2015/06/15

品格を失った資産家の町──目白

2015.6.7【東京都】──「神田川を歩く_22」

 今回は、これまで脇を歩くも素通りしてきた、目白を語るには欠かせない場所を巡ります。これまでは、見るべきと感じない場所と言ったら失礼か?




目白聖公会


 日本聖公会に属するキリスト教会で、立教大学聖路加国際病院と同じ教派。
 クリスマスに目白駅前で「キャロリング(クリスマスキャロルを歌う)」を行なう姿をニュース映像で目にした記憶があります。
 調べれば教会外での「キャロリング」はめずらしくなく、近所でも接する機会はありそうなのに、年末でバタバタする仕事のせいにするのは、クリスマスに関心が無いってことですよね……(上は聖堂にあるステンドグラス「聖家族」)


目白不動尊〜目白地域の変遷について

 江戸時代、現在の江戸川橋〜椿山荘間にあった新長谷寺(しんちょうこくじ)の不動明王像が、江戸五色不動のひとつ目白不動と名付けられ、一帯は目白と呼ばれるようになります。
 空襲の被害から廃寺とされたため、現在学習院下付近の金乗院内に祭られます。
 右は金乗院の片隅にある目白不動尊(奥)。

 東京の五色不動(白・黒・赤・青・黄)で現在もメジャーな目黒不動尊は、立地に恵まれたようです。


近衛町(このえまち)

 江戸時代に大名別邸や旗本屋敷が並んだ一帯は、明治維新後に国の所有とされ、山縣有朋が西南戦争の褒美で購入した土地が「椿山荘」のルーツなど、華族や資産家等に売り払われます。
 1900年(明治33年)学習院院長(1895〜1904年在職)の近江篤麿(このえあつまろ)が、周辺の広大な土地を購入しますが、子の近衛文麿(ふみまろ:第34・38・39代内閣総理大臣)の代に、父の借金のため売却されます。
 当時は「近衛町」とされ、往時は「馬車ロータリー」だったケヤキ等に面影が残ります(右)。
 カメラ背後にある交番(警官不在)は、屋敷門前警備の名残りとも。

 上の正面突き当たりにある日立目白クラブ(右)は、1928年(昭和3年)学習院旧制高等科の男子寄宿舎「昭和寮」として建設され、平成天皇も滞在経験があるらしい。
 現在、日立製作所の福利厚生施設で、社員の結婚式等に利用されるそう。以前は、山手線から煙突部分が見えたような気がします。
 所有者は変わっても、利用しながら維持管理する姿勢の大切さを感じます(利用する社員もうれしいのでは?)。



学習院大学


 上は学習院大学構内にある旧皇族学生寮で、玄関に馬車用の車寄せがあります。
 近衛篤麿院長指揮の下、1908年(明治41年)皇族・華族学校である学習院(ルーツは京都御所内にあった朝廷の教育機関)は現在地に移転します。
 近衛家の土地購入との関連は不明ながらも、近衛家(元公家の筆頭)の威光が発揮できる地域だったようです。


 戦後(1949年) 新制大学「学習院大学」となっても皇族が通う慣習は続いたが、以前の「資産家≒社会的責務」の精神は失われ、単なる金持ちの「資産家ヅラ」による品格の低下や、愛子ちゃんのいじめ問題、佳子ちゃん(カワイイ!)中退〜別大学入学等で、皇室の学習院離れが進んでいるように感じます。 

 上は図書館として建造された建物で、現在は大学史料館。
 また、神田川に浸食された低地には、忠臣蔵の堀部安兵衛が高田馬場の決闘後に刀を洗ったとされる「血洗いの池」があります。言い伝えでも、その名称が残るとはスゴイ!


徳川ビレッジ

 現在「徳川ビレッジ」とされる地域は、尾張徳川家の侯爵 徳川義親(よしちか)が1930年(昭和5年)に土地を購入し、本邸を建築した場所になります。
 ここは「エリート外国人専用の高級賃貸住宅街」らしく、外国の言われるままに条約を締結し崩壊した徳川幕府の仕返しなのか、家賃は月100万円以上とも。
 管理会社八雲産業ホームページにはうさん臭さが漂い、徳川家の閉鎖性は変わらない? とも。

 右は隣接する徳川黎明会の門で、尾張徳川家所蔵美術品などの管理・一般公開を手がけるらしい。


 氾濫を繰り返した神田川(左)と妙正寺川(右)の合流地を、下落合駅付近から高田橋・高戸橋(都電が神田川を渡る)付近に付け替える分水路が設置されますが、単独での成果は見られず、結局は上流調整池での制御が必要だったらしい。
 浸食作用で深い谷底となった川沿いには、地中にしみ込めない雨水が集中するため、常時洪水対策に追われる流域となっています。

 今回はルート順ではなく、目白の歴史に登場した年代順の並びとしました。


追記──「サッカー女子W杯」開幕&「W杯アジア2次予選」スタート

 女子サッカー界の「レジェンド」とされる澤 穂希選手は、今回の活躍を心に期すも、おそらくピッチ上に限らず「なでしこが大会を戦い抜く戦力になりたい」との、心づもりなのではないか? そんな「なでしこ」を応援しましょう!
 彼女たちの活躍に刺激を受け、野郎どもも発奮せねば!


報告──近頃、動画編集に明け暮れています

 昨年、乗馬関連の雑誌は休刊となりましたが、ネットで続けられないかと、素人カメラマン(営業担当者)が撮ってくるビデオを編集しています。
 下手なカメラワークはフォローできませんが、楽しさが伝わればというところです。

 「三浦海岸を馬で駈けられるんです!」の紹介ビデオ(下)


 などを紹介するホームページ作成をしています。

2015/06/08

のれんの花咲く川辺──中井〜目白

2015.5.23【東京都】──「神田川を歩く_21」

 今回は、江古田(えごた)川との合流地点下流の妙正寺川を歩きます。



妙正寺川第二調整池


 江古田川との合流地点すぐ下流に、以前歩いた妙正寺川第一、第二調整池があります(哲学堂公園の対岸)。
 住宅街を流れる川の合流地点では豪雨時に雨水が集中するため、氾濫に備える調整池が運動場や公団住宅の階下にまで設けられます。
 前回は「限られた土地の有効活用」と感じたが、今回川沿いを歩き各地区の洪水被害に接してみると、これじゃ足りないのでは? とも。
 当初、都の計画「30mm/h:1時間あたり30ミリの降雨」対応中に、50mm/hを求める声が高まるも、2005年には112mm/hの集中豪雨に襲われました。
 当面の課題対処で精一杯の現状では余裕を持つことは難しいため、流域住民に備えが求められるのは仕方ないのか?


林芙美子記念館


 林芙美子と言えば『放浪記』=森光子さんのでんぐり返しですが、ニュース等で拝見するにとどまります。
 映画『浮雲』(1955年 成瀬巳喜男監督)では、高峰秀子さんの「誰かおやりになれるんでしたら、やってごらんなさい」という演技にブッ飛び、小説にも女性の「生命力」が注ぎ込まれた文章に圧倒され、現在も手放せず本棚に並びます。
 ちょうど蔵の中で朗読会が開かれていたが、執筆された家で感情を込めて語られたら立ち上がれなくなりそうと、腰が引けました……


染めの街(西武新宿線 中井駅周辺)


 神田川・妙正寺川流域には江戸時代からの染色技術が伝えられ、昭和30年代まで京都・金沢に並ぶ染色関連業の三大産地とされました。中井駅付近の妙正寺川沿いでは、いまも技術を受け継ぐ職人・作家たちが活動を続けています。
 その地場産業を盛り立て、 落合・中井を「染めの街」として発信する「染の小道プロジェクト(PDF 見事です)」が2011年に立ち上がります。
 反物が妙正寺川を飾り、商店街店舗の軒先に「のれん」の花が咲く姿を想像すると、一度足を運ばなきゃ、と思いはじめています……



 アトリエ跡が復元され、2013年にオープンした施設。
 記憶に無い名前ですが、新宿中村屋主人の相馬愛蔵に気に入られ、現在も中村屋サロンに作品が残されます。
 当時の画家は夭折(ようせつ:早死に)が多く(享年37歳)、彼の絵にもエキセントリックな印象を受けたのは、欧米化を目指す時代の重圧まで、芸術家は内面に抱え込んでいたからでは、とも。

 佐伯祐三のアトリエ同様、明かり取りのある部屋に暮らしたら、「何かやりたい!」と思えるかも?



目白の土地開発について

 現在の中落合付近は、箱根土地(株)(現(株)コクド:創業者の堤康次郎は、西武流通グループ代表 堤清二、西武鉄道会長の堤義明の父)により「目白文化村」として開発されます。
 当時「東急 vs 西武戦争」とされ、東急の五島慶太が手がけた田園調布開発とほぼ同時期だった事からも、ライバル関係だった様子がうかがえます。
 両者の開発を後押ししたのが関東大震災で、地盤が安定した高台では震災被害が軽微だったことが、東京の「ヒルズ信奉」の始まりとなったようです。

 「目白の森」(上)は、開発から取り残された森のマンション建設計画を、地域住民の緑地保存運動が中止に追い込み、公園とされます。
 右の「目白庭園」は、1990年公立学校共済組合住宅跡に整備された庭園で、どちらも豊島区の施設。

 調べるうちに触れるべき場所を見つけたので、再度目白を歩いてきます。


追記──「戦争法案」に憲法専門家が「違憲認識」表明

 パンピー(一般ピープル)にも分かることを、憲法専門家3人に説明してもらっても理解できない内閣の連中には、理解しようとしない「意思」があるようです。
 振り返れば、世論の意思に「YES!」と従い、戦争に向かったことがあります。
 現在は「大丈夫」「戦争はしない!」とする気持ちが大勢を占めると思うも、果たして自身で判断できる国民がどれだけいるのか? 一度意識調査的な国民投票の結果を見てみたい気もします。
 そう思うのは、国際情勢の変化を感じているからだと思います……

2015/06/01

鎮守の森と文化財の価値──練馬〜江古田

2015.5.16【東京都】──「神田川を歩く_20」

 今回は、神田川支流の妙正寺川支流である江古田(えごた)川水源付近を歩きます。



学田(がくでん)公園付近

 西武池袋線練馬駅周辺のデザインコンセプト「三角」&「とんがり屋根」は、「樹木」がモチーフとすぐ分かるほど、緑の多さがいい感じの練馬です。
 やはり外部者の目にも杉並と練馬の違いは一目瞭然などと、ナンバープレートの件を蒸し返しては怒られそう……


 江古田川水源とされる「学田公園:現在野球場+公園」付近に痕跡は残りません。
 隣接する畑(上)左には、練馬区の「7館構想:人口10万人当たり1館の区民体育館整備」のひとつ「中村南スポーツ交流センター」が建てられるなど、周辺のスポーツ施設不足解消のために埋め立てられたようです。
 江戸時代、千川上水(石神井川と神田川水系の間に通された玉川上水の分水)から引かれた水路跡の立派な並木に、名残りが感じられます。

 明治時代、南蔵院(後述)を間借りし小学校を開校させるが、当時の学校経費は村負担で運営が苦しいため、付近の官有沼地を開墾し収穫を学校経費にあてたことから、「田んぼは学田(まなびた→がくでん)」と呼ばれるように。
 湧水の畔に寺院が建てられる場所柄は、他の支流水源池と同じだったようです。




 この寺には歴史を感じさせる建造物が多く、江戸時代中期の建築とされる鐘楼門(上:階上中央に鐘がある)には、枯れてなお力強さが感じられます。
 寺に古くから伝わる「白龍丸:万病の良薬」が、世間から「南蔵院の投込み:まがい物」とされ販売差し止めとなるまで、南蔵院の財政を支えました。
 これは想像ですが、その反省から枯淡の道を歩む寺を地元民が支え現在に至るのでは、と考えると、そんな姿こそ寺本来のあり様と思えてきます……



 寺の要望通り(?)「川の流れのように〜♪」のようなオブジェ(?)を撮りました。説明は無いので曲のタイトルを「そのこころ」としていいのでは?(部分的な苔が全面を覆ったら、いい絵になりそう)
 寺の問いかけに対する答えは千差万別が当然で、言葉を交わさないやり取り(自問自答)を楽しみました(ここは禅寺でなく真言宗)。
 庭は広くないが、様々な植物が密集する様子から世話の手間がうかがえ、来訪者へのもてなしと受け止め楽しめましたし、いい出会いだったと門を後にします。


徳殿公園


 また渦巻き(?)の上は、仰向けで回転を続ける虫の波紋。
 立ち去る際、暗かったので「ちゃんと撮れたかなぁ?」が心配で、彼を助ける気持ちがみじんも無かったと反省します。
 ですが以前、手助けしたつもりのカナブンが何度もひっくり返る姿に、「余計なお世話!」と感じたことがあるので、「虫の波紋には意味がある」との解釈はありか?

 大名屋敷跡のような名称ですが、年貢を免れて得をした田んぼ(川沿いの湿地帯だったから?)で徳田→徳殿とは、自分も含めガッカリでゴメンナサイ……



 隣接する旧国立療養所中野病院(主に結核患者の養生所)跡地には、現在「江古田の森」公園施設(後述)+福祉保健施設の老人ホーム等が整備されます。
 旧療養所時代、退院を強いられた患者を受け入れるため、隣接地での「ベタニアの家」建設が、徳田教会(社会福祉法人慈生会)の始まりになります。
 現在は隣接地の病院運営から手を引き、介護等の支援に注力するそうです。
 内部事情はあるかも知れないが、身近な手助けの要請を重要視した判断は、教会らしい立ち位置と感じます。


江古田 氷川神社


 上の絵馬奉納所に漂う「森を敬う」空気感は、古来の「八百万の神」から続く精神として、肌で感じられます。
 背後に旧国立療養所中野病院建設前は、樹木がこんもりとした丘陵地で「鎮守の森」にふさわしい環境だったようですが、現在この裏は造成され「はげ山」とされます。
 その森に育まれたであろう江古田獅子舞(YouTube)(鎌倉時代から続く)を、中野区指定無形民俗文化財に指定しながら「鎮守の森」を「公園の森」と同様に境界線で区切る行政の姿勢は、地域文化を衰退させる危険性をはらんでいるように思えます。


江古田の森公園


 この森には、日差しを避けたい木陰、立派な大木、うっそうとした雑木林、広々とした芝生、花を楽しめる樹木など、テレビや映画で目にする療養所の庭の雰囲気があります。
 Plus(いまどきのアピール表現)防災公園として、「かまどベンチ」「耐震性貯水槽」「災害用トイレ」「調整池」等々が設置される、震災時に頼りになる森でもあります。
 ネパールの大地震で、屋内に戻れない人々が広場に集まったが、災害時に「あの公園に行けば何とかなる」と思えるだけで、どれだけ安心感があることか……


 追記──口永良部島、火山噴火時の避難に学ぶ事

 現在は、リアルタイム映像を見られる監視カメラが増えたおかげで、噴火時の様子を目にすることができ、その迫力に声を上げてしまいました。
 2014年8月の噴火経験を元にした準備により、迅速に全島民無事避難(けが数人)ができた行動を手本とすべきと感じました。
 噴火時には「番屋ヶ峰(避難所)へ」と小学生も認識し、町営フェリーは100人乗りだが緊急時には全島民+来訪者含め150人の乗船を認める許可を取っていた、などの事前準備が功を奏したが、離れた集落との連絡手段が無かったなどの課題も浮かび上がります。
 大小にかかわらず島はどこも「日本の縮図」ですから、今回の事例を教材に広域災害に備えるべきと感じました。
 学生時代にアルバイトで訪問したことがあり(記憶は薄れたが)、応援しています!

2015/05/25

水場は暮らしの中心──新井薬師

2015.5.10【東京都】──「神田川を歩く_19」



野方付近

 野方で思い浮かぶのは「野方ホープ軒:環七沿いのラーメン屋」だけなので、この機会にと足を運びます。
 麺の湯切りに全員で「よいしょ!」のかけ声や応対も好印象で、抵抗無く食べられましたが、そんなに背脂チャッチャしなくていいですよ、そこはよけますから……

 右は付近の変電施設で、送電線が一旦地中に消え、変圧後に別の鉄塔から送電線が伸びていきます。
 「西武沼袋線」とされる分岐線は、線路上に設置された高い鉄塔を利用するもの(京王線でも目にする)。
 電気・鉄道間の協力によるコストダウンは内々だけで、庶民までは回ってこないようです。


平和の森公園(中野区)


 ここは、以前の中野刑務所(旧豊多摩刑務所:1910〜83年)跡地に、地下の下水処理場とセットで整備された防災公園(現在の豊玉の名称の方が古いらしい)。
 刑務所には、大杉栄(思想家)、小林多喜二(『蟹工船』)、三木清(『人生論ノート』)、中野重治(小説家)、埴谷雄高(『死霊』) 等の、社会主義支持の大御所が収監されました。
 高校時代、三木清『人生論ノート』(初めての哲学的な書として印象に残る)の感想文を書かせた共産党かぶれ精神は現在も健在らしいが、生徒は「別に〜」と受け流します。
 思想を広めるため教職員を取り込むとは、まさに革命を目指した恐ろしいたくらみですが、信仰や思想に無頓着な島国民族には響かないようです……


 上の中野区少年野球大会閉会式は、待てどもなかなか始まりません。
 野球大会の閉会式は甲子園のように、決勝戦出場チームだけでは? と思ったが、閉会式の参加人数が少ないと注意を受けたチームがあったとの記憶も……
 ダラダラした運営にしびれを切らし、ガキどもの姿勢が整ったところで撤収。
 あれじゃ、子どもたちが参加したがらないのも当然です!


新井薬師 梅照院

 西武新宿線駅名にある新井薬師の正式名は梅照院
 新井の名は、新たに掘られた井戸の意で、足立区西新井大師も同じ由来とされます(同じ真言宗)。
 その井戸は健在で、行列こそないがひっきりなしに水を汲む人が訪れます(下)。
 ヤンキー系の若い兄ちゃんが水を持ち帰る姿に、「中野のおいしい水」には反抗できないのか、とも。
 下のおばちゃんは、ペットボトル5・6本を持ち帰るのが日課のようで、家の台所のように手慣れた所作です。
 水場を囲む人々の暮らしは時代を問わないと思うが、時代と共にありがたみの意味は変わりますから、水道代節約のためだったらどうしましょう……





百観音明治寺

 明治天皇を追悼する観音霊場設置の呼びかけから、1916年(大正5年)に百観音が整い、震災・戦災を経て現在180体の観音像が並びます。

 下は敷地内の滑り台(階段側)ですが、以前は鐘楼等の台座だったのではないか?
 震災は耐えるも戦時中に鐘を供出し戦火で上屋を焼かれ、戦後は子供たちのためにとの姿に見えました。
 後で調べたらピンポン!(ありがちなストーリー)でしたが、そんな印象に引かれて撮ったんだと思います。



江古田川(えごたがわ)との合流地点


 上は、支流の江古田川(右側)との合流地点。
 左の妙正寺川は、周囲の流れ(処理後の下水?)を集め川らしく見えますが、川というより豪雨時に下水道から溢れた水の「排水路」的役割のように見えます。
 すぐ下流にある調整池については、また後日。

 次回は、江古田川(右側)の源流付近を歩きます(『世界の車窓から』風に…)。


追記──スポーツに関する雑感

 プロ野球の、横浜DeNAベイスターズを観る側としては、感情の隠す術を知らない中畑監督が調子に乗る様は、エンターテイナーのようで痛快な印象を受けます。
 投手力ではなく、打ってひっくり返すところが「中畑 お祭り野球」の魅力でしょう。
 ようやく目覚めたキャプテン筒香は、巨人・N.Y.ヤンキース松井のような「ボールをしばく:ボールが痛そうの意」スイングに迫力を感じます。
 毎年流れを左右する交流戦が始まりますが、はて、終了後の中畑監督はどんな顔をしているだろうか? エンターテイナーなら楽しませてくれるはず!

 東京六大学野球で「東大が連敗を94で止めた!」がニュースとされ注目するも、無理して続ける必要があるのか? のレベルに見えました……

 他方、大相撲では、大鵬の記録を更新した白鵬が燃え尽きたと同時に、照ノ富士の台頭(貫禄すら感じる)による世代交代の分かりやすさには、裏を勘ぐってしまうも、新時代到来への期待が高まります。

2015/05/18

白鷺の町──鷺ノ宮

2015.4.25【東京都】──「神田川を歩く_18」



鷺ノ宮

 西武新宿線鷺ノ宮駅にほど近い、鎌倉に源氏の礎を築いた源頼義(頼朝のひいひいじいさん)が建立した鷺宮八幡神社(1064年)の境内では鷺が多く見られ、「鷺宮大明神」と呼ばれたのが地名由来とされます。
 白鷺が多かったようで、神社周辺には響きのいい「白鷺」という地名が残ります。
 西永福の大宮八幡宮と同様、流れの畔に建てられたのは、水を尊び恵みを願う思いによるのでしょう。


 上の一見オシャレな店舗はアパートを改装したもので、右の2階部分を見れば普通のアパートと分かります。
 グッドアイディアと思う反面、わたしたちは「イメージ」に騙されることに気付きます。
 オヤジたちの店選びは、中身に納得できれば「外見は関係ない」が、おばちゃんたちは「中身も外見も」と自分にないモノをどん欲に求めたりします(失礼!)。
 外見がキレイな「安アパート」と知っても、小ぎれいであれば「やっぱり安アパートは落ち着く」という人は、結構多いかも知れません……


福蔵院


 本堂の屋根で太陽光発電とは、一休さんのような方がいるのか?
 草の根から自然エネルギー活用の気運が高まり、「近い将来自分たちにできるかも」と思うさなか、不安定な供給電源からの買い取りを制限しようとする動きは、可能性を探求しない「狭量な技術者」の保身としか思えません。
 社会の要求に背を向ける技術に未来は無い!
 自然エネルギー活用に伴う料金上乗せには納得しても、原発の処理費用負担に納得する者はいません。
 二酸化炭素を排出しない「夢のエネルギー」が破綻したので尻拭いお願いしますと、無責任な政治家や役人が頭を下げるが、当事者たちは年金暮らしの左うちわです……


屋敷の森:Maple Town

 この大地主屋敷は「屋敷の森」とされ、裏側のアパートには「Maple Town」の表札があります(八神純子『パープルタウン:1980年(YouTube)』を口ずさみながら…)。
 妙正寺川に近い丘に立地するので、遠くからも「地域の主」と見て取れたことでしょう。
 大地主屋敷は大木で囲むのが流儀とはいえ、庶民はひがみから「日当り悪くない?」「ジメジメしてそう」と思ってしまいます……


蓮華寺、馬橋公園


 上は蓮華寺庭木の新芽。鮮やかな新緑のグリーンってうまく撮れないのですが、新旧のコントラストがあると鮮やかさがよく分かります。

 右は馬橋公園の池に入り込んだガキで、波紋が2つ広がるのは、右の台上で休息中の亀が水中に飛び込んだもの。
 すぐ逃げやしないとなめていたら亀の逃げ足は速く、事後の写真に……

 以前この地には気象庁気象研究所があり、気象衛星、台風、地震・火山の研究が行なわれていました(1980年筑波研究学園都市に移転後、杉並区の公園とされた)。


 付近の比較的新しい家には、写真のような三角屋根を多く見かけます。
 流行? 建ぺい率対策? なら納得できるが、その多さには、売り手側都合(設計〜資材調達の節約)の押し売り的な印象も。
 周囲と同じ安心感(?)って、理解できません……(イヤじゃない?)


神田川環状七号線地下調節池(神田川・善福寺川と共用) 妙正寺川取水口


 ここは妙正寺川の氾濫に備える、神田川環状七号線地下調節池の取水口。
 普段の流れはチョロチョロですし、神田川との流量比較では間口の割合は合ってそうでも、これで洪水防止は無理そうに見えるので、下流域調整池の補助的性格ではないか?
 2005年の集中豪雨では下流域で大きな浸水被害が発生しますが、その周辺だけでは対応しきれないため、上流域での対策が必要とされたは当然です。
 利用可能な土地が限られる条件は同じことから、神田川・善福寺川から離れたこの川までを、神田川流域事業として包括的に取り組んだ姿勢は、評価すべきと感じました。


追記──戦争法案「粛々と」閣議決定

 中国の軍備増強・海洋進出、北朝鮮のお相手 等には、アメリカから「当事国なんだから先鋒に立て」の圧力が高まる状況下、逃げられないことは当然と受け止めます。
 しかし、武器を持つ自衛隊が海外で「戦わない軍隊」と認知されるとは思えません。
 アベちゃん(by kyon2)が五輪誘致時のスピーチで、福島第一原子力発電所汚染水の「状況はコントロールされている」の嘘に対する反論は控えようと思ったが、今回の「米国の戦争に巻き込まれることは絶対にない」発言は「サルにも分かる嘘」です。
 当人はやりたいにしても、世論アンケートの「よく分からない」が半数以上を占める中での暴走は、政治判断の意味をはき違えたもので、バカにされたサル達の歯止めに向けた行動が起こることでしょう。
 自己反省+アメリカの指導により「不戦を誓った国」が、アメリカの圧力「金+血を流せ」を受け入れるようでは、属国意識によりアイデンティティばかりか「戦わない大和魂」も失われてしまいます……

2015/05/11

G.W.はまったりと……──葛西臨海公園

2015.5.2【東京都】



葛西臨海公園

 G.W.の空気感に触れようと、葛西臨海公園に足を運びました。
 ここは、東京都が東京湾の汚染や埋め立てで破壊された自然環境を再生しようと整備した都立公園で、荒川の対岸は新木場、旧江戸川の対岸は東京ディズニーランドに接します。
 海辺の公園なので「空が広い!」開放感がありますし、広さも小金井公園と同規模ですから、安・近・短組には絶好の施設です(陽気もいい日でした)。



 JR京葉線車窓から目にした、荒川沿いに並ぶソーラーパネル群まで足をのばします。
 葛西水再生センター(下水処理場)の施設で、電気はセンター内で使用されるそう。
 年間発電量は一般家庭の約160世帯分とあるので、面積からざっくりの概算で、1世帯分の電力を発電するには家の4倍程度の面積が必要らしい(大きく外れてなければ…)。
 でも効率を求め続ければ、必ず近い将来「自給自足の夢」に手が届くことでしょう。

 沖合に造成された砂浜の葛西海浜公園は「スポーツカイト」のメッカとされ、右は2機ペアが3セット飛ぶので、3人チームの練習か?
 この6機が輪になったり陣形を整えたりする、シンクロナイズドスイミング的な演技を競う競技のようで、パッと輪になる瞬間は見事な姿と感心します。
 奥は東京ゲートブリッジですが、橋+カイト+飛行機(羽田空港への着陸ルート)を狙いたいも粘りがなかった……


 広い緑の上を子どもがはしゃぎ回る、近場の理想的な公園ですが、子育てに必要なのは公園だけではありません。
 「こどもの日」前日の発表では、15歳未満の子どもの数は34年連続の減少で過去最低となり、前年比で子どもが増えたのは唯一東京都だけとのこと。
 子どもの割合が高い沖縄県17.5%の理由は、子育て世代の女性の割合が高いため、低い秋田県10.8%は、65歳以上人口の割合が高いためとされるが、東京都は下から2番目の11.3%ですから、じきに同じレッテルを貼られます。
 これまで地方の問題との認識でしたが、首都に迫る危機に目を向けるべきと思わされました……


 上は大量死があった葛西臨海水族園マグロ回遊水槽で、1匹だけの「Lonesome」では寂しそうですが、実はサバイバルを生き残った「King」だったりして?
 この光景には「モラトリアム:停滞」の印象を受けますが、「マグロは止まったら死ぬ」と聞くことからも「応援せねば!」です。
 現在も原因を特定できないらしいも、展示再開に向けた環境回復の取り組みが始まりました(初期段階は小さなサメが同居)。
 死んでしまったマグロたちのためにも、将来のマグロ完全養殖への大きな夢に向け、今回の事例を生かした研究がなされることを!


 せめてG.W.には「海に接したい」が東京湾という情けなさには、「島もごぶさた〜」と、寝た子が目をこすり目を覚ましそうです。
 今後の旅行計画に島が含まれないこともあり、ここらで憂さ晴らしにと沖縄 宮古島の伊良部大橋がチラついてきます……
 上は室内から撮影のため、ガラスに背後の絵が映り込んでいます。


 今回の写真には自分なりの「連休の空気」があるので、正しい連休の過ごし方だったようですが、暦どおりの休みでは遠出する気になれないのは仕方ないところです……

 上は、野鳥等の自然観察ができる「鳥類園ゾーン」。


2015.5.5

銀ブラ


 先日「佐伯祐三アトリエ記念館」を調べた際、ブリヂストン美術館が建て替えで長期閉鎖と知り足を運ぶと、建物前の歩道に続く長蛇の列に声を上げてしまった……
 こころ折れ、上写真だけ撮り退散しました(背景画 パブロ・ピカソ『女の顔』)。
 企画展でなくても、本美術館の収蔵作品には素晴らしい作品が多いので、その「ベスト・オブ・ザ・ベスト」はスゴそうとわたしが思うくらいですから、思い入れを抱くファンが多いのも当然です(前日の天皇夫妻訪問が火をつけたか?)。
 もっと早く行くべきでした。リニューアル時には是非!

 戦意喪失し、京橋付近から久しぶりの銀ブラです(右はお上りさんのような絵でも、ここがベストアングル)。
 近頃の六本木以上に銀座の外国人観光客の多さに驚くも(彼らに連休は関係ないが)、銀座はオススメできる町なので「Welcom!」です。
 「itoya:文具・画材関連」が見当たらないと思ったらリニューアル中だったり、以前、職場の先輩に教わった金春(こんぱる)通り裏の飲み屋の看板は変わっていたり。
 やはり、たまには歩かないといけませんね……(2枚はiPhoneながら上出来です)


追記──イギリス王妃命名

 王室の新しい命の誕生は明るい話題として受け止められますが、王妃の名前を賭けの対象とする国民性には驚きます。祝い事に参加したい気分を許容する王室の姿勢が、賭け事文化を根付かせたのかも知れません。
 分かりやすいネーミング「シャーロット(父チャールズの女性名)・エリザベス(祖母女王の名)・ダイアナ(母の名)」に、胸を張れるのが「王道」なのかも知れません……

2015/05/04

じっとしてられない季節!──妙正寺池

2015.4.18【東京都】──「神田川を歩く_17」

 今回から、高田馬場付近で神田川に合流する支流の「妙正寺川」に沿って歩きます。
 妙正寺池は気になっていても駅から離れているため、これまで訪問の機会がありませんでした。



井草森公園


 春の嵐に続き「夏日」の到来に、心身ともに戸惑う大人と違い、陽気を誘いとして受け止め本能に従う子供たちは、「思わず飛び出してきた」という表現がピッタリです。
 そんな本能とは、季節がわりを全身に感じさせ、体内時計の季節感を進めるための「生命の知恵」とも言えそうですから、「電車内が暑い」「エアコン入れろよ!」の場ではなく、太陽の下で感じたいと思ったりします。


井荻踏切跡(環状八号線 vs 西武新宿線)


 上は以前の悪名高き「井荻踏切」の現在の姿。
 環状八号線 vs 西武新宿線が平面交差する渋滞の常習地で、抜け道を研究した友人の「こんな道を通るのか?」も、ストレス発散法と感じるようなイライラの元凶でした(当時この先にも西武池袋線踏切があり、西武のダブルトラップが立ちはだかっていました)。
 ですが、トンネルになったのになぜ高架橋が?
 環八の「井荻トンネル:1997年」は、南から早稲田通り、西武新宿線、新青梅街道、千川通り、旧早稲田街道の地下を通り1,263mの長さがあるため、側道的な高架橋が建設されます。排気ガス対策の要望への回答(集めて処理する)がこの選択だったようです。
 変わったであろう沿道風景の中を、一度あっけなく通り抜けてみたいものです。


杉並区立科学館

 2002年宇宙ニュートリノ検出の研究で、ノーベル物理学賞を受賞した小柴昌俊先生の自宅が近いらしく(杉並区名誉区民)、「杉並区立科学館:下」付近の水路跡に整備された「科学と自然の散歩みち:右」には、先生の手形とメッセージが刻まれる「夢の卵」モニュメントが立ちます。
 「夢の卵」とは、著書『心に夢のタマゴを持とう』に記された先生のテーマのようです。
 脇に並ぶ見慣れない岩は、スーパーカミオカンデ(現在はハイパーらしい)がある神岡鉱山の片麻岩等らしく、詳しくは分からないも、岩に気付き目が止まったことにホッとしました……
 スーパーカミオカンデで使用される下の光電管を展示する科学館が、2016年閉館予定とは寂しい限りです。



妙正寺池

 妙正寺川の水源とされる池ですが、湧水が枯れてからは地下水を汲み上げるため、川の始まりは申しわけ程度のチョロチョロしかありません。

 付近の分かりやすい案内板に刺激を受け、国土地理院 1:25,000デジタル標高地形図「東京都区部(サンプル)」に、かつての湧水池をプロットしてみました(下)。
  武蔵野台地周縁部の、似た条件と思える場所柄に並ぶ湧水池ですが、現役は善福寺池だけとなりました。
 石神井川の文字下に伸びる二つの旧川筋と思われる低地が目に留まったので、付近を歩く際に支流扱いで歩きたいと思っています(地図って楽しい!)。




妙正寺

 妙正寺池の畔に建立された法華経の寺院(現在日蓮宗)で、池や川に名が残されたのは、徳川将軍から朱印地とされたためらしい。
 右の垣根は、端正な角刈りです。
 宗派を問わず説教には、「円満に」等「丸」を説く印象がありますが、「四角四面」の堅苦しさではなく、まじめさや真摯な姿勢の必要性を説くものか?




杉並区立桃井第五小学校

 芝生に覆われた校庭は気持ち良さそうですが、これだけキレイだと遊び方に制限があるのでは? と感じるのは当然で、様々な見解があるようです。
 近頃更新されてませんが「桃五小おやじの会」が、芝生の手入れを手伝っていたようです。
 小柴昌俊先生が「名誉校長」なだけに、おやじたちの「夢の卵」だったのかも知れませんし、自分も「芝の校庭」を夢見た記憶を思い出したりします……

 ちょっと脱線しますが、みなさんは自動車の「杉並ナンバー」をご存知か? 知らないわたしは、最初目にした際はイタズラか? とすら……
 2014年11月に、ご当地ナンバー制度で「練馬」から分割され、同時期に世田谷ナンバーが「品川」から分割されました。
 納得できておかしいのが、人気の高い品川(セレブ)から分割された世田谷(田舎)には反対意見が根強い(実際ダサッ! 等)が、練馬から分割された杉並の反応は、おわかりのように「反論なし」。その件に関して、練馬側は無関心とのこと……