぁ〜」と……
 唯一の不安材料は、これまで宮藤官九郎(クドカン)脚本のストーリー展開の速さに着いていけなかった(納得できない)印象か?
 序盤なのでまだギスギスするも、画面には明るい空気感があるので「じぇじぇ!:驚きの表現」っと楽しめそうです(じぇじぇ!って、はやりそう)。