2015/03/16

平和利用から生まれた夢──西荻窪周辺

2015.2.28【東京都】──「神田川を歩く_10」



東京女子大学

 塀の外から礼拝堂(リンク先の内部がキレイ)を目にし守衛さんに尋ねると、庭は見学可とのことで女子大に潜入します!(男って何でこういう表現になるのか?)
 国の登録有形文化財なので公開すべきと思うも、聞いてみるもんだ……


 本学は、北米プロテスタント諸教派の援助で1918年に開設され、初代学長の新渡戸稲造(旧五千円札肖像)は、国際連盟の事務次官を務めたプロテスタント。
 彼が札幌農学校(現北海道大学)入学の際、すれ違いとなったクラーク博士もプロテスタントでした。
 カトリックとプロテスタントの違いを学んでも、宗教に無頓着な日本人は同じキリスト教と受け止めそうですが、イスラム教とそれを詐称する過激派組織の違いは理解できます。

 教室から聞こえる発声練習から、映画『ふたりのベロニカ(YouTube:タイトルバックの歌声)』を想起し、女学生たちのまぶしい姿を勝手に膨らませます。
 以前同僚だった卒業生が、吉祥寺のやきとり屋「いせや」を懐かしそうに語ったのは、「東女(とんじょ)の学生がいせやに?」と、チヤホヤされた時分を振り返っていたのではないかと……

 女子大を調べるうちに、実家に近い相模女子大学が、日本で4番目に古い女子大学と知り驚きました(1900年設立の日本女学校がルーツとのこと)。


荻窪八幡神社


 本神社も井草八幡宮同様、源頼朝が奥州討伐の際、各地古来の神社に八幡神を祭った経緯を持ちます。
 遺跡が残る縄文期から人が暮らし始め、室町時代末には集落のまとまりがあるも、京の都から「荒くれ者の地」とさげすまれた関東に、源氏の守護神である八幡神を広め、地盤を固めていった様子が見て取れます。
 上は祓門(はらいもん)で、6月30日と12月31日に行われる除災行事の大祓(おおはらえ)で設置される茅の輪の常設版。




 「杉並アニメ資料館:2003年」から発展した、日本初のアニメーション博物館とのこと。
 上井草駅前のガンダム像は制作会社の所在によるが、ここはアニメーション全般を扱うそうで、この日は「赤塚不二夫展」を開催中。
 上はSONY製テレビ(トリニトロン? 暗くて分からない)に映される『北斗の拳』。
 館長の鈴木伸一さんは、藤子不二雄漫画に登場する「(ラーメン好き)小池さん」のモデルとのこと。

 本施設のある「杉並会館」は区営の宴会施設で、結婚披露宴では右の螺旋階段から新郎新婦が登場するのか?
 古いながらも、しゃれた印象を受けます。


桃井原っぱ公園 & プロムナード荻窪(デザイナーズ賃貸住宅)

 防災公園&集合住宅として再開発された広大な土地には、戦時中まで中島飛行機東京工場(戦闘機工場)がありました(後の日産自動車荻窪工場)。
 戦後、中島飛行機解体後の富士精密工業時代に、東大生産研究所と共同でペンシルロケットが開発され、ロケット発祥地の碑が残ります。
 この地で産声を上げた国産のロケット技術は、現在の「H-IIAロケット:はやぶさ2等」に受け継がれます。
 以前『科学朝日』→『サイアス』(休刊)連載「リフトオフ! 国産ロケットをつくった男」の、五代富文さんの奮闘史を夢中で読んだことを思い出します。
 この地で育った子どもたちが、経緯を理解し宇宙への夢を抱けるように、アピールいていくべきと感じました。

 右は、集合住宅から公園に向かう歩道入口にある、「宣伝して!」と訴えるようなオブジェ。
 都市再生機構(UR)にしては高級感を演出すると思えば、「デザイナーズ賃貸住宅」が売りのようです。
 これまでいくつもの公団(UR賃貸:旧日本住宅公団)にお世話になりながら、その使命が時代とともに変わる様子を実感してきました。
 「設備は最低限でも家賃の安い」物件は、うばすてやまの評判と共に消されゆく運命のようです……


 道すがら点在する水草を目にし、もっと育てれば水質も良くなると思っていましたが。付近では全面に水草が根付いています(ゴミ掃除の必要が無いよう暮らしたい)。
 神田川より水がキレイと感じるのは、源泉以外からの湧水が多いためかも知れません。


追記──東日本大震災から4年 2015.03.11

 ニュース報道等の印象からは、被災地に「笑顔」が増えてきたように感じますが、復興は道半ばながら「希望」を見いだせる方々が増えることを祈るばかりです。
 あまりにも広範囲でハードルの高い復興事業が、計画通りに進まないのは当然で、来年までの5年間の成果を判断する際も、「予算を付けたのに何やってるんだ」ではなく、時間のかかる事業を見守り、サポートするべきです。


追記──北陸新幹線開業 2015.03.14

 開業前の石川県では、時刻表が普段の3倍以上売れたというのですから、地元での盛り上がる様子がうかがえます。
 東京〜金沢間が2時間半となれば、航空路線の強力なライバルとなります。
 整備新幹線計画(1973年)の夢が実現したことは大きな成果ですが、「開国」による便利さはライバルの活性化や、地元からの流出も促進させるため、これまで以上に綿密な戦略が必要とされるのではないか(京都に次ぐ魅力があれば大丈夫?)。
 JRの「ウフフ! 北陸新幹線」ポスターには思わず顔もほころび、地元の人々の心情が表れるようで見事! と、応援したい気持ちにさせられます。

2015/03/09

善き心で福の到来を祈る──善福寺池

2015.2.21【東京都】──「神田川を歩く_9」

 今回から神田川支流の善福寺川をたどります。
 これまで水源である善福寺池には吉祥寺駅から歩きましたが、今回は西武新宿線方面から向かいます(吉祥寺より近い上石神井駅からも20分以上かかる立地)。


上井草スポーツセンター

 ならばと上井草駅で下車し上井草スポーツセンターへ。
 以前、プロ野球を開催した「東京球場(上井草球場):1936〜59年」があり(南千住は「東京スタジアム」)、神宮球場が米軍に接収され、戦後の東京六大学野球はここで再開されました(早稲田大学のグラウンドが隣接)。
 跡地に建設された水道貯水池の屋上に運動施設が整備され、現在は杉並区営とされます。
 子どもから大人までが賑わう様子は、設備の良さ+運営の工夫による成果と感じます。
 右は、鏡面を切り抜いたオブジェ。


東京都立農芸高等学校の農場

 スポーツセンター周辺には東京都立農芸高等学校の農場が点在し、果樹園ではナシ、ブドウ、ブルーベーリー等を育てるそうです。
 生産農地とは違い実習場のゆとりある光景は、田舎の田園風景のようです(門から撮影)。
 近所に農地があることを「田舎だから」と表現しますが、ここでは「田舎のような農地がある!」と自慢すべきと思ったりします。
 卒業生に原田泰造の名を目にし、大河ドラマ『花燃ゆ』の地に足をつけた演技の根っこはここにあったかと……


井草八幡宮


 青梅街道沿いの巨大な鳥居と灯籠を目にした記憶がありますが、なるほど立派な神社と納得させられました。
 古くからの神社に、源頼朝が奥州討伐の際に八幡神を祭り、室町時代に太田道灌が豊島氏との戦い前に祈願し勝利するなど、戦いの神とされました。
 右の参道で流鏑馬(BGMあり)が行なわれるのか?

 善福寺池や川への南斜面は耕地に適したため、太古から人が根付き縄文時代の遺跡も残ります。
 そんな地で神社とともに続く人々の営みは、この国のあり様を物語るようです。


善福寺公園


 善福寺という響きから「善き心を持ち、福の到来を祈る」精神を受け止め、「郷に入っては郷に従え」を心掛ければ、穏やかな気持ちになれそうと思うのは、単なる幻想か?
 ですが、歴史を感じさせる農家が、巨木に囲まれた敷地の構えを維持する姿は(日当り悪そう)、土地に対する信仰・忠誠心を示すディスプレイのようです(写真なし)。

 上はコブシのつぼみで、梅→モクレン→桜と移り変わる印象から、以前、容姿が似ているモクレンと紹介したかも知れません(失礼…)。
 コブシの花は桜より少し早いか同じ頃か? いずれにしてもカウントダウン開始です!


 上の母・息子の姿には、あふれる愛情を感じますが、この後ろを歩く別の父・娘の姿は、どうしてもオヤジが付き合ってるように見えてしまいます。
 子どもは「母に育てられ、父の姿に学ぶ」と考えると、成長につれ娘とふれあう機会が限られるオヤジが背負う「悲哀」の重さは、想像以上と思えてきます。
 イクメンとして母に重宝がられる父は、将来娘に重宝がられても「ホイホイ」面倒見ちゃうんでしょうね……

 右はひなたぼっこするカモ(?)。


 池の名称は、以前ほとりにあった善福寺(廃寺)に由来しますが、現在付近にある善福寺(曹洞宗)は後の改名とされ、麻布十番の善福寺は無関係との見方もあるらしい。
 ですがいずれも、こころが暖まる名の元で祈りたい思いによるのでは?

 ほとりの高台には、東京都区部で唯一地下水を利用する杉並浄水所(不定期利用)があり、公園付近にも古い建造物を目にします。


追記──首都高速中央環状線が全線開通

 大橋ジャンクション〜大井ジャンクション間が3月7日に開通しました。
 新宿方面から羽田空港への所要時間は短縮されそうですが(40分→20分)、舛添都知事の「渋滞のない都市」が実現するのか、経過を楽しみに注視しましょう。

 大橋ジャンクション開業前に続き、今回もテレビ朝日『タモリ倶楽部』の収録に協力した首都高速道路(株)の好感度はアップしたことでしょう。
 狭い分野でも「マニア:オタク」を味方に付けることは、企業側にとってもプラスになる! と、タモリ倶楽部は訴え続け、NHK『ブラタモリ』で市民権を得た、という気がします……(前週は、初めてJR東日本の協力を取り付けた)

2015/03/02

記憶に残る文様──永福町〜中野富士見町

2015.2.14【東京都】──「神田川を歩く_8」



永福寺

 永福町といえば駅前の「京王バス 永福町営業所:現在のボディカラーはシックでいい」、「大勝軒:東池袋のつけ麺店とは別系統」や、「アルク:語学系出版社(人のつながりは多い)」でしたが、新名所が誕生したようです。
 2011年開店のイタリアン「マッシモッタヴィオ」はピザが人気らしく、テラスでおしくらまんじゅうのように群れる人の数が、大勝軒の行列より多いことに驚きました。

 右の永福寺(曹洞宗)は、戦国時代末期に小田原城落城後の北条氏家臣が檀家となり、その尽力で地域が発展したことから、寺の名が地名とされました。


龍光寺


 「永福」に隣接する「和泉」の地名は貴船神社(水神・雨の神)に由来し、本寺に隣接する熊野神社(山岳・土地の神)に加え、井の頭池(いのかしら)に棲む龍が昇天したと伝わるこの付近は、水に恵まれた豊かな土地だったようです。
 上はしだれ桜の枝か? 花を待ち望む思いが、寒い季節を乗り切る力になります。

 右はアパートの屋根に設置された、太陽光を室内照明に利用するHimawariシステム。どれほどのものか一度体験してみたい気がします。


神田川環状七号線地下調節池


 付近の環状七号線地下約50mには、神田川中流域(同水系の善福寺川、妙正寺川)を集中豪雨から守るための神田川環状七号線地下調節池があります。
 住宅密集地には、地下に調節池を作れるような公共施設やグラウンド等(横浜国際総合競技場下部は鶴見川の遊水地)がないため、絞り出した苦肉の策です。
 都市部らしい発想で、2005年の集中豪雨で成果があったとはいえ、同一水系地域に雨を降らせる雨雲は同じなのに、それを一カ所に集めて大丈夫なのだろうか?
 神田川の取水口(上)と、杉並区和泉の神田川取水施設(下:手前は環七)。



地下鉄丸ノ内線車両基地

 「ほら、やっぱり地下鉄の入れるとこ隠してますよ!」
 春日三球・照代の「地下鉄漫才」(1970年代ですって…)にかけたつもりですが、知らない人も多そう……
 「垣根の奥で、掘り出した地下鉄を洗ってるんじゃないですか?」
 市街地で人通りの多い場所柄、脇の歩道橋にも遮蔽版があり迷惑行為防止に懸命なので、木々の合間からのぞきました。
 大江戸線木場車庫では地下までクレーンで下ろすらしい等、実際に見ていない認識のあいまいな部分へのツッコミが受けたようです(照代さんは1987年亡くなられた)。
 車体文様だけで丸ノ内線と伝わるデザインは1996年に姿を消しますが、多くの要望により2010年に復活します。
 やはり「これが丸ノ内線」ですよね……


善福寺川合流地点


 神田川(上写真上)は車両基地脇で善福寺川(同右)と合流します。
 川の合流地には、京都鴨川(高野川・賀茂川の合流地)で感じた「出会いの楽しさ」を期待するも、防災堤防の高さはそのまま「出会いのハードルの高さ」と感じたりします……(堤防の制約から斜めの絵に)

 次回から、支流の善福寺川源流からこの合流地をめざします。


追記──不人気NHK大河ドラマ『花燃ゆ』のお楽しみはこれから!

 吉田松陰は幕末期の重要なキーマンでも、唯一のアクションである「黒船乗船」の挑戦も追い返されては絵になりませんし、彼の妹を主人公とした物語が苦戦することは見る側も予測できました。
 『龍馬伝:2010年』で高杉晋作を演じた伊勢谷友介は松陰の方が適役と思うし、大沢たかおの男前ぶりや、井上真央ちゃんの頑張りだけでは大河を支えられません(お年をめされた檀ふみさんが素敵! でも…)。
 そんな物語にようやく「時代をひっくり返す看板役者、高杉晋作、久坂玄瑞、伊藤博文、桂小五郎 等」が登場し、奇跡的&痛快に新たな「大河の流れ」を生み出します。
 今年の大河、ワクワクはこれからです!

2015/02/23

おいしい井戸水の記憶──代田橋〜四谷大木戸

2015.2.7【東京都】──「神田川を歩く_7」

 前回、神田川から外れ旧玉川上水を歩きましたが、この機会に終点まで歩こうと、気合いを入れて寄り道(?)しました。


京王線代田橋駅周辺


 代田橋には父の実家があり、ガキ時分は「田舎のおばあちゃん家」と相模原から上京しました(母の実家も中野)。
 今回の行程で再開発に積極的な隣駅笹塚と比較でき、その違いに愕然とするも、バラックのような駅前商店街(失礼!)に、『モヤモヤさまぁ〜ず』が立ち寄りそうなおもちゃ屋(右)が残る方がうれしかったりします。
 ですが、笹塚〜仙川駅間の連続立体交差事業にともない、再開発の対象とされそうです。

 上は、甲州街道を渡った杉並区和泉明店街「沖縄タウン」で、那覇の牧志公設市場を思わせる一画に、ウチナンチュ(沖縄人)のたくましさを思い出しました。


 代田橋駅下の旧玉川上水にはレンガ造りの水路が再現され(上のゆずり橋は1991年架け替え)、線路をくぐる昇り降りのロケーションは、ドラマの舞台となりそうです。
 水道道路には止水栓を利用した車止め(右)もあり、現在も和田堀給水所から世田谷・渋谷・目黒・港区に送水する、水の要衝であるとアピールしています。

 少し前に宣伝していた「東京水」は、水源の8割近くを利根川・荒川水系に依存するそうで(多摩川水系は2割弱)、神奈川より水道料金が高い! と感じたのは、上流域から取水できない(浄水コスト)のためか?

 右は玉川上水を渡る環状七号線大原橋の下を、流路方向にくぐる地下道で、左右の整備された壁やむき出しの配管の様子から、旧水路を歩道にしたのではないか?
 玉川上水の遺構保存を考える際、主要道路である環七と交差するため着手が難しいならば、このまま維持することが歴史の語り部にふさわしいようにも……





笹塚〜初台橋駅周辺

 付近で断片的に目にする細い流れは付近のわき水らしいが、多摩川から引かれた水よりはるかにキレイとのこと。
 以前、代田橋の実家で飲んだ井戸水はおいしく、台所に水道水とは別に井戸水の蛇口があるほど、生活に密着した存在でした(近ごろは使用しないと聞いた気がする)。
 それは、武蔵野台地が大きな扇状地として形成されたためで、水の質・量は変わったとしても、家康が井の頭池(いのかしら)で汲んだわき水と同じ仕組みに発するものです。

 右は、東京消防庁消防学校の施設で、反対側のグラウンドでは、出動体制の出で立ち(防火服着用)でトラックを駆ける姿を目にします。
 一瞬ハッとしますが訓練には必要で、日々訓練の消防隊員の方には頭が下がる思いですが、緊急時には「全力でお願いします!」と、再度頭を下げてしまいます……

 玉川上水が付近で南に大きく迂回するのは、神田川方面からの谷が切れ込むためで、それを避けるためここしかないという地をぬって、最後の直線へと向かいます。

 右は東京オペラシティの階段。
 ドラマ等の舞台とされるロケーションはカッコよく、絵になる人が歩かないのはもったいないと思うが、土曜日に行き来するのは週末作業の作業服姿ばかり……
 以前アップルジャパンのオフィスがあった時分、「NTTの関連ビルなのに、docomoが通じにくい!」と、イライラする姿を想起しましたが、皆さん退職されました。
 外資系の会社が、現地の都合を考慮せず本社の意向を押し付けようとするのは、どこも同じようです。

 京王線は以前、初台駅付近から甲州街道上を走っていましたが、玉川上水を暗きょ化した上に線路を敷き、後に地下化して水路の中(?)を走るようになります。
 

南新宿〜新宿御苑周辺


 上は文化服装学院前のモニュメントで、モチーフは代田橋付近のような橋か、都立新宿高等学校に展示される玉川上水石樋を逆さにしたものか?
 奥の並木から水路と土手のイメージが伝わるのは、木々の「狭い間隔」を設計した方のおかげで、将来枝がアーチを描くようになった頃、その狙いが実ることでしょう。


 現在の新宿駅南口付近は、駅を越える高架橋があるため坂の印象がありますが、以前の玉川上水は、甲州街道沿いから新宿御苑北端を経て、大木戸門(上)付近にあった「四谷水番所」まで淡々と流れていました。
 江戸時代付近には、甲州街道の江戸の入口とされる「大木戸門:当初夜は閉鎖」があり、水番所では水質(濁り水)や各地域への水量の管理を担うように、「ここから江戸市中」とされる要衝でした(その外側に内藤新宿の宿場があった)。
 現在その地には、東京都水道局の施設と、玉川上水の由来を記す「水道碑記(すいどうのいしぶみのき)」が残されます。


追記──東京マラソン2015 2015.2.22


 今回の狙いは、テロ対策で登場の「ランニングポリス」ですが、3万6000人から64人を探そうなんて無謀と実感しました。上はたまたまで、その後は発見できず……
 箱根駅伝に出場経験のあるランニングポリスのインタビュー、「これまで警備のおかげで安全に走る事ができたので、守る側としての任務を果たしたい」の言葉から、スポーツの素晴らしさが伝わるようで、声援と拍手を送ります!

2015/02/16

水の道、人の道──下高井戸〜代田橋

2015.1.31【東京都】──「神田川を歩く_6」




下高井戸─甲州街道北側の寺町

 学生時代に迷惑をおかけした下高井戸での生活圏は世田谷区内に限られ、甲州街道(杉並区との区界)が北限でした。
 街道を渡った先に並行する玉川上水跡には、公園・遊歩道が整備されています。
 その地に立つと北側は神田川へ、南側もなだらかに下る尾根筋であることに気付きます。
 遠くを目指す使命を受けた、水の道(旧玉川上水)や人の道(甲州街道)を尾根筋に設置したのは、「位置(高さ)エネルギー」を有効利用するためで、自然と付き合いながら町・国づくりを進めた様子が感じ取れます。


 甲州街道北側にある寺町を総じて「永福の寺町」と呼ぶのは、室町時代創建の永福寺によるようです。
 付近の寺院は明治~昭和期に、東京市内の区画整理や関東大震災の被災後に移転したため、街道筋に発展した寺町という歴史を持ちません(永福寺は別の機会に)。
 
 上の栖岸(せいがん)院の出自は三河国(現安城市)のため、江戸幕府から格別の扱いを受けたらしい。
 右は永昌寺の閉ざされた門からのぞいた絵。


明治大学和泉キャンパス~明大前駅


 明治大学和泉キャンパス(上)付近には、以前陸軍の火薬庫(江戸時代の弾薬貯蔵庫)があり、隣接の築地本願寺和田堀廟所と同様、関東大震災後に建設されます。
 墓地に眠る、佐藤栄作、樋口一葉、古賀政男等々の著名人が、火薬庫跡の土地の霊をなだめてくれそうですが、当時、明大前の駅名は「火薬庫前」だったとのこと……

 右は以前、明治大学門前を流れる玉川上水に架けられた橋の欄干ですが、火薬庫への橋だったのか?

 明大前駅周辺は、明大側の一画だけ整備されますが、京王線沿線らしく町並みに息づく「庶民力」は健在のため、再開発には難儀しそうです。
 大変身の際には、下北沢的な覚悟が必要となりそうですが(その様子は未見)、下北沢と並ぶ急行停車・乗り換え駅周辺は結構地味だったりします。
 右は京王線ホーム下の井の頭(いのかしら)線跨線橋で、明大前の町にはこんな下町的な印象があります。


和泉給水所タンク


 東京の上水道は明治期まで、玉川上水等の河川水を分配するだけの不衛生なものでしたが、現都庁周辺に建設された淀橋浄水場(1898年:明治31年)稼働に伴い、上の和泉給水所タンク付近には玉川上水から浄水場へ送水する施設がありました。
 その後の人口急増から水道需要が高まり、境浄水場(武蔵野市)が建設され、和田堀給水所(下)への水道管が敷設され(上写真手前を通る井の頭通りの地下)、付近で新旧水路(東西の玉川上水と南北の水道管)が交差しました。
 この地が「水の道が交差する要衝」とされたのは、都心部を見下ろす配水に適した高台のためではないか?(父方の伯母から「見晴らしの良さ」を聞いた覚えがある)


和田堀給水所

 関東大震災後(1924年:大正13年)の建設で、レトロな建築物でしたが強度不足等の理由から立て替えが始まり、「山のようだった」貯水槽は取り壊されました(東村山浄水場、境浄水場および三郷浄水場からの送水を受け、世田谷区、渋谷区、目黒区、港区に配水する施設)。
 ここは父の実家に近いため、ガキ時分に花見の季節だったか中に入ったことがあり、「遊べる!」と感じた事を覚えています。
 当たり前の景色だったので、記録しようと考えなかったことを悔やむも、ふるさとの記憶はおぼろげに残っていればいいのかも知れません……(工事用フェンスで思うように撮れなかった)


追記──JR東日本 ウルトラマン スタンプラリー

 現在、首都圏のJR各駅で行なわれ、田町駅にはカネゴンのパネルがあるので押してみたら、登場話をイメージした絵柄にガッカリ(これは『ウルトラQ』の話で、列車は小田急のロマンスカーらしい)。
 浜松町駅ホームの小便小僧もウルトラマンの衣装で盛り上げるも、春休みのイベントにした方がいいのでは?

2015/02/09

土地が歴史を生む──高井戸〜下高井戸

2015.1.24【東京都】──「神田川を歩く_5」




高井戸


 奥は高井戸のランドマークとされる杉並清掃工場の煙突ですが、環状八号線の反対側に偽装農地の代名詞とされる「栗畑」(手の掛からない農地で、売り時を探れる)が広がるとは知りませんでした。
 旬の季節には、敷地内にある「くりのないとう」店頭に行列ができるとのことで、失礼なことを……(リンク先の栗は立派でおいしそう)
 周囲には、土地の切り売りで建てたと思われる住宅街やマンション、温浴施設+フィットネス+スイミングスクール、高井戸小学校(寄付ではないにせよ)等々が隣接しており、所有地はどこまで広がっていたのか? というサイズ感です。


 上は、井の頭(いのかしら)線の車窓から見える「東京ゴルフ専門学校」で、のぞいてみればガキが遊ぶような声が聞こえます。
 なるほど! ガキ時分から英才教育で、将来の石川遼、松山秀樹を目指す夢はチャレンジの価値ありそうですし、子どもに期待しちゃう親の気持ちも理解できます。
 隣接のゴルフ練習所が親会社で、代表者は内藤性ですから、一族の所有地はまだまだ続きそうです……(清掃工場の敷地も含まれたのでしょう)


 神田川は高井戸付近から蛇行を始めるため、川岸に狭いながらも平坦地が生まれます。
 以前は、水田に利用されたであろう川岸の土地は、現在グラウンドやテニスコートとして整備されます。
 近ごろの錦織フィーバーにより、これまで何度かあったテニスブームで踊った人々が、テニスコートに戻ったとの話しをよく耳にします。
 テニスに縁のないわたしも、ライバル選手の名前覚えるのですから、すごい事です……(記憶にあるのは、ボルグ、マッケンロー程度)


浜田山

 高台にある雑木林が気になり足を運ぶと、「三井の森」の看板があります。
 以前付近にあった、三井上高井戸運動場を宅地開発した「パークシティ浜田山」の残骸のようです。
 宅地は、残された森、右のケヤキ並木と下の柏の宮公園に囲まれた立地で、緑に囲まれた環境は演出だけでなく、静かで暮らしやすそうに見えます。

 浜田山の地名は、旧内藤新宿(江戸時代新宿三丁目付近にあった甲州街道の宿場で、元は信濃国高遠藩 内藤家所有地のため名が残る)の商人、浜田屋の所有地によると知り、上の栗畑はその内藤家とつながるのか? とも……



塚山公園

 右は、縄文時代の竪穴式住居のレプリカ(モルタル製)ですが、立ち止まるきっかけとなった Good Job!
 以前石神井川沿いで奈良時代の遺跡を見かけましたが、神田川沿いには縄文時代の遺跡が多いらしく、三鷹市には「縄文の川 神田川」という展示施設があります。
 公園脇には旧鎌倉街道も通っており、並べると、縄文・奈良・鎌倉・江戸から現代まで、狩猟(江戸まで)や植林栽培(木の実など)に適した地域だったようです。
 点や線でなく面の視点を目指す中で、「歴史は土地に育まれる」痕跡に触れられた気がしました。


下高井戸(杉並区)

 神田川沿いにある下高井戸八幡神社(上)に接し、下高井戸は杉並区の地名であることを思い出します。
 通った大学最寄りの京王線下高井戸駅(世田谷区松原)、大学(世田谷区桜上水)や、借りたアパート(世田谷区赤堤)等の印象から、勝手に「下高井戸=世田谷区」の認識がありました。
 甲州街道(区界)を越えた杉並区下高井戸を歩いてみると、勝手な思い込みの無礼からか、居心地の悪さを感じたりしますが、青かった学生時代の思い出は「下高井戸=世田谷区」としてこれからも残り続けます……


追記──地域限定の報告

●下高井戸(世田谷区)通信
 DEN、東秀は消滅。マクドナルドはバーガーキングに。
 下高井戸シネマは健在。松沢小学校は明るくモダンになりました。

●桜上水通信
 桜上水団地(←懐かしい!)は「桜上水ガーデンズ」へと生まれ変わるため、旧グラウンド沿いの道まで閉鎖して高層住宅を建設中(便利な場所なので人気ありそう)。
 桜上水駅の改札は地下から橋上駅舎(2008年)となりました。
 進京亭(ラーメン屋:太いブリブリの自家製卵入り麺)は健在ですが、臨時休業でありつけず…… 再挑戦します!

2015/02/02

欲が消えていく……──烏山寺町

2015.1.17【東京都】──「神田川を歩く_4」



烏山寺町

 前回、國學院久我山付近の看板地図で「烏山寺町」が近いことに気付き、以前久我山在住の方に薦められたことを思い出し、ちょっと寄り道です。
 何で久我山の人が烏山を知っているの? と思ったが、住所は北烏山でも久我山駅の方が近い隣町だからのようです(この日は千歳烏山→久我山へ)。
 千歳烏山は学生時代以来と思いますが、わたしが幼少時分の家族は駅前の借家で暮らしたと聞いており、記憶はなくても親近感を覚える土地だったりします。


 寺町の誕生は関東大震災で被災後の移転とされますが、すでに東京市内の都市整備計画で墓地の郊外移転が決まっていたそうで、現在も26の仏教寺院が立ち並びます。
 上は多聞院の釈迦の足跡で、これで両足分らしい。

 右の玄照寺は絵として京都に負けてないと思いますが、勝てるとすれば「人の少ない静寂さ」になりそうです。
 それゆえ落ち着く枯れたたたずまいでは、時の流れがまどろむため「欲が消えていく」(この瞬間だけで十分)心境を経験することができます。
 魂を持っていかれそう……


 上は、200体あるとされる常福寺のタヌキ。その説明はありませんが、ゴルフクラブやサッカーボールを持つなど、分かりやすい願いだったりします。
 そんな姿から、京都の愛宕(おたぎ)念仏寺(こちらは石仏)を想起したように、思いを込めやすい造形物が作られたのではないか?
 願いを込めるのはタヌキでもかまわないはずです。


 寺町の寺院は、石神井川沿いに点在する真言宗寺院(空海の教え)のように地域に根付いたものでなく、移転希望寺の集まりなので宗派は様々ながらも、伝えんとする世界観に接していると、こころ穏やかになる変化を自覚できるようになります。
 そのこころは?「共鳴」であると感じました。
 善し悪しではなく、響き合えるか? ではないかと。

 歩を進めるごとに、上空の風音(北風が強く寒い日だった)と、カラスの鳴き声しか聞こえない「彼岸のふち?」に近づけるような印象も……(上は宗福寺)

 烏山の由来は、烏が群生する森、烏色(養分の乏しい黒土)の山があった、などとされる。(右は妙寿寺)




 広大な敷地を持つ妙寿寺の客殿(上)は、蓮池藩鍋島家(佐賀藩)屋敷(飯倉狸穴(まみあな)町所在)を移設したもので、敷地内で存在感を示します。
 この日のように参拝者もおらずひっそりとした中で、静かに内部を見せてもらえるとうれしいのですが……(世田谷区指定有形文化財)
 

 上は高源院の弁天池で、マガモが飛来することから「鴨池」とされ寺町のシンボル的な存在でしたが、いまではその姿は見られません。
 この池は目黒川支流(烏山川)源泉のひとつとされ、井の頭(いのかしら)池の水位と同様の変化をすることから、地下水脈が同じ面ではないかとされました。
 分水嶺付近を通る玉川上水に近い尾根筋にあたるので、可能性はあったかも知れません。


 久我山に住んでいた方とは、一昨年秋に亡くなった元同僚(同い年)で、わたしの趣味に合いそうと紹介してくれた心情をようやく理解できました。
 遅くなりましたが、彼に導かれたことに感謝し、こころ穏やかになる烏山寺町の記憶を、故 田波健一氏に捧ぐ。


追記──「ポール、“リベンジ”来日公演決定!」

 そんなメールが届きましたが、どうも熱くなるものがありません。
 わたしの中では、昨年の全公演中止で燃え尽きてしまったようです……


追記──祝 伊良部大橋開通!

 沖縄 宮古島〜伊良部島を結ぶ、全長3540mの橋が完成しました(通行無料)。
 池間大橋、来間大橋に続く架橋プロジェクトで、これで宮古島周辺の主な島々は橋で結ばれました。
 本島(屋我地島:やがじしま)と橋で結ばれ、人の出入りが盛んになった古宇利島のように活気づきますよう。
 沖縄から届いた久しぶりのラブレターを目にし、是非行かねば! と……